美化しすぎるから、まともな報道が出来なくなっているのが、日本のマスコミ様の特徴だ。
ミャンマーのイスラム系少数民族ロヒンギャの悲劇を伝えることに、なぜに日本のマスコミは消極的なのか。かつて、日本の左派マスコミを中心に、あれほどミャンマー政府に迫害される少数民族を支援していたのがウソのようである。
ミャンマーこと旧ビルマ王国は、最大派のビルマ族を中心に、多数の少数民族から構成されていた。山岳地帯とジャングルで分断されたビルマには、緩やかな統治が適切であったと思われる。
しかし、イギリスの侵略により、ビルマ王国は解体された。イギリスはこの遠方のジャングルの国を支配するため、分断統治を実施した。つまり少数民族ごとに分断して支配し、各民族が憎しみ合うように仕向けた。
旧日本軍によってイギリスは追い出され、その後独立を果たしたが、それは最大のミャンマー族主体の政権によるものであった。少数民族の分断統治のせいで、もはやビルマとしての政治的統一は難しくなり、その後は軍事政権と少数民族の紛争が長く続いた。
紛争が長引いたのは、冷戦の余波で大国が干渉したからであり、日本もODAの名のもとに軍事政権を支援していた。ただ、朝日新聞をはじめ左派勢力は、カレン族やカチン族などの少数民族を支援していた。紛争が長引くのも当然であり、ミャンマー政府の西側不信も必然であった。
ただ、ベルリンの壁が崩壊すると、今度は共産シナが干渉してきた。シナ深南部から、ミャンマー国内を南北に流れる河を下れば、インド洋に出れるルートが確保できる。それゆえ、シナは国際的な非難を無視して、ミャンマーの軍事政権を支援し続けた。
だが、シナの野望はミャンマーの軍事政権に危機感を覚えさせ、なんとか西側諸国との関係改善を模索することになる。その際の最大の障害が、あのアウンサン・スー・チー女史であった。
ビルマを分断し、その後の紛争の原因を作ったイギリス人の夫を持ち、イギリスで教育を受けたスー・チー女史は、反軍事政権のシンボルとして祭り上げられたが故に、ミャンマー軍事政権は容易に西側との関係改善を図れずにいた。
しかし、限定的な選挙により、なんとかスー・チー女史を政権に迎えることで、ようやく西側との関係改善が図られ、現在最も経済的に急成長を遂げつつある。そのミャンマーにとって、咽喉に突き刺さった骨とも言うべき存在が、このロヒンギャ難民問題である。
仏教徒が大半を占めるミャンマーにあって、少数派のロヒンギャの存在は争いの種であり、それゆえミャンマー国籍さえ否定されている。国籍がない難民ほど哀しい存在はない。
人身売買で家族は切り離され、虐殺されても誰も助けてくれない。財産を奪われ、家族を奪われ、住まいをなくされた悲劇の民族、それがロヒンギャである。
ちなみに、件のスー・チー女史は、ロヒンギャ問題に関しては沈黙するだけである。
アウンサン・スー・チー女史をやたらと美化して報道していた日本のマスコミ様は、ロヒンギャ問題に冷淡だ。どうも都合が悪いと思っているらしい。チベット難民や、ウィグル族への弾圧問題もそうだが、日本のマスコミ様は自分に都合の悪い問題は、なかったことにしているらしい。
一応、書いておくと、日本にもわずか200名ほどのロヒンギャ族は滞在している。主に群馬県にいるのだが、彼らの声をマスコミが報じることは滅多にない。
だから私は日本のマスコミ様が偉そうに人権を語るのを、まったく信用していない。信用なんて出来ない。所詮、ご都合主義の人権屋に過ぎないからだ。