日本の子供たちならば、藤子不二雄の漫画を読んだことがないなんてありえない。
ただ、好きかどうかは別問題。ただ働きの便利屋(ドラエモン)とか、目立ちすぎの忍者(ハットリ君)なんかは、読んではいたが、それほど好きではなかった。
いや、決して嫌いだったわけではない。小学一年生とかの雑誌に連載されていた漫画は、そりゃ丹念に読み込んだものだ。ただ、単行本を買ったことはないと思う。
なんというか、無難すぎて危うさに欠けるところが、のめり込めない理由だった。そのせいだろうが、PTAなどが悪質漫画の排除に金切り声を上げていたときも、一連の藤子不二雄漫画が槍玉に上がることはなかったと思う。
そう、私は良識ある大人たちが読ませたくないと思うような漫画のほうが好きな子供だったのだ。
そんな私だが、表題の作品だけは忘れずにいる。主人公の怪物君が、親友のヒロシを連れて禁じられた怪物王国へ行った時だ。怪物君の父親である怪物大王に、ヒロシの顔を見られてしまったのだ。
その瞬間、親友のヒロシは石と化してしまった。生きた人間を連れてきてはいけないという掟を破った怪物君が悪い。だが、好きな友達に自分の郷里をみせたい気持ちを抑え切れなかった。その結果、親友を石にされてしまった。
怪物魔王である父親の足元に喰らいつき、泣きながら怒る怪物君。怪物王国の王として、なすべきことをしただけだが、子供の泣き叫ぶ姿に苦しむのは、人間と変わらない。
父親として、子供の気持ちが離れていくのを感じ取った怪物魔王が、思わず流した一滴の涙が奇跡を起す。その涙をかぶったヒロシの石像が、みるみる元の人間の姿に戻っていく。
数多ある怪物君の漫画のなかで、唯一私の記憶に残ったストーリーだった。
私が小学2年の時に、父母は離婚している。その後、日本を離れた父とは、まったくの音信不通であった。再会したのは、私が学業からおちこぼれ、夢も目的もなく、ただその日一日を怠惰に過ごしていた中学2年の冬だった。
どうも、数年ぶりに帰国してみたら自分の父母は既に他界していたそうで、さすがにあの仕事男も愕然としたらしい。そこで気になったのは別れた子供たちのこと。
興信所を使って調べた結果に驚いたらしい。どんな報告がいったのか知らないが、あの当時の私の素行を思えば、ろくなものではあるまい。
かなりの疑心にかられた私と渋谷で再会したが、さすがに泣くことはしなかった。でも、必死の思いで、父親として出来ることをしようと語り掛けて来る気持ちだけは、依怙地な私にも感じられた。
その時、父から進学費用にあてるようにと、かなりの額の通帳を渡された。すべて母に渡してしまったが、あのお金があったからこそ、私は高校にも、大学にも通えた。
遠い異国の地で働きながら、必死で貯めたお金なんだと思う。その思いが感じ取れたからこそ、私は夜遊び仲間と縁を切り、堅気の世界に移ることが出来たと思う。
お金は大事だ。でも、そのお金に込められた気持ちのほうが大切だった。幼い時に離別した父の気持ちに、はじめて触れたのが、あの渋谷での再会だった。