現在、東京都議会では、豊洲問題で関係者を百条委員会に呼び、売り主の東京ガスとの不自然な交渉の実態解明に勤しんでいる。
石原の無責任極まりない態度は不愉快だが、それよりもこの茶番劇を真面目に報じるマスコミの不勉強こそ一番不愉快だ。
豊洲問題の本質は、東京都による臨海開発計画の無理押しである。
前にも書いたが、この臨海地区は元々ゴミ処分埋立地である。お台場も、有明も、そして豊洲もかつては、ゴミ処分場として都民のゴミを受け入れてきた経緯がある。
若い人はご存じないかもしれないが、60年代から70年代にかけて、この東京のゴミ問題の最前線であり、多くの反対運動が繰り広げられた地でもある。それは単なる住民運動ではない。
東京各地から集められたゴミは、江東区を通過して臨海ゴミ処分場に運び込まれた。臭いゴミが通過していくことに憤った江東区では、区長が先頭に立って反対運動を繰り広げた。道路を封鎖して、ゴミ運搬車の通行を邪魔したことさえあった。
その後、ゴミ処分場は綺麗に盛土されて、新たな臨海地区となった際、その土地の行政区分は江東区に大幅に配慮したものとなったのも、そのような経緯があったからに他ならない。
今回の豊洲問題での百条委員会で、石原元都知事が豊洲移転は青島元都知事からの引き継ぎだと証言したが、それは正しくない。私が知る限り、鈴木都政の頃から、臨海地区の再開発は都庁主導であり、青島都知事の頃に豊洲が第一候補になっただけだ。
つまり、東京都庁こそが、豊洲移転問題の大元であり、都議会はその流れに沿って絡んでいただけに過ぎない。私が今回の百条委員会を茶番だと揶揄するのは、これがトカゲの尻尾切りであって、問題の本質を誤魔化す行為に過ぎないと思うからだ。
臨海ゴミ処分場跡地の再開発は、東京都庁主導の一大プロジェクトであった。鈴木都政の末期には、ここに国際臨海副都心を作るといったバブリーな企画が出たほど、都庁が力を入れていた。
豊洲への築地市場の移転なんて、その一環に過ぎない。これは、東京都が長年奮闘してきた長期プロジェクトであり、綿々と引き継がれてきた行政計画の一環である。
莫大な都民の税金を投じた再開発プロジェクトであり、そこでの不正の追及は必要かもしれないが、おそらく最初の主導者は既に故人であろう。だからこそ、現在、百条委員会に呼ばれた関係者たちは、無責任な態度に終始しているのだ。
今、やるべきことは何か。豊洲をどうするのか、築地市場はどうあるべきなのか。これこそ、今考え、検討し、実行可能性を討議するべきだ。茶番劇を追いかけるのではなく、問題の本質を間違えないで欲しいものだ。