ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

マイン ロバート・マキャモン

2009-04-20 13:03:00 | 
生きるため、生き延びるためなら主義信条なんて、いくらでも捨てられるはずだ。

昨日まで天皇万歳と叫びながら、敗戦して厚木にマッカーサーが降り立った途端に民主主義万歳を口にした恥知らずは数知れず。恥知らずではあっても、生き延びる術としては当然の選択。これが大人の判断ってものなのでしょう。

しかし、昨日まで信じていた価値観が崩れ去るのは辛い。信じていた度合いが深いほど、その挫折は深く根深い。あまりに辛いので、価値観の崩壊の原因を直視しようとせず、過去の栄光にすがりつく心情はわからないでもない。

なかでも本気で、人生の全てを賭けて信じていた価値観が崩壊すると、人は変らざるえない。多くの人は新しい状況に合わせて、恥も節操も投げ捨てて変貌する。

しかし、変えられない人もいる。たとえ現実が自分の信じた信念を否定しようと、あくまで自分の信念だけを信じてしがみ付く。現実が間違っていると断じて、あくまで信念に従い、現実を受け入れない。

現実が間違っているのだから、その現実を糾さんと実力行使に及ぶ。それは狂気の沙汰ではあるが、本人はあくまで真面目に生きているつもりだ。

日本の場合だと戦中の天皇崇拝者よりも、戦後の社会主義思想家に、この現実否定派が多い。アメリカの場合だと、いわゆるフラワームーブメントに代表されるヒッピーたちにその傾向が見られる。この反戦平和と環境問題を奉じる若者たちは、ほとんどが消え去ったが、あくまで自分の信じる信念に忠実であらんと固執した人たちは、少数ながら生き残っている。

しかし、現実は冷酷なくらいに彼らの信念を削り、捻じ曲げ、すりつぶす。強固な信念はそれでも揺るがないが、限界点に達した時、狂気の嵐が吹き荒れる。

ホラー脱却宣言をしたマキャモン最初の作品です。吸血鬼もゾンビも出てきませんが、狂気を宿した人間の恐ろしさが強烈。人は誰でも心の奥底に狂気の種を宿しているのでしょうが、その種が芽吹くことは滅多にない。だから、知らずに済む。

私は長い病気療養中に狂気の淵を彷徨った経験があるので、出来るなら読みたくない作品です。狂気に共感している自分に気付くのが辛い作品なんです、これは。

見方を変えれば、信じていたものに裏切られたことにより、生まれる狂気を知るには最適の一冊(上下2巻ですが)ですね。薦めはしませんが、興味がありましたらどうぞ。
コメント (1)
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