旅を安く済ませるには野宿が一番だ。
しかし、都会で野宿は難しい。危なくさえある。比較的安全なのは、やはり駅の待合室だ。私たちはステーション・ビバークと呼んでいた。略してステ・ビバである。駅には宿直員がいることが多いし、駅の傍には交番が設置されていることが多い。だからといってステビバが常に安全な訳ではない。
秩父や南アルプスへの登山口でもある甲府駅の待合室の夜は、登山者が始発バスを待つ仮眠所と化すことがある。その日も、新宿発23時55分(通称2355)の夜行列車から降り立った登山者たちが、大挙して待合室で寝袋を拡げて仮眠をとっていた。女性も数人混じっていたと思う。
魚河岸のマグロのように寝袋が並ぶ光景は、ちょっと異常に見えるのだろう。時折酔っ払いが迷い込んでくるが、その異様さに気圧されて逃げていく。時には絡んでくる奴もいるが、人数差が圧倒的なので、たいがいは事なきをえる。
厄介なのは、駅前の広場を改造したバイクで駆け回る暴走族たちだ。小遣いをせびりに来たようだが、20を超える寝袋の数に躊躇っているようだ。そのうち、交番から警官が数人やってきて、なにやら問答を繰り返すうちに退散したらしい。
やがて東の空が明るみはじめ、いささかの寝不足を抱えつつも起床して、始発のバスを待つ。そんなステ・ビバを何度もやっているので、私にとっては駅は絶好の仮眠の宿だった。
ただし、そんな私でもステ・ビバを避ける駅がある。その代表が大阪駅だった。事の発端は、同期のMである。この男、けっこう一人旅が好きで、WVで覚えたステ・ビバで長期合宿の帰りに貧乏旅行をやっていた。
そのMが大阪駅の待合室で仮眠を取ろうとしていると、話しかけてきた男性がいた。「君、いい身体しているねぇ、なにかスメ[ツやっているの?」と親しげに寄ってくる。どういうなりゆきかMは、その男性の家に泊まることとなった。M自身は何もなかったと言うが、我々は疑っていた。
朝起きたら、下着の位置がずれていなかったか?お尻がむず痒くないか?と執拗に尋ねたが、Mは断固否定していた。面白半分にからかっていたのだが、この手の話は他の大学のワンゲル部員からも耳にすることはあった。
ちなみにMは現在、2児の父であり、特段妙な性癖はないようである。
そんな話があったので、私も大阪駅でのステ・ビバは警戒して、結局カプセルホテルに泊まった。東京育ちの私にとって、大阪は見るもの、食べるもの全てが新鮮で興味はつきなかった。
あれは天王寺の動物園を見た帰りだった。新世界の繁華街は、浅草の下町を思い起こさせる雰囲気で、けっこう気に入った。通天閣近くのフルーツ・ジュースには閉口したが、安いテッチリやお好み焼きを満喫しつつ、商店街をうろついていた時のことだ。
通りのど真ん中に、数人の男性が集まって、露天売りしている商品を囲んでいる。怪しげな雰囲気が私を惹きつけた。きっとスケベなものに違いない。この手の勘には自信がある!
