果たして人類は、地上に太陽を創ることが出来るのだろうか。
私は現行の原子力発電システムに否定的です。まず原子力の使い方としては乱暴に過ぎる。その上、核エネルギーが本来持つ能力をまるで使いこなしていない。なによりも、現在の技術水準では安全に処理できない核廃棄物を産みだす。
その核廃棄物を完全に密閉しようが、地中奥深くに埋めようが、それではゴミをため込むだけ。高レベルの放射線を出し続ける限り、決して安全な保管方法なんてないと思う。
やはり原子力エネルギーを活用するのなら、核融合が一番だ。なにせ水(重水素)を燃やしてエネルギーに転換する。これは空に輝く太陽と同じ原理である。強烈な中性子線を出すが、これは現在の技術でも十分遮蔽が可能であり、核廃棄物を出さないクリーンなエネルギーである。そして、なによりそのエネルギー量が膨大である。
だが、人類は未だこの核融合エネルギーを実現化することが出来ずにいる。既に理論的には半世紀以上前に確立しているが、それを実現できずにいる。
まず、核融合を引き起こすには一億度以上の高温が必要となる。その高温を持続し、安定化させねばならない。そのような超高温に耐えられる金属なんざ、有るわけなく、強力な磁場もしくはプラズマにより閉じ込めて、核融合を保持することが考えられている。未だ実験室レベルで短時間でしか成功していない未知の分野である。
今年早々に報じられたニュースに那珂核融合研究所において、超電導型核融合実験施設JT≠U0SAがいよいよ稼働して、夢の核融合実験に入るとあった。早ければ、2019年には発電も可能らしい。
私はちょっと小躍りしたが、よくよく調べてみると、未だ水蒸気によるタービン発電とのこと。まだまだ核融合による熱エネルギーを電力に直に転換することは出来ないようだし、プラズマ活用型のようだが、未だその安定的活用には程遠い代物らしい。
つまるところ、大規模な実験の域を出ない。おそらく何度も失敗を繰り返すだろうし、成功も危ういのだろうと思う。なにせ世界中で未だにどこの国も、核融合エネルギーの実現、実用化は出来ていないのだから当然である。
それでも挑戦する価値はある。何故なら今日の文明は、大量のエネルギー消費型であり、石油や天然ガス、石炭などを燃やして電気を作り、便利で快適な生活を作る。そして多量の化石燃料は既に枯渇が想定されているのだ。
次世代エネルギーとしてメタンハイグレードやシェールガスなども活用されるだろうが、酸素を燃やして二酸化炭素を排出するタイプであることに変わりはない。また太陽光エネルギーや地熱発電、海洋発電などの自然回帰型エネルギーも広がるが、どれも現時点では不安定で、しかも効率も良くない。おまけにコストが高く、電気代は今の3倍以上は確実である。
今世紀後半には世界人口は百億を超えるかもしれないことを考えれば、核融合エネルギーの開発は人類の至上命題に近いものがある。
私は21世紀を、水、食料、エネルギー資源を巡る争いの時代になるだろうと予測している。数限りある資源を、地球人類が賢明にも皆平等に配分されるなんて絶対にありえない。それはこれまでの歴史を振り返れば分かること。軍事的強者が資源を独占し、弱者は貧困に喘ぐ。それが人と云う生き物が歩んできた残酷な現実である。
なればこそ、無限の可能性を持つ核融合エネルギーの実用化が待たれるのだ。
反原発、脱原発で自然回帰エネルギーに頼ろうなんて、認識が甘いとしか言いようがない。もっとも、その場しのぎのエネルギーとしての価値はあるので、まったく否定している訳ではない。むしろ開発に時間が相当かかる核融合を考えれば、当座のエネルギーとして積極的に進めるべきだ。
ただ、自然回帰型のエネルギーは、その効率の悪さと環境的制約ゆえに量的に足りない。さらにコストが高く、しかも不安定である。メタンや天然ガス(シェールガスも含めて)はやはり有限の資源であり、また石炭は環境を汚し過ぎる。
だからこそ、那珂で始まる核融合実験に期待しているのだ。もちろん、その開発の道はまだ始まったばかりであり、幾多の困難と失敗があるとしてもだ。
一点心配なのは、情緒的というよりヒステリックな核アレルギーの反原発、脱原発論者の無知からくる妨害だろう。核融合の研究には優秀なスーパーコンピューターが必要不可欠だが、民主党政権時代に「2番ではいけないのですか?!」などと妨害したアホ議員がいたぐらいだ。まるで分っていない。
一応言っておくと、絶対に安全なエネルギーなんてない。核融合だって危険性は十分ある。それでも挑戦する価値がある。たぶん、私が生きている間に実用化されることはないと思うが、それでも期待したいのが核融合なのです。