敢えて暴言を吐かせていただくと、漫画家は政治経済のことに関しては、概ね非常識だ。
特に売れっ子漫画家ほど、その傾向は強い。当たり前である。あれほど過酷なスケジュールで仕事をする人たちは、そう多くない。好きだからこそ出来るのであろうが、労働基準法など裸足で逃げ出すほどの過密スケジュールに縛られている。
そんな過酷な環境で、社会全般の一般常識、時事情報なんて身につくわけが無い。しかも、漫画家は十代半ばの頃から、ただひたすらに漫画を描き続けることを求められる。
子供から大人まで大人気の漫画の世界は、最も苛烈な競争社会でもある。その世界で雑誌に掲載され、連載を勝ち得て、単行本を出版できて初めて一人前の漫画家だと言える。
若い頃から、ただひたすらに漫画を描き続け、読者に評価され、出版社に認められるのは、漫画家志望の若者たちの、ほんの僅かな人たちだけだ。ある意味、特殊なエリートだと云える。
一人の社会人として、組織にもまれ、仕事の軋轢と人間関係に悩まされながら、世間を知り、政治を知り、経済を知る機会なんぞ、ほとんど得られないのが売れっ子漫画家の世界だ。嫌な言い方だが、箱庭の中で君臨する王様、王女様のようなもので、出版社に守られ、世間の風に当たらずに済むようになっている。
これでは非常識となって不思議ではない。
漫画家を過酷な環境に追い込み、人気作を描かせるので有名な週刊少年ジャンプ誌において、70年代に活躍した漫画家の一人に、小林よしのりがいる。大学生の頃に「東大一直線」というギャグ漫画でデビューして一躍人気漫画家として活躍した。
だが、その人気は長続きせず、一時は雌伏の時を止む無くされる。やがてコロコロコミックで子供向けの漫画「お坊ちゃま君」で再ヒットをかまして復活した。その小林が週刊SPAという大人向けの雑誌で連載をはじめ、大きな社会的反響を巻き起こしたのが表題の作品だ。
時事問題を漫画で解説するという新しい試みは、賛否両論を含めて大きな反響を呼んだ。実を言えば、このスタイルは小林が初めてではない。週刊プレイボーイに永井豪のアシスタント出身である槙村ただしが「ニュース劇画」として短期間だが試してみたことがある。ただ、踏み込みが足らず、たいした評価も得られずに連載は終わってしまった。
漫画という表現方法で社会、時事問題を論じる手法は、分りやすく効果的ではあったが、漫画家本人に社会常識や知識、見識を求められるため、深く踏み込んだ内容に出来なかったのが敗因だと、私は思っていた。
それだけに、あの「東大一直線」の小林が!?と私は当初、疑わしくさえ思っていたが、予想以上に小林本人には、社会常識、見識が見受けられた。
おそらくは、「東大一直線」打ち切り後の不遇の時代が、彼を一人の社会人として育て上げたのだろう。人気漫画家から転落した屈辱と、やるべき仕事の無い無為の時間が、非常識で済む漫画家から常識を求められる一社会人へと脱皮させたのではないかと私は憶測している。
元々、ジャンプ時代から良識ある(?)大人たちの非難にさらされることがあったようで、それは「お坊ちゃまくん」でも変わらず、そのことが彼をして良識とされる社会常識への疑念となっていたのではないか。
それゆえに、90年代になり、突如保守の論客としての立場で「ゴーマンかまして、よかですか」のフレーズと共に登場した時の反響の大きさんは、目を見張るものがあった。
敢えて今回は、その内容には触れない。これまで取り上げなかったのも、その内容が私にはいささか度が過ぎると思えたからだ。極端から極端に触れやすい日本人の典型ではないかとさえ思っている。
漫画という表現形態で時事問題、社会問題を取り上げたことは革新的でさえあったが、追随した作品で成功例はほとんどない。これこそ、一人の社会人として世間に見識を問えるだけの気概を有する漫画家が稀有であることの証左ではないかと思う。
日本ではミュージシャンや芸術家が、政治や社会問題に関ると、環境問題とかを安直に、その場限りで済ませることが多い中、既に10年以上続けている情熱はたいしたものだと思います。
ただ、思い込みの深さが、却って良識から遠のいているように思えるのは、私の偏見でしょうかね。