外国人から、どう思われているのか。
日本人ほど外国人から、どう見られているかを気にする国民は珍しいように思う。その点、悠久の歴史を誇るトルコやアラブ、もちろんシナなどの国民は、外国(蛮族)からどう見られようと、気にするそぶりさえみせない。
超大国であった過去の栄華を誇るシナやトルコはともかく、名も知れぬ辺境の小国(コリアとかタイ)だって、外国人が自分たちをどう見ているかなんて、さして気にしているように思えない。
そうなると日本人こそが特殊というか、異常なのかもしれない。
日本人が外国からどう思われているかを気にするのは、おそらくは恥の意識が強いからだと思う。日本人ならば、子供の頃からよそ様からどう思われているかを気にする躾を受ける。
世間様から見て、恥ずかしくない恰好、態度、振る舞い、言動を強要される躾を受けてきた日本人だからこそ、外国の人からどう見えているかを気にするのだろう。
この性向を、自らに自信がないからだと思う向きもあるようだが、少し違うように思う。寒暖の差の激しい四季に恵まれ、台風、地震、津波、火山と天災被害も少なくない環境ゆえに、日本人は異様なほど外部に対する関心が強い。
その関心は常に外部に向けられ、類まれな観察力を養い、変化に柔軟に対応する賢さを求められてきた。圧涛Iな自然の脅威に対峙してきたがゆえに、どうしても受動的な姿勢にならざるを得ない。
それは文化面でも同様で、ユーラシア大陸東端の超巨大帝国シナの動向に常に気を配り、最新の技術、知識を導入する一方、シナ文化に飲み込まれないように取捨選別して日本に合わせて加工までしてきた。
その一方、シナ以外にも多くの文明があることを知っていて、その情報を入手するや否や、自分たちに使い易いよう工夫までしてしまう器用さも持ち合わせていた。ポルトガルから偶然入手した火縄銃を、わずか数十年で模倣し、工夫し、遂には世界屈指の銃保有国になり、西欧から恐れられるほどである。
どれほど国外から文化、知識、風習、宗教を輸入しようと、あくまで日本人であり続け、多くの文化を日本流にアレンジして自らのものにする才知に長けた奇妙な国として世界に知られるに至った。
おそらく流入してくる情報の処理能力では世界屈指の能力を持つ国、それが日本だと思う。その反面、自ら情報を発信することには慣れていないのも日本の特質である。長所と短所は背中合わせなので、仕方ないことではある。
私見だが、日本人が外国から、どう思われているのか。それを気にしているうちは、日本は常に変化し、進歩し、時は後退し、それでも前に進むことを止めないと思う。逆に、外国からどう思われているかを気にしなくなった時、日本は停滞し、沈殿し、衰退するのだろうとも思っている。
転石苔生さず、これこそが日本の強みではないかな。