なにがあったんだ、パーカー先生。
イギリスの新進気鋭のホラー作家であるクライブ・パーカーーといえば、血と内臓が撒き散らされるスプラッタ・ホラーの大家である。「ミッドナイト・ミートトレイン」を初めとして、読者をのけぞらすようなホラーを次々と発表してきた。
そのバーカー、渾身の大作が表題の作品。はじめて読んだ時は、戸惑いと違和感を禁じえなかった。これはいったい、なんなのだ?
まず、ホラーではない。SFの匂いも濃厚だが科学性の欠片もない。大人向けのファンタジーと言われれば、一応肯きたくはなるが、確信は持てない。さりとて官能小説では断固無い。
強いて言えば、驚くべき実験小説なのかもしれない。
ホラー小説の醍醐味は、恐怖を揺さぶられることにある。如何に人間の恐怖に訴えるか、それこそがホラー作家の挑むべき荒野であった。
キング、マキャモン、クーンツ等多くの作家が、この荒野に挑み、荒地を切り開いてきた。ただ、最近妙な傾向があって、ホラーがファンタジーに融合しつつある。しかもSFまでもが混ざりつつある。
その先鞭をきったのはキングだと思うが、まさかバーカーまでもが後を追うとは思わなかった。一言で評すれば、新たな世界観の創造なのだと思う。
私には新たな創世記の記述としか思えなかった。欧米の作家には、とりわけSFとホラーにおいては、キリスト教的世界観からの離脱を目指したものが少なくない。
すなわち、キリスト教の価値観、倫理観が通用しない世界こそ、彼等欧米人にとっては最大の恐怖なのかもしれない。そうでもなければ、このような新たな世界の創造にバーカーが渾身の筆力を傾けるはずがない。
キリスト教的価値観とはいささか離れた世界に住む、一日本人としては、このような作品には困惑を覚えずにはいられない。
表題の作品は、バーカー自身はもちろん、編集者や出版社も最大の傑作だと思っているのだろうが、八百万の神々の住まう国の原住民には、共感することは難しいといわざる得ません。