台風が襲来した夜は、なかなか寝付けない。
窓ガラスの隙間から響く風切音が耳をつく。吹き荒れる風に乗って雨粒が窓ガラスに叩きつけられる。時々、強風が窓ガラスそのものを揺さぶり、そのガタガタ音がなると、外を覗き込まずにはいられない。
そんな寝不足気味の朝は、決まって空が晴れ渡る。だが、台風の被害はそこかしこに見受けられる。被害を受けた方には申し訳ないが、そんな朝は少し浮き浮きしながら、朝の散歩に出かける。
20年前当時、私は長期の病気療養中であり、体力をつけるために一日2時間程度の散歩を欠かさないようにしていた。その日は、台風の残した傷跡を見てみたくて、わざわざ玉川上水沿いの遊歩道を散歩した。
さすがに増水の跡も生々しいが、あちらこちらに倒木があって強風の凄まじさを見せ付けてくれた。遊歩道沿いの小さな神社に近づくと、人が集まっている。
神社の社のなかに聳えていた楢の木が倒れている。神社の社を避けて、倉庫の上にかぶさっている。20メートル近い長さがあるので、取り除くのも大変だと思われる。
ところで、人が集まってなにやら騒いでいるようだが、どうも当リのことではないらしい。近寄ってみて、話好きそうなお爺さんを見つけて、訊ねてみると、なんでも隣の家のご主人が亡くなったとのこと。
さすがに驚いた。この家は近辺では有名な大地主であり、うるさ型で知られた人だ。余談だが、この近所にある私の実家のトイレが、長いこと汲み取り式であったのは、下水道敷設に反対していたこの大地主がいたからだ。
とにかく変わり者で、たしかこの神社の神主さんとも隣同士でありながら犬猿の仲であったと聞いていた。私の記憶に間違いがなければ、不仲の原因は、この20メートルを超える巨木の落ち葉だったはず。
毎年、秋になるとこの楢の巨木は大量の落ち葉を舞わせる。その落ち葉が自分の敷地内に落ちてくるのが不満で、神社に毎年苦情を申し立てていたことは、自治会の会合などで聞いていた。
その苦情は年を追うごとに厳しくなり、勝手に切り倒そうとして、一時は警察も出動するほどの騒ぎになったこともあるくらいだ。この近所は比較的緑に恵まれた風光明媚な場所であり、落ち葉は風物詩に過ぎず、この大地主の我が侭は非常に評判が悪かった。
話好きのお爺さんが語るところによると、大地主が亡くなったのは、丁度この楢の巨木が倒れた同時刻とのこと。お爺さんは訳知り顔で「きっと、楢の木さんが道連れにしたに違いない」と肯いていた。
俄かには信じがたいが、近所の人たちは本気でこの道連れ説を信じていた。なにぶん、この近所では名士なので、うちの自治会でも葬儀に手伝いを出していた。
直後の自治会の会合では、この道連れ説で皆が勝手を言い合っていて、まともな会合にならなかった。普通に考えれば、台風という大きな低気圧が通過し、気圧の低下により体調を崩して亡くなると考えるほうがまともだと思う。
あれから20年近くが過ぎたが、神社の境内には新しく楢の木が植えられ、すくすくと育っている。大地主の家は、なにがあったのが更地にされて、今は数件の分譲住宅が建っていて昔の面影は無い。
近所の人たちは、楢の木さんの呪いだと訳知り顔で噂していた。多分、相続がらみの争いがあったのではないかと、私は推測しているが、本当のところは不明だ。
私がちょっと不思議に思っているのは、神社の神主さんだ。実はまだご健在だ。もう80を超えているはずだが、そんな年には見えないぐらい元気に庭掃除をしている。
新しく植えた楢の木を、大事に育てている様は、見知らぬ人には微笑ましい光景なのだろう。でも、私にはちょっと不気味に思える。多分、あれ以来、若返った気がする。まァ、それだけ隣宅とのトラブルはストレスだったのでしょうがね。
でも、さすがに台風を拝むようなことはしてないらしい。それでも、台風などが通過した後で会うと、妙に生き生きしているのは私の見間違いかな。台風一過の快晴って奴は、なにも天気のことばかりではないようですね。