ついに、教科書から聖徳太子の名が消えたそうだ。
ある意味、遅すぎる処置だと思う。一応、確認しておくと、厩戸皇子は実在していた。しかし、聖徳太子は架空の存在である。
そのことは、歴史学会では定説なのだが、ここで日本人の悪い癖が出た。資料絶対主義というか、資料原理主義とでも言いたくなる聖徳太子実在論を唱える学者、教職者、組合(?)マスコミ、素人歴史愛好家などが居て、教科書の訂正に踏み出せなかったのだ。
そこで谷川先生が、いい加減にしろと吼えたのが、表題の書である。
所詮素人の歴史好きに過ぎない私が見落としていた盲点を、書誌学者として的確に指摘して、聖徳太子論争の愚かさを明らかにしていることは良い。だが、この書は、誰をターゲットにしているのかが、些か不鮮明だ。
聖徳太子は、日本人にとってあまりに広く流布しているので、素人から歴史学者まで数多の論者がいる。そのため、この手の歴史談義は広がり過ぎるきらいがある。
ただ、読んでいるうちに妙に思うことがある。
あの、和をもって貴しと為すで有名な憲法だが、他の条文はまるで知られていない。今回、改めて読んでみたのだが、正直冒頭の一文以外は胸に響かない。むしろ、冒頭の一文だけが、やたらと印象的で、他はむしろ違和感さえ感じられる。
にもかかわらず、聖徳太子の憲法は、中身を冒頭の一文だけしか知られていないのに、日本人に広く浸透しているという。
本当か?
明確な証拠がある訳ではないのですが、おそらく千年以上、日本の国民はもちろん幕府などの統治者さえも、聖徳太子の憲法を知らずにいたと思う。いや、その存在を知っていたとしても、守る気はない。
守る気がないものを千年以上も、後生大事に仕舞いこんでいた。それが聖徳太子の憲法の正体だ。現在の日本人が、憲法を順守する気がないのも、ある意味当然なのだろう。
憲法なんざ、立派な額に入れて飾っておけばいい。それが、日本人の本音ではないのか。だから、現行の憲法がおかしてても改正しようとしない。どうせ守られぬ憲法なのだから、わざわざ改正なんてする必要がないと思っているのではないだろうか。
やはりコンステチューションを憲法と訳したのは間違いだ。国家基本法とでもするべきだったと思いますね。