中断が惜しまれると、今さらながら思う。
たしかに衝撃的な漫画であった。まさか子供向けの週刊漫画雑誌に掲載するには、あまりに過激であったのは確かだ。私の知る限り、人が、それも幼子が人の死体を食べる場面を描いた少年漫画は、この表題の作品が最初だと思う。
だが、思い返すと衝撃的ではあっても、わりと淡々とその場面を受け止めたと思う。道徳的あるいは倫理的にはいけないことなのだろう。また教育上の配慮から、この漫画は世間の指弾を受けた。
子供心にもそれは理解できたが、餓死者がでるよう厳しい飢饉の時ならば、むしろ十分あり得ることだと思った。当時、アフリカでの飢饉が報道され、腹ばかり膨らみ、呆然とした子供の写真を見たことと、同じ程度の衝撃であり、むしろ人食いは生きるための非常手段だと理解していた。
もちろん、自分がそうなったら、どうなるかまでは思い至らなかった。ただ、この漫画の連載が中途半端で終わったことを悔やむ気持ちは強かった。その一方で、連載中断は致し方ないとも思っていた。
子供に必要なのは、未来への夢であり、希望を教え、助け合い、正しいことを目指すことだ。悲惨で、矛盾だらけど、残酷な人の世の現実を学ぶのは、もう少し大人になってからでいい。
そう考えると、この漫画は掲載場所を間違えたと思う。いや、当時この漫画を掲載できる場所はなかったかもしれない。
先週取り上げた、田中圭一の「ペンと箸」では、このジョージ秋山氏が取り上げられている。もし連載が続いたならば、この野獣のような幼子アシュラは、僧侶の下で育ち、命(いのち)という名を与えられるはずであったそうだ。
無念に思ったのか、秋山氏は自分の息子に、この命という名を与えて育てた。命を大切にではなく、命がけで生きろの意味を込めての命名であったそうだ。病弱な子供であった息子さんは、父に厳しく育てられて日焼けした海とスメ[ツが大好きな青年に育ったという。
命がけで生きることの意味は、この食べ物が捨てられる時代にあってこそ輝くと思う。連載再開を望む気持ちはあるが、おそらくは息子さんを育て上げたことで、秋山氏のモチベーションは完結してしまったのではないだろうか。