20世紀を代表する文明の利器の一つに車がある。
ガソリンを燃やして、その爆発力を駆動力に転換するエンジンを持ち、タイヤを駆動して移動する車を産みだしたのは、ドイツのダイムラーだ。
しかし、その車を大量生産することでコストを大幅に引き下げて、庶民にも買える車を発売したフォードこそが、今日に至る自動車社会を作り上げた。
よく言われるのが、ベルトコンベアを使っての大量生産方式だ。これで確かに生産コストは大幅に引き下げられた。その一方、その労働は単純にして反復するだけの非人間的なものだと批判の対象にもされた。
チャールズ・チャップリンが映画で揶揄したように、たしかに人間性を損なうかのような機械的な生産には、あまり好感は持てないと思う。
にもかかわらず、このフォードのやり方が受け入れられたのは、給与の大幅な上昇が伴ったからだ。単純労働はたしかに辛い。しかし、収入の増加があったがゆえに多くの労働者は、この単純労働を受け入れた。
受け入れたどころか、自動車工場で働くことに誇りさえ感じていた。簡単に言えば、コストダウンにより生じた利益を従業員に還元した。この大幅に増えた収入により、工場労働者たちは車を買った。車の大衆化は、ベルトコンベアによる過酷な単純労働だけでなく、その労働者たちの大幅な収入増加により成し遂げられた。
この工場労働者たちの所得の大幅な上昇こそが、20世紀のアメリカの繁栄を支えた。今では信じがたいことだが、大企業限定とはいえ、この工場労働者たちは、当時は立派な中産階級であった。
しかし、20世紀後半になると西ドイツと日本という新興工業国がアメリカの製造業のライバルとして台頭してきた。と、同時にアメリカ国内では弁護士たちが新たな金づるとして、製造業者を訴える活動を始めだした。
安くて優秀な輸入製品と、製造業者責任を押し付ける弁護士たちの横暴により、アメリカの製造業は衰退を余儀なくされた。やがてソフト産業の勃興が起こり、ホワイトカラーのサラリーマンたちが主役となり、工場勤務のブルーカラーは相次ぐ賃金ダウンにより所得を大幅に減らした。
現在、アメリカの製造業で元気があるのは軍事産業と製薬業界、農薬や火薬を生産する化学業界などに限られ、かつての製造業王国の面影は薄れた。代わってアメリカを代表するのが、ウォール街にはびこる金融業者たちだ。
自らは汗を流さず、他人の労働の成果をかすめて貪る強欲な金融業こそが、アメリカの産業の中核となった。彼等はマスコミを駆使して自らの存在を美化し続けてきた。
だが、いくら慈善運動で笑顔をふりまき、環境問題や人権運動で善人面しようと、儲けの大半を握り締める強欲さを隠し通すことは出来なかった。
わずか数パーセントの超富裕層が、アメリカの所得の大半を掠め取る現実に対する庶民の反感を消すことは出来なかった。格差の凄まじさは、近世の絶対君主と貧民の格差と大差がないほどだ。
それが今回の「ウォール街を占拠しよう」事件の土壌だ。「アラブの春」をもじってか「アメリカの春」と評するむきもある。
だが、アメリカの超リッチ層の面の皮の厚さは、アラブの独裁者の比ではない。おそらく、今回の運動は、いつのまにか紙面から消され、話題に上がることは徐々になくなっていくはずだ。それだけの資金力を彼等超リッチ層はもっている。
だからといって、この極端な貧富の差がなくなるわけが無い。一度火がついた不満は、容易には消えはしない。この先、当分目が離せないと思う。
そして、所得の差が拡大しつつある日本も、他人事ではいられないのではないか。未来に夢をもてない社会となりつつある現代の日本に不満はないのか?
