たまに転びそうになることがある。
私はつま先を蹴りだすように歩く癖があるので、つま先がなにかに引っかかると、たちまち転びそうになる。もう少し正確に言えば、つま先が引っかかった時に踏ん張る力が弱いのだ。
なぜ踏ん張る力が弱いのかといえば、それはおそらく子供の時に何度か踵の骨にひびが入ったからだと思う。無鉄砲な子供だった私は、高いところから飛び降りるのが好きだった。
しかも、よく考えずに飛び降りる。地面が土ならともかく、石畳の上に飛び降りて踵の骨にひびを入れたのが最初だった。その後、なにを考えていたのか、下駄をはいて3メートル近くを飛び降りた。
当然に下駄は、真っ二つに割れたが、その際再び踵の骨にひびが入っていた。その後遺症だと思うが、足首の可動域が広がり、かなり柔軟な足首となった。ただし、支える筋力が弱いのか、どうも踏ん張れない。
だから、ちょっとした出っ張りや、溝に足を取られて転びかけることが少なくない。傍から見ると、かなりみっともないようだ。
でも、あまりコンプレックスは持っていない。何故ならメリットもあったからだ。
私はあまり足は速くない。20の頃でさえ100メートルを14秒台で走るのがやっとだった。このタイム、運動部系の男子としては遅い部類に入る。
出だしの20メートルくらいなら、100メートル12秒台の奴等とタメを張れるくらいの瞬発力はあった。ところが、その先が伸びない。だから平凡なタイムしか出せなかった。ちなみに中距離、長距離はまったく苦手。
ただし、それは直線の話。トラックを廻るようなコースだと、私は自分でも驚くほど早いタイムを出すことがあった。足首が柔らかいので、コーナーで減速をせずに駆け抜けるのが得意だった。
そのことに気がついたのは、中学3年の秋の運動会であった。私の出身中学は、都内でも有名な不良学校であったが、それは放課後の話。不良対策用に腕っ節の強い先生がゴロゴロしていたので、悪たれのガキどもも校内では大人しかった。
なにせ先生方のほとんどが、インターハイの経験があるか、あるいは武道の黒帯ばかりなのだ。当然に運動会は先生たちが異常に気合を入れてくる。クラス対抗戦で勝って得点を重ねるため、放課後は担任直々の指導の下、練習を強要されるのだ。
鈍足な部類の私は、いささか居心地が悪いものだが、放課後の練習中にクラスメイトの一人から、「ヌマンタ、お前の200メートルのタイム、けっこう良いぞ」と言われて驚いた。
自分は足が遅いと思い込んでいたので、かなり驚いたが、タイムはたしかに悪くない。そのため、急遽100メートル走からはずされて、200メートルにエントリーすることになった。
ただ、200メートル走には、同学年でも俊足で有名なMとTが入っていて、私は3,4番手争いを狙うよう指示されていた。私は足が遅いと思われていたので、他のクラスの参加メンバーからは、まったくのノーマークであった。そのせいか、けっこう気軽というか、ストレスなく運動会を迎えることができた。
スタートの合図でいっせいに飛び出す。自分でも驚いたことに、最初のカーブを駆け抜けた時は三番手を走っていた。よし!このまま頑張ろうと思っていたら、私の数メートル前で身体をぶつけるかのような激しいトップ争いをしていたMとTが足をからめて、二人同時に転唐オた。
私は巻き込まれそうになりながらも、かろうじてすり抜けて、気がついたら一位でゴールを駆け抜けた。幼稚園からこの方、かけっこで一番になったのは初めてだった。
本来なら、小躍りして喜びたいところだが、正直居心地が悪かった。一位の旗の下に座っていたが、MとTとは目をあわすのさえ苦痛だった。
自分が棚ボタで一位になっていたことは痛感していたので、黙って自分のクラスに戻った。クラスの皆からは、予想外の健闘であり、強運の持ち主とおだてられたが、私は恥ずかしげに黙りこんでおいた。
ここでいい気になれば、後が怖いことぐらいは、当然に分っていたからだ。私としては、コーナーを駆けるのが上手であることが分っただけで十分だった。
この足首の柔らかさは、自分の武器だと思ったが、実はあまり実用的ではなかった。平地を駆けるなら大丈夫だが、山道のように足首に加重が強くかかる場合、踏ん張りが効かないのでそれほど早くないことが分ったからだ。
高校、大学でも陸上競技には熱心でなかったので、この足首の柔軟さは、ほとんど活かす機会はなかった。だから、かけっこで一位をとれたのは、あの棚ボタの時だけであった。
あまり堂々と胸を張れるものではないが、私の記憶のなかでは、かけっこに関する限り唯一の一位であり、大事な思い出として忘れずにいる。
棚ボタだって一位は一位。でも、やっぱり棚ボタなんだよね。思い出すと、少し口元が緩むが、気恥ずかしさも抑えられない複雑な気持ちになる。
私の人生って、こんなもんなのかねぇ・・・まっ、いいか。