ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

ソマリアの海賊

2009-04-23 12:12:00 | 社会・政治・一般
当たり前のことだが、その当たり前が分らない人は少なくない。

国家機能が事実上破綻しているアフリカ北西部の国、ソマリアでは海賊業が大人気だ。欧米の搾取と冷戦終結のあおりを受けて、ソマリアは国家としては機能していない。政府も税務署も軍隊も警察も裁判所も仕事してない。

それでも人々は逞しく生きている。冷戦のおかげで武器だけは沢山ある。金がなくても、武器で脅し取ればイイ。貧しきソマリアの民が、富める欧米の船を奪って人質にとり、金を奪い、身代金をせしめてなにが悪い。ソマリアの民にだって生きる権利はあるんだ。文句があるなら機関銃を撃ちまくってやる。

このソマリアの海賊たちのおかげで、国家がなくともソマリアの民は大助かりだ。町には立派な家が立ち並び、市場に食糧が並び、日々の暮らしは豊かになった。実力で富を稼いでくる海賊たちは、ソマリアの英雄であり、ソマリアの誇りでもある。幼き子供たちは学校で勉強を習うよりも、荒野で武器の使い方を学ぶことに熱中するのも当然だろう。

武器があれば何でもできる。金も食糧も手に入る。これがソマリアの現実。

しかし、国際社会はそんなソマリアの横暴を許さない。ソマリアが国家として、海賊を取り締まれないのならば、軍隊を派遣してその横暴と戦い、商船やタンカーを守ろうとするのも、また当然の常識である。

いささか遅れはしたが、我が国もあわてて自衛隊の艦船を送り、現在警護活動に奮闘中と聞く。自衛隊の方々にあっては、大変な労苦だと思われる。是非とも無事に帰国していただきたいものだ。

一方、我が国においては、あいも変わらずオバカな主張を声高に叫ぶ輩が闊歩する。自衛隊ではなく、海上保安庁の船を送れ、警察で十分だと騒いでいる。

カンボジアの時もそうだったが、未だに警察と軍隊の違いが分っていない。拳銃の装備程度で、小銃すら標準装備していない警察官をソマリアに派遣してどうする。ソマリアに限らないが、あちらでは小銃どころか、機関銃やミサイルでさえ当たり前に使っている。そんなところに軽装備の警察官など行かせたら、かえって人質に取られるのがおちだ。いや、生きて帰れれば御の字だろう。

一応書いておくと、数世紀前に倭寇が朝鮮半島やシナ沿岸を襲った時、倭寇と戦ったのは警察ではなく軍隊だ。あの時代でさえ、強力な武装をかまえた海賊には、警察のような平時の治安組織では立ち向かえないのが常識だ。海上保安庁の艦船は、見た目は立派だが、相手が武装していることには対応できる装備ではない。軍と警察では機能が異なるのは、今も昔も変りはしない。

しかし、平和バカの平和絶対主義者どもには分らない、いや、分る気もない。戦闘がなければ平和だと思い込み、軍隊がなければ戦争は起きないと信じ込んでいる。だから自衛隊を派遣することに反対する。軍隊により平和が守られるという、当たり前の事実を見たくない。妄想の世界に逃げ込み、醜悪な現実を直視しようとしない。

いい加減、現実から目をそむける卑怯さから抜け出して欲しいものだ。大事なことだから書いておくが、軍隊という手段は劇薬と同じで使い方次第では毒にも薬にもなる。

だからこそ、法により軍を縛り、政府の統治下に置き、軍隊に適切な指示をだしてコントロールしなければならない。別に軍隊に限らないが、組織というものは本質的に肥大化し自立化を求める傾向がある。歴史を鑑みれば分るように、軍隊は自立化する傾向が非常に強い。だからこそ、軍を統制下に置くことは大事なことなのだ。

そのためには軍と政府及び国民との信頼関係の構築が非常に重要となる。一部とはいえ国民がいつまでも非現実的な妄想を騒ぎ立てては、軍が国家に不信感を抱くことになる。先の田母神氏の存在は、その一例に過ぎない。あれは決して好ましいことではない。

本気で平和を守りたいと願うなら、真面目に軍隊や戦争を学ぶべきだと私は考えています。断言しますが、どう憲法を読んでも、自衛隊は憲法違反です。いつまで違憲状態を見過ごすのか。法治国家として、実に恥ずべきことだと言わざるえません。違法状態を放置することの恐ろしさが分らない人は、もう一度なぜ旧帝国陸軍が政府の言うことをきかなくなったのか、よくよく勉強して欲しいものです。
コメント (5)
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