ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

藪山にて俳句を詠む

2009-12-04 12:48:00 | 旅行
私の大学4年間は、その大半がクラブ活動(ワンダーフォーゲル部)に費やされた。

私の他6人の同期がいるが、何故だか知らぬが揃いも揃って脳みそ筋肉の体育会系のバカが揃った。私だけはちょっと違うと思うが、周囲はそう思っていなかったようだ。

私は嫌いだが、根性とか気合とかは確かに必要だし、大事なことでもある。いくら精神を鍛えても、体力がついていかなければ役に立たないのも厳然たる事実だ。必然的に体力、根性路線まっしぐらとなる。

ちなみに私たちの一学年上の代と、一学年下の代はなぜか知的レベルが高く(例外もいたが)、根性体力路線は大嫌いであった。そのあたりの事情が、あの妙な合宿をやる羽目になった裏事情でもあった。

我が部では、毎年晩秋の時期に「リーダー養成合宿」をやっていた。過去2度の遭難死亡事故を経験しているがゆえに、リーダー層のレベル強化は、クラブの大方針であり、避けられぬ関門でもあった。

来年のリーダーである2年生にとり、この時期は来年度の運営方針を決める時であり、その意気込みを「リーダー養成合宿」で示さねばならない。

連日連夜、学生会館の一室ににて論議を重ねるうちに、話が妙な方向にぶれだした。私たちの個性を出さねばならぬと上級生から指示されたことが、事の発端であった。

元々上級生からも下級生からも体力・根性路線だと見られていたことに反発した我々は、このあたりで知的な面をみせてやろうと妙に意気込んだ。

その結果、山のなかで俳句を詠み、それを発表し合うという抱腹絶倒な企画が出てしまった。多分、連日連夜の議論で脳みそが疲弊して、溶けていたに違いない。

なにせ、これまで山の中で発する言葉といえば「気合入れろ!」「根性出せ!」「返事が小せい!!」と怒鳴ることしか能がない我々である。正直、企画を出した際は上級生から却下されるに違いないと思っていた節がある。

ところがだ、このへんてこりんな企画は通ってしまったのだ。困ったゾ。下級生からは抗議の声が上がったが、一番止めたいと思っていたのは、当の我々だった。

ちなみにリーダー養成合宿は半端な登山ではない。肉体的にも精神的にも極めて過酷な合宿なのだ。水場がほとんどない藪山に行くことが半ば義務付けられているため、2年の我々が背負うザックは45キロを超えた。しかも連夜の反省会のせいで、睡眠時間は一日3時間に満たない。

そんな状態で、しかも3年、4年のいじわるな看視つきでリーダーを務めねばならない。肉体的にも精神的にもボロボロの合宿なのだ。そんな最中に俳句を詠めと言われても、出来るかいな!

実際、合宿は始まってしまい、我々のパーティは静岡深南部の藪山で立ち往生していた。あまりに藪が濃く深すぎて、最終的には惨めに敗退を余儀なくされた。

ええ、やりましたよ、俳句作りを。見るのも嫌だった藪のなかで、頭を抱えつつね。おかしかったのは、散々嫌がっていた下級生や上級生までもが、けっこう真剣に俳句作りに没頭していたことだった。

後で発表された俳句を詠むと、けっこう力作が多く皆意外と楽しんでいたことが分った。ちなみに当の企画者である我々二年生の俳句が一番駄作が多かった。結果的に体力のみの学年であることを立証する羽目に陥った。

余談だが、どうしても俳句が作れないと執拗に抵抗していたのは、我が同期のMである。さすが脳みそ筋肉No1だが、わがままは許せず、仕方なく窮余の策で詩を書かせることにした。結果、凄くくさい詩を作っていたことが判明して爆笑。あんなロマンチックな詩を書く奴だとは思わなかった。

卒業後、Mの結婚式でその詩を読み上げてやろうかと持ちかけたら断固拒否された。むぅ、残念である。え?私の俳句はどうしたかって。忘れましたよ、あんな過去は。思い出したくもないですね。
コメント (5)
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