ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

悪の対話術 福田和也

2009-04-06 12:28:00 | 
「嘘をつかない人が好き」

そう聞かされることがたまにある。気持ちは分るが、正直幼稚だと思う。

気持ちは分る。分るけど、自身を省みてみろと言いたくなる。嘘をつかずに生きてきたわけではあるまい。自分に出来ないことを他人に求める厚かましさに羞恥を覚えないのか。

いや、それ以上に、嘘をつかねばならぬ状況があることを理解できないのだろうか。嘘を上手に使うことは、むしろ人間関係を円滑にすることも出来る。嘘をつかずに、ありのままの自分でいたいと願う稚拙さこそ恥じるべきだと思う。

私の場合だと、意識的に嘘をつくことがある。かなり考えて、悩んで、その上で嘘をつく。相手を傷つけないためであり、自分に被害が及ばぬようにするためでもある。

初めて必死になって嘘をつく努力をしたのは、長期入院中の病棟でのことだった。素人目にも助からぬことが明白な患者さんのための嘘だった。

その人は見栄っ張りな人だった。出来もしない嘘、すぐに分る嘘、虚栄心を満足させるためだけの嘘をよく吐く人だった。そのせいで長く入院暮らしをしているにも関らず、他の患者さんたちから敬遠される孤独な人だった。

高齢者が多いその病棟では、20代の私はいろんな人から可愛がられた。その人も元気な時は、私にいろいろ世話を焼いてくれた。だから婦長さんから見舞いというか、雑談相手を頼まれた時は素直に快諾した。

自分の愚かさから病状を悪化させた人だった。日に日にやせ衰えて行く様は、空恐ろしいほどだった。その癖寂しがりで、意識があるときは話し相手を欲しがった。

分っているはずだったが、自分の死期が近いことを認めようとしなかった。だから絵空事ばかり話していた。付き合う私も、その嘘に合わせ、本人が気持ちよくなるような嘘話だけを話した。

嘘をつき続けることが、これほど苦しいとは思わなかった。が、最後までやり続けた。おかげで婦長さんからは、えらく感謝された。患者のみならず若手の医師や看護婦さんたちからも怖れられる婦長さんだが、これ以降私は多少の悪さは見逃してもらえた。

私の経験からすると、無意識に出るウソが一番怖い。日頃意識しない本音がポロっとウソとして吐き出されてしまう。相手を傷つけ、不快にさせるだけでなく、自分にも跳ね返ってくるウソだ。

ウソをつかずに生きていけるなら、そのほうがいい。でも、現実にはウソをつくことが必要なのが、大人の付き合いってものだ。意識を尖らせて、思慮を重ね、上手な嘘をつくべきだと思う。

え?やっぱりウソは嫌ですか。それならば、表題の本をご一読下さい。女性誌に書かれたものをまとめたものですが、辛辣な内容が丁寧に書かれているので、割と読みやすいと思います。
コメント
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