ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

早期性教育の是非

2009-04-08 12:30:00 | 社会・政治・一般
共産主義が世界に広まった要因に、虐げられた者に対する同情と虐げる者への怒りがあると思う。

その怒りを理屈立てて正当化したのが、マルクスの共産主義思想だった。本来平等であるべきものが不当に扱われるが故に、その不正を正す革命を正しい戦いだと定義付けた。

この考えに共感を抱いた人は多かった。今も昔も少数の権力者が、多数の被支配民を搾取することに変りはない。平等な社会があるとしたら、それは全員が極端に貧しい社会だけだ。経済的な意味で貧しいこと=不幸だと決定してしまうことへの異議はともかく、貧しいもの、虐げられたものを助ける戦いに正義感を熱く燃やした革命家を産み出し、歴史を変えた思想であったことは間違いない。

では何故、共産主義革命は失敗に終わったのか?

私は人間というものへの理解が乏しかったことが原因だと考えています。人には他人と同じであることに安心する一方、他人よりも良い状態でありたいと願う気持ちがあることを、マルクスは過少評価し過ぎた。人間はたしかに理性を有するが、情動にも左右される生き物である認識が、マルクスには甘かったと思う。

平等であること=理想社会と結論付けたことが間違いだ。努力した者としなかった者を平等に扱うことの不当感を無視した社会なんぞ、上手くいくわけが無い。旧ソ連や共産国家をみれば分るように、結果の平等を強いられた社会は、必然的に不正と裏ルートを産み出し、結果的に格差のある社会を育て上げた。

しかも、建前上は平等を獅ニするだけに、他人よりも良い生活を願う人々は不正な手段を用いざるえなかった。かくして共産主義の理想は形骸化し、その情報が公開されたとたんに崩壊の道を一気に辿った。

これが90年代に起きたベルリンの壁の崩壊に象徴される理想社会の失敗だった。

この失敗を見て見ぬふりをして、反省もせずに自分たちの善意と正しさを強行しようとせん輩が、現代の日本社会に暗躍している。

この人たちの特徴は善人であることだ。頭が良く知識過剰で、善意だけで世の中が変ると信じている。よく整理された知識に囚われがちで、長年の慣習とか風習の価値に否定的でもある。

彼らは、自分たちが理想とする社会を実現するため、政治活動に市民として活躍してきたが、いくら頑張っても選挙で多数派になれないことに苛立っていた。

ならば、無知な子供たちを自分たちの理想に染め上げて、自分たちの支持者に仕立て上げることを目指すようになった。俗に言う「自虐的歴史教育」がその典型だが、他にも「ジェンダー・フリー」という奇矯な思想がある。

男女の平等思想に凝り固まり、理想の実現のために現実を阻害することも辞さない正義の戦士たちが学校に蔓延っている。ところが、普通の学校では、その奇矯な教育に驚き呆れた父母からの抗議が相次ぎ、なかなか子供たちを自由に洗脳できない。

そこで彼らは特殊な環境で、自分たちの理想教育を施すことを目論んだ。それが養護学校でのジェンダー・フリー教育だった。閉鎖された箱庭で、彼らは思う存分、養護学校の生徒たちを洗脳することに勤しんだ。

その結果、養護学校の生徒たちが思慮なく、性行為を人前でする事態になり大騒ぎ。ついには都の議員たちが騒ぎ出し、規制に乗り出した挙句に、裁判となりました。、これまたバカな裁判官が奇矯な教育の中味はスルーして、政治の教育への干渉は駄目だと、洗脳行為にお墨付きを与える始末となった。

後日談ですが、ある養護学校の生徒が性行為(自慰)に夢中になり、その対処に困った母親がその相手役を務めることになり、家庭崩壊に陥った悲劇が起りました。しかしジェンダーフリー論者の養護学校の先生は、「家庭の問題」だと知らんふり。自分たちの善行に酔いしれ、結果の悲劇は無視しているようです。

裁判官の非常識はともかく、このジェンダーフリー教育の異常さは断固排除されるべきだ。性教育は身体と心がある程度育ってからなされるべきで、幼い子供や養護学校の生徒に安易に教えるようなものではない。

これは理屈ではなく、人間という生物が長年してきた智恵を優先すべきことなのだ。類人猿だろうと、イルカや鯨、シャチのような高度な知能を持つ動物たちは、群れという社会を作って子供たちを育てる。彼らは決して幼い子供たちに、安易に性行為をすることを許さない。

人間もまた同じ。思春期に入り、性機能が発達するようになると自然と性への関心が目覚め、社会のなかで自然に性の知識を蓄えていく。

私自身は、学校などで性教育を受けた記憶がない。もしかしたら保健の時間にあったのかもしれないが、当時の私は興味がなかったのですぐ忘れた。多分十代半ばくらいに、友達との猥談や、スケベな雑誌などから学んだと思う。これで十分だった。なんにせよ、実践が第一だしね。

人間という生き物は論理を尊ぶ理性を有するが、生き物としての情動も有する。性行為は後者に属するものだ。理屈だけでどうこうできるものではない。学校で教えるなら、性行為よりもその結果としての妊娠と出産、育児の大変さや、その責任の重さであろう。

ところが、ジェンダーフリーを支持する人たちは、頭でっかちで理屈だけで人間は変ると信じている。マルクス主義の失敗から学ぶ気もない。だから欧米でのフリーセックスの衰退や、早すぎる性教育への反省など知る気もないらしい。

反対すれども反省はしない、この困った人々は役所や学校に根強く生き残っている。お子さんをお持ちの方は、子供たちが学校でなにを習っているのか、よくよく気をつけたほうがいいと思う。
コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする