裏方の反逆、それが藤原喜明だ。
アントニオ猪木が海外へ遠征するときは、必ず藤原を伴った。未知の強豪とぶつかる時は、まず藤原に相手をさせて様子を伺った。また、腕試しに新日本プロレスの道場に乗り込んでくる奴等を相手するのが藤原の役目だとも言われた。
あまりに強すぎてプロレス業界から干されてしまったカール・ゴッチの許に修行に出て、ついにはゴッチから我が子同様に可愛がられ、またそのレスリング技術を伝承された実力者として知られていた。
しかし、藤原はあくまで新日本プロレスの中堅レスラーに留まり、決してメインイベントに出ることはなかった。理由は簡単にして明白。顔が地味だったからだ。明らかに華やかさに欠けていた。
妙に思う方もいるかと思うが、プロレスは格闘演劇。やはり見映えは重要な要素となる。藤原が強いことは、プロレスの試合を会場で生で観ている人なら、大概が納得できるはず。だが、メインイベンターとなるのには、どうしても外見的な華やかさが足りなかった。
せめてオリンピック出場とか、柔道日本一とかの肩書きがあれば良かったのだが、藤原は町の喧嘩自慢がプロレス入りしたような無頼漢であっため、肩書きなどないに等しいものであった。
ただ、その実力は本物であった。プロレスの試合で、藤原を痛めつけ、堂々勝ち名乗りを上げた有名外人レスラーが、控え室や道場では藤原にご機嫌伺いをたてていたことは、プロレスファンなら有名な裏話であった。
大金を払って招聘した外人レスラーを使って観客を集める以上、彼等を引き立てる役割は重要だ。この引き立て役は弱くては駄目だ。弱いと外人レスラーを増長させて、結果的に下手な試合を演じさせることになる。
其の点、藤原は受身が上手く、関節技の名手であり、しかもガチンコの喧嘩ファイトにも強かった。初めて来日させた外人レスラーは、試合に上がる前に道場で藤原にコテンパンに痛められ、その実力差を思い知らした上でリングに上げた。
こうなると下手な試合をすれば後が怖いと外人レスラーが肝に銘じてリングに上がる。観客を喜ばす試合を演じるには、藤原のような実力在る中堅レスラーが必要不可欠であった。
しかし、如何に実力があろうと、外見が地味な藤原は中堅のレスラーで終わるはずであった。そのはずだった。だが、一人の若手レスラーの反逆が、彼の心にさざなみを引き起こした。
それが長州力だった。アントニオ猪木とその一番弟子の藤波辰巳に対して公然と牙を剥いた長州は、一躍時代の波に乗って人気を博した。藤波の下風に置かれて、三番手の男であることに我慢できなかった長州の姿に「俺だって」と心燃やしたのが藤原であった。
プロレスファンは、これまで地味な中堅に甘んじた彼の反逆に驚き、そしてテロリスト藤原の名称を与えて彼を応援した。本物の格闘技志向を持つ前田や佐山(タイガーマスク)、高田、山崎らと集い、ここにUWFの母体が生まれた。
その後、UWFの設立と倒産。藤原組の発足などいろいろあったが、事業として成功したとは言い難い。だが、この地味な役回りを演じていた男の、意地の反逆は多くのプロレスファンに大きな感動を与えたことも事実だ。
実は藤原氏、絵画の才能に恵まれている他、演技力を買われての映画出演(もちろんヤクザ役)もしている多才なお方。趣味の盆栽はプロ級であり、歌も達者だと聞いている。
私としては、地味ながら実力ある中堅役の藤原喜明がお気に入りであったが、それでも男として敢えて立ち上がった彼の気持ちは分らないでもない。
誰だって一度はひのき舞台に上がって喝采を浴びたい時がある。それを見事にやってのけた男、それが藤原だった。忘れがたき名レスラーであった。