いそいそと近づき、人並みを縫って露天売りの商品を見てビックリ。裸の男たちが絡んでいる写真ばかりが並んでいた。お日様に照らされたこの時間帯に、よもやこのような怪しい売店が営業しているとは思わなかった。
唖然として、硬直していたら、誰かが私の尻をなでやがった。白状すると、ゾクっとするほどの怪しい快感が背筋を走った。
次の瞬間、私は全速力で走り出した。多分、100メートル走の自己新記録だと思う。あれほど必死で走った経験はない。どこをどう走ったか分らないが、気がついたら女学生の集団がたこ焼きを歩き食いしている風景が目に飛び込んできた。
急ブレーキをかけて立ち止まり、その場にへたり込んだ。女子高生たちの怪訝な表情を無視して、ほっと安堵のため息をもらした。やっぱり私は女性がいい。
子供の頃から、怪しい繁華街には馴れているつもりだったが、大阪は私の想像を超えた街だった。あな、恐ろし哉。絶対、大阪ではステ・ビバは出来ないと確信したものだった。
しかし、都会で野宿は難しい。危なくさえある。比較的安全なのは、やはり駅の待合室だ。私たちはステーション・ビバークと呼んでいた。略してステ・ビバである。駅には宿直員がいることが多いし、駅の傍には交番が設置されていることが多い。だからといってステビバが常に安全な訳ではない。
秩父や南アルプスへの登山口でもある甲府駅の待合室の夜は、登山者が始発バスを待つ仮眠所と化すことがある。その日も、新宿発23時55分(通称2355)の夜行列車から降り立った登山者たちが、大挙して待合室で寝袋を拡げて仮眠をとっていた。女性も数人混じっていたと思う。
魚河岸のマグロのように寝袋が並ぶ光景は、ちょっと異常に見えるのだろう。時折酔っ払いが迷い込んでくるが、その異様さに気圧されて逃げていく。時には絡んでくる奴もいるが、人数差が圧倒的なので、たいがいは事なきをえる。
厄介なのは、駅前の広場を改造したバイクで駆け回る暴走族たちだ。小遣いをせびりに来たようだが、20を超える寝袋の数に躊躇っているようだ。そのうち、交番から警官が数人やってきて、なにやら問答を繰り返すうちに退散したらしい。
やがて東の空が明るみはじめ、いささかの寝不足を抱えつつも起床して、始発のバスを待つ。そんなステ・ビバを何度もやっているので、私にとっては駅は絶好の仮眠の宿だった。
ただし、そんな私でもステ・ビバを避ける駅がある。その代表が大阪駅だった。事の発端は、同期のMである。この男、けっこう一人旅が好きで、WVで覚えたステ・ビバで長期合宿の帰りに貧乏旅行をやっていた。
そのMが大阪駅の待合室で仮眠を取ろうとしていると、話しかけてきた男性がいた。「君、いい身体しているねぇ、なにかスメ[ツやっているの?」と親しげに寄ってくる。どういうなりゆきかMは、その男性の家に泊まることとなった。M自身は何もなかったと言うが、我々は疑っていた。
朝起きたら、下着の位置がずれていなかったか?お尻がむず痒くないか?と執拗に尋ねたが、Mは断固否定していた。面白半分にからかっていたのだが、この手の話は他の大学のワンゲル部員からも耳にすることはあった。
ちなみにMは現在、2児の父であり、特段妙な性癖はないようである。
そんな話があったので、私も大阪駅でのステ・ビバは警戒して、結局カプセルホテルに泊まった。東京育ちの私にとって、大阪は見るもの、食べるもの全てが新鮮で興味はつきなかった。
あれは天王寺の動物園を見た帰りだった。新世界の繁華街は、浅草の下町を思い起こさせる雰囲気で、けっこう気に入った。通天閣近くのフルーツ・ジュースには閉口したが、安いテッチリやお好み焼きを満喫しつつ、商店街をうろついていた時のことだ。
通りのど真ん中に、数人の男性が集まって、露天売りしている商品を囲んでいる。怪しげな雰囲気が私を惹きつけた。きっとスケベなものに違いない。この手の勘には自信がある!
いそいそと近づき、人並みを縫って露天売りの商品を見てビックリ。裸の男たちが絡んでいる写真ばかりが並んでいた。お日様に照らされたこの時間帯に、よもやこのような怪しい売店が営業しているとは思わなかった。
唖然として、硬直していたら、誰かが私の尻をなでやがった。白状すると、ゾクっとするほどの怪しい快感が背筋を走った。
次の瞬間、私は全速力で走り出した。多分、100メートル走の自己新記録だと思う。あれほど必死で走った経験はない。どこをどう走ったか分らないが、気がついたら女学生の集団がたこ焼きを歩き食いしている風景が目に飛び込んできた。
急ブレーキをかけて立ち止まり、その場にへたり込んだ。女子高生たちの怪訝な表情を無視して、ほっと安堵のため息をもらした。やっぱり私は女性がいい。
子供の頃から、怪しい繁華街には馴れているつもりだったが、大阪は私の想像を超えた街だった。あな、恐ろし哉。絶対、大阪ではステ・ビバは出来ないと確信したものだった。