史上最強の柔道家であると同時に、悲劇の柔道家でもあった。それが木村政彦だ。
嘉納治五郎が柔道を創設以来、幾人もの柔道家が輩出されたが「木村の前に木村なく、木村の後にも木村なし」とまで言われた伝説の強豪でもある。なにしろ日本一を連続13回取り、15年間無敗でプロ柔道に転向している怪物である。
もし太平洋戦争がなかったら、その戦歴には嘉納杯を始めとしてもっと多くの栄誉が刻まれたことは間違いないとされる。寝食惜しみ、ただひたすらに柔道家としての鍛錬に励み、その努力の凄まじさゆえに孤高の柔道家とならざる得なかった。
なにしろ一日中、稽古に励む。拓大の柔道部で汗を流し、警視庁に出稽古に出かけ、夜は道場で稽古。帰宅してからも、楓の巨木に帯を巻きつけての打ち込み稽古。数時間の睡眠中も柔道の試合をなぞる夢をみていたと云われている。
別に自慢でもなんでもなく、木村本人もそれを当然と考えていた。それを見ていた拓大の級友である塩田ら武道家たちからみても、その稽古量は尋常ではなかった。ちなみに件の楓の巨木は数年後には枯れてしまったというから、その稽古が如何に凄まじいかが分る。
だが、柔道家としての最盛期を戦争に奪われ、生きて還ったもののGHQによる「日本人骨抜き謀略」により、柔道家としての活路を断たれてしまった。
一時はプロ柔道を立ち上がるものの、興行のノウハウに乏しく経営的に惨敗。そこに救いの手を差し伸べたのが、プロレスラーの力道山であった。
助けられた負い目が木村をして、力道山の引き立て役を甘受せざる得ない立場に追いやった。関取上がりの力道山は、決して弱くはない。弱くはないが、柔道の世界で頂点に立っていた木村には及ばなかったはず。
木村はそのことを自覚していたが、窮状を救ってくれた恩人である力道山の面子を潰すことは出来ないと考えていた。だから、引き立て役であることを甘受していた。
しかし、木村こそ史上最強の柔道家であると確信していた柔道界が、木村が引き立て役であることを面白く思うはずもなく、あれこれ画策した挙句、あの試合が組まれてしまった。曰く「プロレス対柔道、真の日本一はどちらか!」
その試合で木村は、力道山の空手チョップの前に倒れて以降空前のプロレスブームが日本を沸きたてたのは周知の通り。敗れた木村は、プロレス界を離れ、一人静かに沈黙を守った。
だが、当時から疑惑が逆巻いていた。そのことを最初に騒ぎ立てたのは、皮肉にも力道山と同じ朝鮮半島出身である極真空手の大山倍達であった。空手に打ち込んでいた大山は柔道の経験もあるだけに、柔道の世界の頂点に立っていた木村が負けるはずがないと確信していた。
ゆえに、リングの上に大の字で倒れ伏す木村が信じられず、沸き立つ観客に応える力道山に果し合いを申し込んだ。しかし、力道山は黙殺した。新聞記者やTVは、大山の挑戦を相手にしなかった。
その後、どのような経緯からか、大山は力道山に対して距離を置き、以降挑発をやめた。相変わらず、木村本人は、あの試合に関して一言も発することなく沈黙を貫いた。
そして力道山が他界した後、ようやくあの試合の裏幕が囁かれるようになった。その信憑性は保証されたものではないが、やはり、あれはプロレスの試合であった。つまり筋書きがあったと思われる。
いかなる理由で、木村がそのシナリオを呑んだのかは長い間分らないままであった。しかし、最近出版されたある本の著者によると、木村の妻の病気の治療に必要な高額な薬の購入代が、沈黙の理由ではないかとの説が出ていた。合気道の塩田や大山といった友人が沈黙を守ったのも、これなら分らなくもない。
だが、異種格闘技戦や総合格闘技の世界で柔道出身者が活躍し、いとも容易にプロレスラーを撃破するのをみると、スポーツ化する前の武道としての柔道で頂点を極めた木村が、弱かったはずはなく、あの試合が仕組まれたものであるのは、まず間違いないと私は考える。
実は木村本人は、柔道から離れられず、密かに警視庁で指導をしたり、海外で他流試合を行っていたことが後に判明する。警視庁では負け知らずの怪物師範と恐れられて機動隊の猛者でさえ木村には一蹴されている。
またブラジルのグレイシー柔術の創設者であるエリオ・グレイシーと戦い、これまたあっさりと破っている。もっともエリオはギブアップを認めず、止む無く腕を折ってのドクターストップ勝ちであった。その執念に驚き、エリオに畏敬の念を持ったと木村は伝えている。
グレイシー柔術は、エリオの子供たちに伝わり、やがて世界中の総合格闘技大会を席捲する。その必殺技の一つにキムラ・ロックと呼ばれる腕がらみの技があるが、それはもちろん木村政彦がエリオの腕を折った時に使った技だ。
本来、木村政彦はもっと知られていて良い柔道家である。しかし、プロレスに負けたが故に、柔道の世界でも冷遇されざる得なかった悲劇の柔道家であった。
プロレスを真剣な格闘技だとの誤解が、真の強豪である木村政彦の真実を隠してしまった。戦後、最も華々しい戦歴を残した柔道家に山下泰裕がいるが、彼の成績とて木村の前には霞んでしまう。
山下は立派な柔道家だが、両者を知る柔道関係者の誰もが、「木村のほうが格段に上」だと断言する。これほどの柔道家が闇に葬られたままであることこそ、真の悲劇だと思う。
何度も繰り返すが、プロレスは格闘演劇だ。プロレスラーが鍛え上げた肉体で演じる、真剣な格闘舞台として楽しむのが正しい。それを真剣勝負だとでっち上げて、敗者である木村は葬り去られた。
プロレス好きの私にとって、プロレスを理解せぬ愚かなマスメディアの偏見により葬り去られた柔道家・木村政彦こそ名誉挽回されるべき人物だと確信しています。