大陸への進出に夢をみた戦前の日本に似てきてないか? まあ、少子高齢化社会の草食系の若者たちに、今更海外に雄飛するだけの気力、体力があるとは思えない。
すると、やることはかつての左派学生のように内ゲバなのか。排外主義というか、攘夷運動が復活するのか。なんにせよ、政治の責任は大きいと思う。
もっとも民主党政権に、国民の不満を解消させる未来への展望が打ち出せるとは思いませんがね。
ガソリンを燃やして、その爆発力を駆動力に転換するエンジンを持ち、タイヤを駆動して移動する車を産みだしたのは、ドイツのダイムラーだ。
しかし、その車を大量生産することでコストを大幅に引き下げて、庶民にも買える車を発売したフォードこそが、今日に至る自動車社会を作り上げた。
よく言われるのが、ベルトコンベアを使っての大量生産方式だ。これで確かに生産コストは大幅に引き下げられた。その一方、その労働は単純にして反復するだけの非人間的なものだと批判の対象にもされた。
チャールズ・チャップリンが映画で揶揄したように、たしかに人間性を損なうかのような機械的な生産には、あまり好感は持てないと思う。
にもかかわらず、このフォードのやり方が受け入れられたのは、給与の大幅な上昇が伴ったからだ。単純労働はたしかに辛い。しかし、収入の増加があったがゆえに多くの労働者は、この単純労働を受け入れた。
受け入れたどころか、自動車工場で働くことに誇りさえ感じていた。簡単に言えば、コストダウンにより生じた利益を従業員に還元した。この大幅に増えた収入により、工場労働者たちは車を買った。車の大衆化は、ベルトコンベアによる過酷な単純労働だけでなく、その労働者たちの大幅な収入増加により成し遂げられた。
この工場労働者たちの所得の大幅な上昇こそが、20世紀のアメリカの繁栄を支えた。今では信じがたいことだが、大企業限定とはいえ、この工場労働者たちは、当時は立派な中産階級であった。
しかし、20世紀後半になると西ドイツと日本という新興工業国がアメリカの製造業のライバルとして台頭してきた。と、同時にアメリカ国内では弁護士たちが新たな金づるとして、製造業者を訴える活動を始めだした。
安くて優秀な輸入製品と、製造業者責任を押し付ける弁護士たちの横暴により、アメリカの製造業は衰退を余儀なくされた。やがてソフト産業の勃興が起こり、ホワイトカラーのサラリーマンたちが主役となり、工場勤務のブルーカラーは相次ぐ賃金ダウンにより所得を大幅に減らした。
現在、アメリカの製造業で元気があるのは軍事産業と製薬業界、農薬や火薬を生産する化学業界などに限られ、かつての製造業王国の面影は薄れた。代わってアメリカを代表するのが、ウォール街にはびこる金融業者たちだ。
自らは汗を流さず、他人の労働の成果をかすめて貪る強欲な金融業こそが、アメリカの産業の中核となった。彼等はマスコミを駆使して自らの存在を美化し続けてきた。
だが、いくら慈善運動で笑顔をふりまき、環境問題や人権運動で善人面しようと、儲けの大半を握り締める強欲さを隠し通すことは出来なかった。
わずか数パーセントの超富裕層が、アメリカの所得の大半を掠め取る現実に対する庶民の反感を消すことは出来なかった。格差の凄まじさは、近世の絶対君主と貧民の格差と大差がないほどだ。
それが今回の「ウォール街を占拠しよう」事件の土壌だ。「アラブの春」をもじってか「アメリカの春」と評するむきもある。
だが、アメリカの超リッチ層の面の皮の厚さは、アラブの独裁者の比ではない。おそらく、今回の運動は、いつのまにか紙面から消され、話題に上がることは徐々になくなっていくはずだ。それだけの資金力を彼等超リッチ層はもっている。
だからといって、この極端な貧富の差がなくなるわけが無い。一度火がついた不満は、容易には消えはしない。この先、当分目が離せないと思う。
そして、所得の差が拡大しつつある日本も、他人事ではいられないのではないか。未来に夢をもてない社会となりつつある現代の日本に不満はないのか?
大陸への進出に夢をみた戦前の日本に似てきてないか? まあ、少子高齢化社会の草食系の若者たちに、今更海外に雄飛するだけの気力、体力があるとは思えない。
すると、やることはかつての左派学生のように内ゲバなのか。排外主義というか、攘夷運動が復活するのか。なんにせよ、政治の責任は大きいと思う。
もっとも民主党政権に、国民の不満を解消させる未来への展望が打ち出せるとは思いませんがね。