季節の変わり目には、異様に早起きになることがある。
とりわけ春と秋に、妙な時間に目が覚めてしまう。明け方というには、まだ少し早すぎる。さりとて深夜ではない証拠に、窓から覗ける夜空は暗くはあっても、濃い闇は既にない。
薄明と言われることが多いが、うっすらと闇が消えて、ほんのりと明るい空がまだ見えないのに、それが来ることが分る時間帯。夜でもなければ昼でもない。朝というには早すぎるが、夜というには暗さが足りない。
夜でもなければ、昼でもない微妙な時間帯。古来より怪しい時間帯だとされる一方で、清々しい時間だともされる。
一神教が普遍的な欧米では、物事を悪と善、正義と邪悪といったように二分化して考える。だから悪魔はあくまで邪悪であり、神は絶対無二の正義の存在だと割り切ってしまう。
しかし、多神教があたりまえのアジアにおいては、そのような二分化した考え方はしない。だからこそ、悪とは言い切れない魔物。あまりに我が侭な神様も珍しくない。
なにが正しいのか、あるいは間違いだと断言できるのか。そんな曖昧さを包容した価値観が、善悪入り乱れた多様な神々と魔物たちを産み出した。
表題の作品なんか、欧米やイスラム社会では絶対に出てこないと断言できる。タイトルだけ読んで、シナの孔子様がフォースの暗黒面に墜ちたと勘違いするかもしれないが、そんな単純な物語ではない。
黒と断じるにはあまりに明るく、白と言い切るには黒い澱みが深すぎる。この作者には「妖怪ハンター」や「西遊妖猿伝」など変わった作品が多い。
漫画ではあるが、その画風はあまりに独自すぎて継承者がいない。類似の作品さえ稀だ。一応、伝奇漫画の部類に入ると思うが、その不気味さと怪しさはあまりに独特すぎて、一度読んだら忘れられない。
もし手に取る機会があったら、是非とも読んでいただきたい。私は物事を二つに無理やり分類してしまうより、曖昧な部分を残したアジア的価値観のほうが好きです。悪や善といった価値観では図れない不思議な物語を是非、どうぞ。
なお、画像では「暗黒神話」となっていますが、中身は「孔子暗黒伝」です。連載時と単行本刊行時に出版社の意向でタイトルが変更されていたのです。その後、もとに戻っているはずですがね。