ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

妖星伝 半村良

2009-12-14 06:49:00 | 
自分の人生が価値なきものであることには耐えられない。

人生って奴は、気まぐれで無情なものだ。こんなに努力したのに報われてないと感じることは少なくない。降りかかる困難の雨にずぶ濡れとなり、苦悩が背骨のなかに浸み込んで拭えない。

もがいて、あがいて、倒れ伏して、遂には動けなくなる。もうじき尽きるであろう自らの命の灯火を感じながら、星空を見つめて思うのは、自分の人生の意義だ。

自分は何のために産まれ、何のために生きて、そして死んでいくのだろう?

作家・半村良はとんでもない答を導き出した。それが表題の作品だ。

それは壮大な実験であり、悲壮な覚悟の下になされた残酷な結論でもある。だが、どうしても伝えねばならぬ使命がある以上、断固たる決意をもってなされた妖しき手段であった。

或る意味、衝撃的な結論だった。私はこれほどまでに絶望的な答を他に知らない。光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」以上の衝撃だった。

地球に生きる全ての生き物は、その目的を果たすための手段であり、土壌であり、餌でもあった。それだけの存在なのか。絶望的な答であることは間違いない。

だが、餌であり、肥料であり、踏み台に過ぎぬことを知っても、人は生き続ける。定められた道ではあっても、自らの意志で力強く歩むことを止めない。

沢山の登場人物が登場するが、私が一番好きだったのが一揆侍である栗山だ。圧制に苦しむ農民たちのために、一揆のノウハウを指南して助ける浪人でもある。どんなに努力しても、この世の中が変わらないことを知りつつも、己の良心に従い貧しきものを助けることに身命を捧げることを止めない。

報われぬ絶望的な使命と知りつつ、一揆侍として奔走する。そして裏社会を生きるものとして、この惑星に生きるものの隠された理を知ってもなお、力強く生きることが出来る心の強さを持つ。

栗山もまた餌であり、肥料であり、踏み台に過ぎない。だが、栗山は決して挫けない。最後には穏やかな笑顔を浮かべて「この星が好きだ」と呟いて人生を終える。

たとえこの星が妖星だとしても、この星に生まれた一人として、この星を愛して人生を全うしたいものだ。私は直木賞作家でもある半村良の代表作は、これだと信じています。長編ではありますが、未読でしたら是非ともトライしていただきたいと思います。
コメント (2)
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