誰もが残虐な拷問官になれる。
1960年代、冷戦の嵐が吹き荒れるアメリカにおいて、一つの実験がなされた。拷問用に作られた電気椅子に座らされた人が一人。その椅子に電気を流す装置のダイヤルを操作する人が一人。そして、電気を流すよう命じる指揮官が一人。
指揮官こそが、この実験の企画者であり、後は自発的に参加したボランティアだった。ごく普通の市民が大半で、戦争に反対する人はもちろん、拷問などという残虐な行為には嫌悪感を示すごく普通のひとたちばかりだった。
指揮官は電気を流す装置を操作する市民に、少しずつ電圧を上げるよう命じる。流れる電流に悲鳴をあげる被験者の姿に、皆一様にためらいをみせる。しかし指揮官が「責任は私がとるから、指示どおり操作せよ」と命じると、驚いたことに操作者は逆らうことなく、素直に電圧を上げる。
延べ60人以上を操作者に指定して、繰り返した拷問実験だが、この実験の発案者さえ驚愕したことに、誰一人指示に逆らうものはなく、命にかかわるギリギリの数値まで電圧は上げられた。
この実験の結果分ったのは、平和を愛し暴力を憎む普通の市民でさえ、自らに責任が及ばない状況では、平然と拷問をしてしまうことだった。つまり、誰もが残虐な拷問官になりうることを実証してしまったわけだ。
命令者と実行者の分離は、責任の所在を曖昧にさせ、階級により分断された組織のなかにあっては、本来あるべき倫理観でさえ麻痺してしまう恐ろしさを考えさせられた実験でもある。
表題の作品はタイトルとおり、内臓移植のために内臓を文字通り強奪して、移植による延命を望む患者に売り渡す悪魔の所業とでもいうべき犯罪を取り扱っている。
興味深いのは、強制的な内臓移植が犯罪と知りつつも、それに協力してしまう人たちの存在だ。内臓移植を受けなければ死なねばならない患者のため、という理由をでっち上げ、自らを天使の協力者と位置づけてしまう。すなわち、慈悲の天使ANGEL OF MERCYだと自分を納得させてしまう。原題「ANGEL MAKER」はその捩りでもある。
誰もが自分の行為を正当化しようとするものだが、本来の善意の臓器提供者(ANJEL)をその意思とは無関係に自らの欲望にまかせて無理やり臓器提供者に仕立て上げる犯人の、その卑劣な心理がうすら恐ろしい。しかし、なかなかに面白いミステリーであることは間違いない。機会がありましたら是非どうぞ。
1960年代、冷戦の嵐が吹き荒れるアメリカにおいて、一つの実験がなされた。拷問用に作られた電気椅子に座らされた人が一人。その椅子に電気を流す装置のダイヤルを操作する人が一人。そして、電気を流すよう命じる指揮官が一人。
指揮官こそが、この実験の企画者であり、後は自発的に参加したボランティアだった。ごく普通の市民が大半で、戦争に反対する人はもちろん、拷問などという残虐な行為には嫌悪感を示すごく普通のひとたちばかりだった。
指揮官は電気を流す装置を操作する市民に、少しずつ電圧を上げるよう命じる。流れる電流に悲鳴をあげる被験者の姿に、皆一様にためらいをみせる。しかし指揮官が「責任は私がとるから、指示どおり操作せよ」と命じると、驚いたことに操作者は逆らうことなく、素直に電圧を上げる。
延べ60人以上を操作者に指定して、繰り返した拷問実験だが、この実験の発案者さえ驚愕したことに、誰一人指示に逆らうものはなく、命にかかわるギリギリの数値まで電圧は上げられた。
この実験の結果分ったのは、平和を愛し暴力を憎む普通の市民でさえ、自らに責任が及ばない状況では、平然と拷問をしてしまうことだった。つまり、誰もが残虐な拷問官になりうることを実証してしまったわけだ。
命令者と実行者の分離は、責任の所在を曖昧にさせ、階級により分断された組織のなかにあっては、本来あるべき倫理観でさえ麻痺してしまう恐ろしさを考えさせられた実験でもある。
表題の作品はタイトルとおり、内臓移植のために内臓を文字通り強奪して、移植による延命を望む患者に売り渡す悪魔の所業とでもいうべき犯罪を取り扱っている。
興味深いのは、強制的な内臓移植が犯罪と知りつつも、それに協力してしまう人たちの存在だ。内臓移植を受けなければ死なねばならない患者のため、という理由をでっち上げ、自らを天使の協力者と位置づけてしまう。すなわち、慈悲の天使ANGEL OF MERCYだと自分を納得させてしまう。原題「ANGEL MAKER」はその捩りでもある。
誰もが自分の行為を正当化しようとするものだが、本来の善意の臓器提供者(ANJEL)をその意思とは無関係に自らの欲望にまかせて無理やり臓器提供者に仕立て上げる犯人の、その卑劣な心理がうすら恐ろしい。しかし、なかなかに面白いミステリーであることは間違いない。機会がありましたら是非どうぞ。