仕事柄、税務署という官庁と言い争うことが多い。
税務署というのは、税金という国家に欠くべからざる必要な財源を徴収する部門だけに、決して好かれる役所ではない。だからこそだろう、そこで働く人たちは、自分たちの仕事が国家を支えているとの使命感を持っている。
それは狭い意味での正義感を育むせいか、話の分らぬ輩が多い。正義感という奴は、アルコール度数の高い純米酒みたいなもので、飲みすぎると強く酩酊する。
そして翌日になると、激しい頭痛を伴う二日酔いに悩まされるが、それでも酒を飲むことを止められない。酔わねば、やってられないのかと邪推したくなるほどだ。しかし、当人たちは、正義感に酔いしれているので、自分を疑うことをしない。
おかしなもので、酒を止めた時、すなわち官庁を退職すると、そこで初めて酩酊することの愚かさを自覚する。いや、現職時代も気がついていたのだろうが、それは胸に深く秘めて、退職するその日まで仕舞いこんで置くらしい。
だから、退職したOB官僚と親しくなると、思わぬ本音を聞かされることがあり、時として唖然としてしまうことがある。
なかでも忘れ難いのが、「仕事の出来ない奴ほど、法令や通達にしがみつく」との一言だ。まったくもって同感である。
完璧ならざる人間が作成した法令や通達が完璧なわけがない。常にたゆまぬ変化を続ける社会に対して、法令は必然的に時代遅れ、現実離れしたものとならざるえない。
だからこそ、行政は法令を適切に解釈して、世の中を円滑に回していかねばならない。ところが、法令が作られた背景、通達が出された経緯を無視して、字面だけを捉えて四面四画の判断に逃げる役人は少なくない。
物事の本質を捉える苦労から逃れて、安直で卑怯な仕事をする輩であり、社会のため、人のために仕事をするのではなく、自分のためだけに仕事をする輩でもある。
誰だって変化する状況に適切に対応してくのは、たいへんな労力を要する。鬱っとおしいと感じるほどの努力が必要だし、その努力に対する見返り(昇進や昇給)は乏しい。
しかし、権限がある以上、その権限に見合う責任はある。その責任から逃れて、過去の事例にしがみつき、新しい状況の変化をないものとみなして、偽りの安堵に逃げ込む。
これは役所に限らない。会社でも、学校でも、そして家庭でも、どこにでも、この手の安直な前例固執、現実無視は生じている。決して他人事ではない。
そんな、硬直化した社会に、自ら「キ印」となりて、道化を演じて世の中に笑いと混乱をもたらすのが、表題の作品の主人公だ。
こんな作品こそ、博学にして、既成の常識の枠を微妙に飛び越える中島らも氏の独壇場であろう。単に知識があるだけの人や、偏差値が高いだけの人には書けない作品です。
ちょっとプロレスや格闘技の知識がないと、十二分には楽しめないと思うので、そこだけが残念。でも、知らなくても十分楽しめる作品だと思います。