先月、取り上げたアドリアン・アドニスだが、実のところシングルでプロレスをするより、タッグを組んでのプロレスの方が多かった。
マードックやジェシー・ベンチェラ(後に州知事に転進)らが相方として有名だが、一番似合っていて、しかも最悪のパートナーがボブ・オートンJRであった。
通称マンハッタン・コンビ。NYの裏町を仕切る不良若者グループを気取ったコンビであった。銀のスパイクが煌く黒い革ジャンを着たアドニスには、たしかに不良の匂いが漂った。ファイトぶりも不良の喧嘩を思わせるもので、よく似合っていた。
一方、相方のオートンJRは、いささか趣が異なる。父親は有名なプロレスラーであり、レスリングやボクシングの経歴を持つプロレス・エリートでもある。ただ、得意なのは喧嘩であったようだ。だからアドニスと気が合ったのかもしれない。
この二人が繰り出す合体技は、当時のプロレス・ファンを驚愕させるほどダイナミックなものだった。二人の巨漢が、その長身を利して考案した合体技の多くが、後々まで影響を与えるほど革新的でもあった。
この脅威の合体技の多くが、オートンJRのアイディアから生まれたものであるらしいことは、後になって分った。オートンと別れてからのアドニスは、合体技を新たに産みだすことはなかったからだ。
つまりオートンJRは、単なる二世プロレスラーではなく、アイディアに富んだ才能あふれる男であった。そう、間違いなく才能はチャンピオン級であった。
しかし、オートンJRがプロレス界で頂点に立つことはなかった。才能も実力もありながら、それは許されなかった。なぜなら、オートンJRは本物の不良であったからだ。
いや、不良などという言葉では甘いかもしれない。私が噂を聞いたのは、80年代末のことだ。新日本プロレスの興行中、なぜかオートンJRが急にアメリカに帰国してしまった直後だ。ちなみにアドニスは残っていた。
なにが起きたのか?
私が当時、耳にした噂だと相当悪質な暴行事件を起したらしい。それは新日本プロレスをもってしても隠し切れないほどのものであったらしい。「・・・らしい」としか書けないのは、事実が公表されることはなかったからだ。
才能があり、人気もあったオートンJRだが、アドニスをはじめ外人レスラーたちもかばいきれないほどの事件であったらしい。その直後から、インタビューなどでもオートンJRの名前が挙がることはなくなった。
単に日本でだけ羽目をはずしたのなら、アメリカで活躍できたはず。しかし、アメリカにおいてさえオートンJRがビックタイトルを手にすることはなかった。
優れた才能を持ちながらも、どうも素行が悪いことがネックとなり、トラブルが絶えなかったことが原因だと思う。残念に思わないでもないが、プロレスラーといえども一人の社会人であり、守るべきものはあるはず。
よくぞまあ、裏社会に行かなかったものだと思うが、あれだけの才能を持ちながらも、決して大きな舞台で花咲くことがなかったことは、自業自得としか言いようがない。