自然は美しいばかりではない。
東京生まれの東京育ちだが、比較的緑の多いところで幼少期を過ごしたので、野山で遊ぶのが好きだった。ただ、緑が多いといっても所詮、住宅開発に取り残された緑にすぎず、本来の野山とは程遠いと思っていた。
だから、時折東京西部の高尾山に遊びに行くことがあった。多分、小学校の時には十数回登っているはずだ。標高は600メートル足らずであり、ケーブルーが途中まで開通している上に、登山道は舗装さえされている。サンダルは無理でも、普段履いている靴で十分登れる山だ。
ちなみに現在は、外国からの旅行者が立ち寄る観光名所となっているらしい。ちょっと不思議な気分だが、山麓には個性的な蕎麦店が立ち並び、登山の準備がなくても登れることが、海外の観光客を惹きつけるらしい。
子供の頃の私は、この高尾山に何度となくやってきたが、実のところ山頂まで行ったのは3回くらいだ。なぜかというと、虫取りが目的だったからだ。
登山道をはずれ、森深く分け入ると、カブトムシやクワガタが大好きな樹液を垂らしたクヌギの木や、楢、ブナ、椎の木などがある秘密の場所があった。ここはカブスカウトの仲間から教わった場所だった。
今にして思うと危ないことだが、当時の私は地図を読む技術など持ち合わせていなかった。しかし、踏み跡を見分ける目や、匂いをかぐ能力は大人の頃よりあったと思う。
案内図もなにもない山裾の森の奥深くに、記憶と感覚を頼りに分け入る無鉄砲な子供が私たちであった。
あれは忘れもしない8月の終わりの頃だった。その年はまだ一度もオオクワガタが採れず、悔しい思いを抱えて夏休み最後の冒険気分で高尾山を訪れた。
目当てのクヌギの木には、待望のオオクワガタが樹液を吸っているのを発見したが、困ったことにそばにスズメバチがいて近寄れない。この蜂の怖さは知っていたので、スズメバチが飛び去るまで我慢していたら夕暮れ時になってしまった。
こんな薄暗い時間まで森の中に居たのは初めての経験だった。ようやく捕まえたオオクワガタを入れた籠をナップザックにしまい込み、いざ戻らんとすると森の様子が一変していた。
昼間は薄暗くとも、日差しが差し込み、開放的な雰囲気だったのだが、日が沈み闇が深くなった森は、いつのまにやら笑顔を消して、冷たい視線を私たちにそそいでいた。
踏み跡を急いでたどりながら、昼間とは異なる雰囲気に私たちはのまれていた。何故だか分らないが、ここに居てはいけない気分にさせられた。追い立てられるような感じになって、自然と足は駆け足になる。木の根に足をひっかけ、何度も何度も転んだが、痛みを感じる余裕さえなく、必死で逃げ出した。
だから高尾山の自然管理小屋の明かりが見えたときは、思わず座り込んでしまった。小屋の裏を抜けて、整備された登山道に出ると運悪く、小屋の人に見つかってしまった。当然に叱られた。
叱られはしたが、無事に戻れた安堵感のほうが強く、笑顔さえ浮かぶ始末だった。おかげで説教が長引いた。
解放され、駅にむけて歩き出す前に振り返ると、森の薄暗さが不気味であることを思い出し、ちょっと身震いした。やっぱり山は怖い。そのことを実感した夏の一日だった。
もしあの時、山のなかに注文の多い料理店があったら、間違いなく足を踏み入れたと思う。で、食べられちゃう。
その夏の宿題の課題図書のなかに宮沢賢治の「注文の多い料理店」があったのは偶然だと思うが、帰路の電車のなかで友達との話のネタになり、えらく盛り上がった。俺は塩よりマヨネーズを塗ったほうがいいとか、茹でるより蒸したほうが美味いはずだなどとバカ話をしていた。
でも、電車を降りての別れ際、やっぱり夜の山は怖いから、気をつけようと言ったら、真剣に頷き合った。やっぱりみんな、怖かったのだな。
