夜遊びは楽しい。
私が通った世田谷のS中学は、都内屈指の不良学校と噂された。小学6年生の頃、住所により進学する中学が決められるのだが、可愛いわが子がS中学に通うのを恐れる一部の親が、わざわざ住民票を移して他の中学校に進学するよう工作していたぐらいだ。
実際、通ってみると、たしかに先輩たちには怖い人が多かった。なにせ、中学の隣は朝鮮学校であり、彼等との争いは洒落にならない過酷な喧嘩であった。必然的に武闘派が増える。
しかし、校内は不良学校とは程遠い静かな環境であった。理由は簡単で、先生たちが恐ろしく強くて怖かったからだ。校内暴力とは、先生が生徒をボコる時の用語だと、私なんぞ信じ込んでいたぐらいだ。
噂では、教育委員会のお偉方が、S中学の不良対策に腕っ節が強くて、強面の先生方を送り込んだらしい。事実、ほとんどの先生方が国体やインターハイに出た経験がある体育会系か、柔道や剣道の有段者ばかり。
世田谷区の教職員対抗運動会では、毎年ぶっちぎりで優勝であった。例外は音楽の先生ぐらいだが、女性教師だって相当な猛者ばかり。
逆ギレして木刀もって女性教師に襲い掛かった女生徒を、傍にあった鉄製のゴミ箱で迎え撃って、めったくそに叩き潰した事件は、今もって忘れ難い。ちなみに、その女性教師は、なぎなたの有段者だったそうだ。強いはずである。
私自身、日大相撲部の出身である担任の先生に、張り手で吹っ飛ばされて保健室に運び込まれたことがある。あの中学の保健室は、いつも先生にぶっとばされた生徒たちが連れ込まれていた気がする。おかげで、保健の先生には頭が上がらない。
とはいえ、昨今の暴力教師たちとは一味も二味も違って、大怪我をした生徒は皆無であった。自身がしごきを受けて育った先生たちは、しっかりと怪我しないように手加減して体罰を加えていたからだ。
何度か、ぶっとばされているうちにバカな生徒たちも気がつく。先生が手加減していることを。そして痛い目に遇うのは、自分が悪いことをしていたからだと。
だから、卒業の時には本気で先生との別れを嘆き、涙する生徒は珍しくなかった。その多くが、先生たちに殴られ続けた問題児ばかり。
大人、とりわけ先生に対する不信感を強くもっていた私ではあったが、あの中学の3年間は先生に恵まれたと思っている。とりわけ忘れ難いのは徹夜授業だ。
だいたい金曜日の夜に学校に集まる。夜食は持参であり、担任の先生の監督下で、夜の授業が始まる。一応は・・・
そう、楽しいのはそれからだ。まず体育館でのバレーボール。屋上に上がっての星空観測。あとは教室で皆、適当に座っての徹夜のお喋り。
先生の学生時代の話や、嬉し恥ずかしのみんなの自白タイム。深夜ラジオに耳を傾けて、時には笑い、考え込む。いつも一人で聴いていた深夜放送が、みんなで聴くとまるで印象が変わる。やがて東の空が明るくなるまで一晩中、先生公認の夜遊びを満喫した。ほぼ、全員が参加した。
もう、なにを話したかも覚えていないが、昼間とは違う夜の学校にドキドキしながら、一晩を楽しく過ごしたことだけは、今も忘れずにいる。
たぶん、今ではもう管理責任とか親の介入で無理だと思うが、当時の先生たちは厳しいだけでなく、生徒たちを遊ばせる余裕をもっていた。
私はあの悪名高きS中学に通ったことを、けっこう誇りに思っている。ほとんどの級友とは疎遠になってしまった今も、あの時代を懐かしく思えることは幸せだと思うな。