「いじめ」という行為の残酷さが分るには、虐められた立場にならないと分らない。
私が初めて、いじめを受けたのは転校先の小学校であった。もっとも当初は普通に受け入れられた。おかしくなったのは、妹の幼稚園で法定伝染病騒ぎがあって、その余波で私も入院した後であった。
私以外でも数人感染した同級生がいたが、彼らは「いじめ」の対象とならなかった。狙われたのは、転校生であった私一人であった。
ただ、その時は担任の先生がしっかりしていたので、そのいじめが拡がることはなかった。私はほっとしたが、それは水面下に隠れただけであることを後日、思い知らされた。
4月になり進級しての新しいクラス担任は、世間知らずの夢見がちな理想主義者であった。世界の人々が手をとりあって、にっこり笑顔を交わせば、世界から戦争がなくなるなんて公言するオバカちゃんであった。
米軍基地の隣町で育ち、白人の悪ガキどもと険悪な喧嘩をして過ごした私には、到底理解できぬものであった。この夢見る青年教師は、現実を直視する勇気はないくせに、自分を軽視する私には気づいていやがった。
当然に私を嫌い、私もこの教師を嫌った。その空気を読んだクラスメイトが、再び私をいじめの標的にした。やられたら、やり返すのが常識の街で育った私は、一対多数なら道具を使うのは当然と思っていた。
だから、ズボンのポケットに忍ばせた小石を握りこんで、私にちょっかいを出すクラスメイトをぶちのめした。小石の角でおでこを切り裂いて、顔面血まみれにして泣かしてやった。一応言っとくが、先に手を出したのは奴らだ。
事情を調べる気もない教師は、一方的に私を悪いと決め付けて叱りつけた。私は反省する気など、まったくない。翌日から、虐めは激しくなるばかり。私も何度となく泣かされた。やはり多数相手では勝てない。
それでも放課後、帰宅途中で一人になったところを見計らって、やり返してやった。おかげで交番にしょっぴかれる羽目に陥った。引き取りにきたおばあちゃんには、一言もいい訳しなかった。
離婚後働きに出るようになった母を煩わすわけにはいかないし、妹たちを巻き込むわけにもいかない。不思議なことに、おばあちゃんはそんな私を叱ることはなかった。
あの頃、家庭以外のすべてが敵に思えた。今にして思うと、補導した警官のなかには私に同情的な人もいたと思うし、前年の担任の先生も口ぞえしてくれたとようだが、私の目には入らなかった。
教育委員会に顔が利く伯父や、母や祖父母たちの話し合いの結果、私たち一家は引っ越すことになった。引っ越した先では、私は借りてきた猫よろしく大人しくなった。まじめにもなった。もう、虐めはたくさんだった。
引っ越したことで、逃げ出したことで、私はようやく心の平静を得られた。子供のいじめは、無邪気に残酷で、無意味に過酷で、無神経に過剰にすぎる。
逃げられた私はいい。では、逃げることの出来ない子供はどうする?
ボストン郊外の静かな海辺の村で、盲目の少女がいじめにより死に追いやられた。盲目の少女が抱いた恨みは、決して消えうせることなく、その村に濃密に残った。それを知らずに引っ越してきた家族は、いつのまにやら盲目の少女の怨念に染められていく。
不気味な物語を書かせたら絶品のジョン・ソール渾身の一作です。厳しい残暑を忘れさすほどの恐浮。わうには、最適の一冊かもしれません。機会がありましたら是非どうぞ。