東京生まれの東京育ちだが、比較的緑の多いところで幼少期を過ごしたので、野山で遊ぶのが好きだった。ただ、緑が多いといっても所詮、住宅開発に取り残された緑にすぎず、本来の野山とは程遠いと思っていた。
だから、時折東京西部の高尾山に遊びに行くことがあった。多分、小学校の時には十数回登っているはずだ。標高は600メートル足らずであり、ケーブルーが途中まで開通している上に、登山道は舗装さえされている。サンダルは無理でも、普段履いている靴で十分登れる山だ。
ちなみに現在は、外国からの旅行者が立ち寄る観光名所となっているらしい。ちょっと不思議な気分だが、山麓には個性的な蕎麦店が立ち並び、登山の準備がなくても登れることが、海外の観光客を惹きつけるらしい。
子供の頃の私は、この高尾山に何度となくやってきたが、実のところ山頂まで行ったのは3回くらいだ。なぜかというと、虫取りが目的だったからだ。
登山道をはずれ、森深く分け入ると、カブトムシやクワガタが大好きな樹液を垂らしたクヌギの木や、楢、ブナ、椎の木などがある秘密の場所があった。ここはカブスカウトの仲間から教わった場所だった。
今にして思うと危ないことだが、当時の私は地図を読む技術など持ち合わせていなかった。しかし、踏み跡を見分ける目や、匂いをかぐ能力は大人の頃よりあったと思う。
案内図もなにもない山裾の森の奥深くに、記憶と感覚を頼りに分け入る無鉄砲な子供が私たちであった。
あれは忘れもしない8月の終わりの頃だった。その年はまだ一度もオオクワガタが採れず、悔しい思いを抱えて夏休み最後の冒険気分で高尾山を訪れた。
目当てのクヌギの木には、待望のオオクワガタが樹液を吸っているのを発見したが、困ったことにそばにスズメバチがいて近寄れない。この蜂の怖さは知っていたので、スズメバチが飛び去るまで我慢していたら夕暮れ時になってしまった。
こんな薄暗い時間まで森の中に居たのは初めての経験だった。ようやく捕まえたオオクワガタを入れた籠をナップザックにしまい込み、いざ戻らんとすると森の様子が一変していた。
昼間は薄暗くとも、日差しが差し込み、開放的な雰囲気だったのだが、日が沈み闇が深くなった森は、いつのまにやら笑顔を消して、冷たい視線を私たちにそそいでいた。
踏み跡を急いでたどりながら、昼間とは異なる雰囲気に私たちはのまれていた。何故だか分らないが、ここに居てはいけない気分にさせられた。追い立てられるような感じになって、自然と足は駆け足になる。木の根に足をひっかけ、何度も何度も転んだが、痛みを感じる余裕さえなく、必死で逃げ出した。
だから高尾山の自然管理小屋の明かりが見えたときは、思わず座り込んでしまった。小屋の裏を抜けて、整備された登山道に出ると運悪く、小屋の人に見つかってしまった。当然に叱られた。
叱られはしたが、無事に戻れた安堵感のほうが強く、笑顔さえ浮かぶ始末だった。おかげで説教が長引いた。
解放され、駅にむけて歩き出す前に振り返ると、森の薄暗さが不気味であることを思い出し、ちょっと身震いした。やっぱり山は怖い。そのことを実感した夏の一日だった。
もしあの時、山のなかに注文の多い料理店があったら、間違いなく足を踏み入れたと思う。で、食べられちゃう。
その夏の宿題の課題図書のなかに宮沢賢治の「注文の多い料理店」があったのは偶然だと思うが、帰路の電車のなかで友達との話のネタになり、えらく盛り上がった。俺は塩よりマヨネーズを塗ったほうがいいとか、茹でるより蒸したほうが美味いはずだなどとバカ話をしていた。
でも、電車を降りての別れ際、やっぱり夜の山は怖いから、気をつけようと言ったら、真剣に頷き合った。やっぱりみんな、怖かったのだな。