私が十代を過ごした街には、安いアパートが数多くあり、いわゆる学生運動家たちが住んでいた。
子供の頃から本の虫だった私は、教会のお姉さんたちに連れられて、近所の大学の文化祭で、その学生運動家たちと知り合った。
そこで学生たちが主催する読書会で、「毛語録」や「共産党宣言」「橋のない川」「キューポラのある町」など、いわゆる社会主義系の本を知り、不公平と不平等な社会に憤る若者たちの熱気に触れた。
小学生の頃は坊や扱いだったが、中学の頃から予備メンバー的な扱いに変り、私はいっぱしの学生運動家気分を味わっていた。はやく大人になって一人前になりたいと切望していた私には、大人への近道に思えたものだった。
ただ、幼少時に米軍基地のそばで暮らした経験のある私には、話し合い中心の政治活動には、いささか疑念があった。また当時流行っていたデモや集会では、いくらやっても夢は実現できないと感じていた。
それだけに、武力革命路線を主張する過激な青年たちの主張には強く惹きつけられた。ただ、如何せん、浅間山荘事件とその後の内ゲバ騒動のせいで、武力革命路線は敬遠されがちとなっていた。
なんどかの激しい論争の末、武力路線は否定され、穏やかな革命を目指す路線が中心に据えられた。当時教会の幹部たちから危険思想の持ち主と疑われだした私は、大いに失望して政治と宗教から遠ざかることを決めた。
あれから30年たち、いつのまにやら保守的な思想に惹かれ、反左翼的立場をとることの多くなった私だが、不思議で仕方がないのが、現在の左派の平和主義的主張だ。
私の記憶する限り、マルクス主義は武力革命肯定思想であったし、日本共産党だって武力革命を明確に否定したのは昭和の終わりの頃だったはずだ。少なくとも私が十代の頃までは、自衛隊への侵入と共産思想浸透作戦は党の路線の一つであったはずだ。私はそう聞いていたし、それを実践していた人も知っている。
事実、近くにあった防衛大学の病院には、グループのメンバーが数人働いていて、いろいろと情報を教えてくれた。内部浸透と教化活動は実際に行われていたのは間違いない。
自衛隊の武力をもってして、政府の奴らを倒すのだとの勇ましい宣言を聞かされ、頼もしく思っていたものだった。私にとってマルクス主義とは、政府打唐ニ政権奪取の思想そのものだった。だからこそ惹かれた。
ところが、現在ではそのことは抹殺されている。4月初めに戦時中の最大の言論弾圧とされた「横浜事件」の再審請求訴訟の判決が出た。原告の求めた無罪判決は得られず、ある意味予想通りの判決であった。
私の理解では、当時の日本共産党は政府打倒を目指していたし、それを政府が弾圧するのは当然のこと。しかも戦時下にあっての反政府活動に対して、残酷な拷問などは当然にあったと思う。戦時の常識を、平和な戦後の常識で裁くのは如何なものか。
敗戦により、治安維持法も廃止されたが、それなのに、今更無罪を求めるなんて妙に思わざるえない。戦時下にあって、日本政府の打唐fげた活動は無罪なわけがない。いちおう書いておくが、アメリカだってイギリスだって、マルクス主義を掲げる政党の活動は禁じていた。当たり前である。あれは共産主義革命を目指す、つまり既成の政府を打倒することを目指す政党なのだから。
現在の不況と、派遣切と失業の増大により、日本共産党や社民党が元気にみえる。彼らの主張に耳を傾ける人は確実に増えているのだろう。その一方で、彼らの過去が平和一色に染め直されていることが不快でならない。
日本政府に対する反政府活動はもちろん、北ベトナムへの支援やミャンマーの反政府軍事活動への支援はどこいった?日本連合赤軍を陰ながら支援していた事実はどうした?かつては南朝鮮の軍事政権を誹謗し、北の人民政府を支援していた過去はどこへ隠した。
自らの正義を信じてやまない輩は、過去の過ちは隠蔽したがる。それどころか、過去を美化することまで求めてやがる。まったくもって、胡散臭い連中だと思う。
