ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

テネシーの霊歌 J・H・フォード

2011-10-13 17:28:00 | 

人種差別は当たり前であった。

少なくても、西欧が生み出した民主主義、人権、平等の概念が確立するまでは、人種が違えば差別があるのは普通のことであった。

現代の価値観からすれば、とんでもない暴論だと思うかもしれないが、歴史をいくら紐解いても人種差別が大きく問題になったのは、近代以降であることは明白だと思う。

人種という概念を、どこに規定するかで多少は変わるが、肌の色、目の色、髪の色、体格、体臭、そしてなによりも言葉が違う相手に対して、ある種の違和感を感じるのは本能に近い。

人種差別を知らない無垢の子供でさえ、異人種に対する違和感は持っている。いくら人類、皆平等だと教えても、本能の疼きまでは抑えられない。

だからといって、人種差別が正しい、善い事だとは私でも思わない。あれは、差別されてみると嫌でも分る。差別された経験は、心の底にまで滲みこむ腐臭に似ている。あれほど不愉快なことは、そうざらにないと断言できる。

私は米軍基地の隣町で幼少期を過ごしたので、幼い時に白人の奴等から蔑視された経験があるので、人種差別は不愉快なものだと、誰にも教わらずに知っていた。心に刻み込まれたといってもいい。

そんな私でも差別した経験はある。

三軒茶屋に住んでいた当時だが、近所に「水の流れる公園」があった。人口の流水の上に、空中歩道が設けられた面白い公園で、子供たちの絶好の遊び場になっていた。

丁度、今時分の頃で朝夕は涼しいが、日中陽射しがあれば、まだ水遊びが楽しい。その公園で、クラスの友達3人ほどで、駄菓子を食べながら、だべっていた時だ。

なにやら公園の広場のほうが騒がしい。十数人の子供たちが群れなして、なにやら叫んでいる。火事と喧嘩はお江戸の華。さっそくに混ざりに行く。

傍にいた子供に訊くと、外人の子供が攻めてきたらしい。争いの理由は知らないが、外人野朗に好き勝手されてたまるか。こりゃ一大事と駆けつけたが、近づいてみると明らかに小学校低学年程度の金髪の子供たち。

なんだ、ちびっこか、と気抜けした。しかし、その子供たちは奇妙な奇声を上げて、彼等を囲む日本人のガキどもを威嚇している。見た所、6年生の私たちが一番年長であるようなので、ここは人肌脱いで、奴等白人のガキを追い出してやるかと近づいた。

すると、私たち目掛けて走ってくる。目の前で急停止するといきなり流暢な日本語で「ナンデ、僕たちに、石を投げる!」と必死な形相で叫んだ。

その日本語を聞いた途端、さっきまでの外人野朗は消えうせ、必死で怒っている小さな子供に変貌した。私たちは顔を見合わせて後、追い出すのは止めにして、彼等の話をきいた。

どうも、面白い公園があると聞いて、地図をたよりにやってきたら、そこで遊んでいた日本人の子供たちから、いきなり石を投げられたとのこと。よくみると、たしかに彼の額には、かすかに血が滲んだ傷跡がある。

こりゃ、マッポ(警官)が来たら、悪いのはこちらとされるなと考えて、周囲を囲んでいる日本人の子供たちに「石を投げたのは誰だい?」と訊ねてみる。

すると、同じ野球チームの低学年組の子が3人ほど私たちの背後に現れた。友達が理由を訊くと、見知らぬ外人の子が現れたので、怖くなって追い出そうとしたらしい。

とりあえず、間に立ってその場を収めた。低学年組の子たちも、彼等が日本語を話せるとは思っていなかったようで、居心地悪そうに頭を下げていた。

よかった、よかったと言いたいところだが、私は気がついていた。その金髪の男の子たちの目に、拭いきれぬ不信感が漂っていたことに。そして、一応謝っている3人の表情にも、なんで自分たちだけが・・・といった不満がこもっていることに。

正直言えば、私とて、俺等の公園に外人が勝手にやってきやがってとの思いはあった。実際、実力で追い出すつもりだった。理由?肌の色、髪の色なんでもいいが、とにかく俺たちとは違う奴等であるだけで、追い出す十分な理由だ。

もし、彼等が英語で抗議してきたのなら、私たちは迷うことなく、その子たちを追い出したはずだ。ところが、流暢な日本語で抗議されたので、気勢を削がれ、困惑して話を聞くことになった。

このあたりに、人種差別の難しさがある。言葉が通じたが故に、単純に排斥できなくなってしまったのだ。そして、言葉が通じ、ある程度の相互理解が進んだとしても、心の奥底にある差別意識までを解消することはできない。

異人種との共存は難しい。外国暮らしの経験のない私だが、それでもかなりの確信をもって、そう断言できる。海に囲まれた日本列島の住人は、異国人との付き合いに慣れていない。ましてや、異人種が同じ街、同じ職場、同じ学校に通う現実に慣れているはずがない。

さりとて、少子高齢化の進行と不足する労働市場への外国人の活用。そして、国際結婚により合法的に移民してくる外国人は、これからも増えるばかり。

人々の平等を憲法に掲げながら、本心では白人以外の人種を蔑んでいたアメリカが、かつて直面し、今も苦しんでいる黒人差別問題。表題の作品は、その一端を見事に、残酷に、そして冷徹に抉り出す。

私は断言しますが、誰の心にも異人種差別の根っ子は埋まっているはず。その事実に如何に対応するかが、21世紀を生きる日本人にも問われていると思います。

読後感の重い作品ですが、機会がありましたら是非どうぞ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする