海と山、どちらが怖いか?
人間に限らず、大地に生きる生物の故郷は海である。地球の生物は、海で生まれ進化し、やがてその一部が陸地に上がり、今日の生態系を築き上げた。
古代の海から陸に上がった生物は、生存競争の激しい海を避けて、天敵のいない陸地で暮らすことで繁栄を迎えたとされている。地表の7割を海が占める地球では、海こそが生物の最も栄えた場所であり、それゆえに最も生き延びるのが難しい場所でもある。
それは子孫の残し方をみれば分かる。陸生の生物にも子供を沢山産むものは少なくないが、海の生物に比べれば、その数は桁が違う。一回の出産で一番多産なのは、おそらくマンボウだと思うが、その卵の数は三億個である。そして、そのうち大人に育つのは一桁だというから、如何に生存競争が厳しい世界なのかが分かる。
随分と極端な考えだとは思うが、私は海の世界のほうが生きることは厳しいと思っている。まして水中での呼吸能力を失った人間にとって、海では船などの道具なくして生き延びることは不可能である。
ことろが不思議なことに、人間は必要もないのに海に出ることを止めない。ただ泳ぐため、ただ波に戯れるだけ、そしてただ眺めるためだけに海に行くことだって珍しくない。
私は若い頃、海辺でテントを張って泊まったことがある。一晩中波の音が耳から離れなかったが、不思議なことに熟睡できた。騒音のレベルからすれば、けっこう煩かったはずなのに、むしろ波の音は子守唄の如く静かに脳裏に刻まれた。
快適な目覚めでテントを出て、海辺で朝焼けを眺めながら、やはり生物は海から生まれたからなのか。海こそ失われた故郷なのか、そんな感慨を抱いたことさえある。
さすがに年齢を重ねると、ベトつく潮を洗い流すのが面倒なので、あまり海に入らなくなったが、それでも水族館に行きたがるのは、やはり海が好きなのだと思う。
私は若い頃から山にも海にも好んで出かけていったものだが、どちらも怖いと思ってもいた。山で味わった雪崩や山津波の凄まじさは破壊的であり、腹の底から怯えたものだ。一方、幼い頃に波に巻かれて溺れそうになった経験もあり、海の底知れぬ深さに対する怯えも根深く残っている。
自然の脅威は、山でも海でも変わることはないが、海と山、どちらがより怖いかと問われれば、やはり海だと思っている。
山ならば、大地を自分の足で踏みしめて危険を回避することは出来る。だが海だと海流や波に流されざるを得ない。これは不安だ。しかも見渡す限り果てのない海の上だと、自分がどこにいるかも分からない不安に襲われるだろう。これは怖い。
やっぱり海の方が怖いと思う。
でも、海で遊ぶのが好きな人たちは、海の怖さを知っている。知りつつ、それでも海で遊ぶことを止められないのは、やはり海の魅力にはまっているからだ。
先月にバリ島で起きたスキューバダイビングの事故は、残念ながら全員救出とはならない不幸な事故となってしまった。インストラクターはもちろん、参加者も決して素人ではない。それでも海の事故は起きる。
お気の毒には思うが、危険があるのを承知でダイビングを楽しんでいたはずなので、正直あまり同情する気にはなれない。今回の事故に遭われた人のなかには、これを契機に海を止めることもあるかもしれない。
でも、海の恐怖、事故の恐怖を深く認識しつつも、再び海に潜る人もいるであろうと思う。それが海の魅力であり、自然の魅力でもある。自然を相手に遊ぶ以上、必ずどこかで自然の浮ウを思い知る。その覚悟があってこそ、自然を楽しめる資格があると思います。