子供の頃から本の虫だった私は、教会のお姉さんたちに連れられて、近所の大学の文化祭で、その学生運動家たちと知り合った。
そこで学生たちが主催する読書会で、「毛語録」や「共産党宣言」「橋のない川」「キューポラのある町」など、いわゆる社会主義系の本を知り、不公平と不平等な社会に憤る若者たちの熱気に触れた。
小学生の頃は坊や扱いだったが、中学の頃から予備メンバー的な扱いに変り、私はいっぱしの学生運動家気分を味わっていた。はやく大人になって一人前になりたいと切望していた私には、大人への近道に思えたものだった。
ただ、幼少時に米軍基地のそばで暮らした経験のある私には、話し合い中心の政治活動には、いささか疑念があった。また当時流行っていたデモや集会では、いくらやっても夢は実現できないと感じていた。
それだけに、武力革命路線を主張する過激な青年たちの主張には強く惹きつけられた。ただ、如何せん、浅間山荘事件とその後の内ゲバ騒動のせいで、武力革命路線は敬遠されがちとなっていた。
なんどかの激しい論争の末、武力路線は否定され、穏やかな革命を目指す路線が中心に据えられた。当時教会の幹部たちから危険思想の持ち主と疑われだした私は、大いに失望して政治と宗教から遠ざかることを決めた。
あれから30年たち、いつのまにやら保守的な思想に惹かれ、反左翼的立場をとることの多くなった私だが、不思議で仕方がないのが、現在の左派の平和主義的主張だ。
私の記憶する限り、マルクス主義は武力革命肯定思想であったし、日本共産党だって武力革命を明確に否定したのは昭和の終わりの頃だったはずだ。少なくとも私が十代の頃までは、自衛隊への侵入と共産思想浸透作戦は党の路線の一つであったはずだ。私はそう聞いていたし、それを実践していた人も知っている。
事実、近くにあった防衛大学の病院には、グループのメンバーが数人働いていて、いろいろと情報を教えてくれた。内部浸透と教化活動は実際に行われていたのは間違いない。
自衛隊の武力をもってして、政府の奴らを倒すのだとの勇ましい宣言を聞かされ、頼もしく思っていたものだった。私にとってマルクス主義とは、政府打唐ニ政権奪取の思想そのものだった。だからこそ惹かれた。
ところが、現在ではそのことは抹殺されている。4月初めに戦時中の最大の言論弾圧とされた「横浜事件」の再審請求訴訟の判決が出た。原告の求めた無罪判決は得られず、ある意味予想通りの判決であった。
私の理解では、当時の日本共産党は政府打倒を目指していたし、それを政府が弾圧するのは当然のこと。しかも戦時下にあっての反政府活動に対して、残酷な拷問などは当然にあったと思う。戦時の常識を、平和な戦後の常識で裁くのは如何なものか。
敗戦により、治安維持法も廃止されたが、それなのに、今更無罪を求めるなんて妙に思わざるえない。戦時下にあって、日本政府の打唐fげた活動は無罪なわけがない。いちおう書いておくが、アメリカだってイギリスだって、マルクス主義を掲げる政党の活動は禁じていた。当たり前である。あれは共産主義革命を目指す、つまり既成の政府を打倒することを目指す政党なのだから。
現在の不況と、派遣切と失業の増大により、日本共産党や社民党が元気にみえる。彼らの主張に耳を傾ける人は確実に増えているのだろう。その一方で、彼らの過去が平和一色に染め直されていることが不快でならない。
日本政府に対する反政府活動はもちろん、北ベトナムへの支援やミャンマーの反政府軍事活動への支援はどこいった?日本連合赤軍を陰ながら支援していた事実はどうした?かつては南朝鮮の軍事政権を誹謗し、北の人民政府を支援していた過去はどこへ隠した。
自らの正義を信じてやまない輩は、過去の過ちは隠蔽したがる。それどころか、過去を美化することまで求めてやがる。まったくもって、胡散臭い連中だと思う。