ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

15年目の栄誉

2017-12-11 12:01:00 | スポーツ

2003年に川崎フロンターレに入団以来、無冠の王様であったのが中村憲剛選手だ。

フロンターレは決して弱いチームではない。Jリーグでも屈指の攻撃力を誇り、リーグ戦でも上位の常連であり、優勝を争ったことも多い。しかし、優勝したことはない。シルバーコレクターとまで言われるほど二位の多いチームであった。

そのフロンターレの中心選手が中村憲剛選手だ。十代の頃は、ほぼ無名の選手であり、U15、U18、オリンピックなど各年代別の日本代表にも無縁であった。同世代に稲本や中田、遠藤といった黄金世代がいたことが、彼を無名たらしめた原因であった。

私立高校が圧倒的に強い東京において珍しく都立高校出身であり、高校サッカー選手権に出場したことが、フロンターレのスカウトの目に留まった。高校サッカーを長年観ている私も、まったくのノーマークであった。

しかし、入団以来、ずっと一軍であり、徐々にチームの中心選手となり、攻撃的なサッカーのけん引役となった。温和な性格とは裏腹に、ピッチの上ではチームを仕切る王様であった。

強気で知られたチョン・テセ選手は、その頑丈な体躯でDFをふっとばす屈強なFWだが、インタビューなどで「憲剛さん、怖いっす」と真面目に答えていた。マイペースなブラジル人助っ人のジュニーニョも憲剛には気を使っていた。

フロンターレはまさに中村憲剛のチームであり、彼の好不調に左右されるチームでもあった。でも、なかなか日本代表には声がかからなかった。当時、日本代表の中盤は黄金世代の中村俊輔らが仕切っており、憲剛とポジョションが被ることが難点であった。

しかしながら、オシム日本代表監督(当時)は憲剛を代表に呼んだ。驚いたことに、二人の中村を縦に並べて、よりダイナミックなサッカーをさせてしまった。代表デビューが二十代後半と遅めであったため、あまり目立った活躍はしていないが、優れた選手であることは間違いなかった。

それなのに、川崎フロンターレは一度もリーグ戦での優勝がなかった。私は何度となく、あと一歩及ばず、屈辱で俯く中村憲剛選手の姿をみている。優勝がかかった大事な試合で、いつも立ち塞がるのは鹿島アントラーズであった。

Jリーグが始まって以来、一度も二部に落ちたことのない真の名門チームであり、勝利の経験値が選手に叩き込まれたアントラーズは、常にフロンターレの優勝を阻んできた。

だが、2017年、Jリーグの終盤戦、首位を独走するアントラーズが後一勝で優勝なのに、引き分けを重ねた。徐々に上位を伺っていた川崎フロンターレにも優勝の芽が出てきたのには驚いた。でも、ほとんどのJファンは、アントラーズの優勝を疑わなかったはずだ。

しかし、奇跡は起こった。

勝てば文句なしの優勝であったアントラーズが引き分けた。ACLの日程の都合上、数日遅れて行われるフロンターレは勝てば大逆転での優勝決定。そして、執念の試合根性でピッチを縦横に駆け回ったフロンターレの選手たちは大勝して優勝を引き寄せた。私はピッチ上で号泣する憲剛選手の姿を忘れられない。

私はアントラーズのファンだ。でも、今回の逆転優勝に関しては、素直に川崎フロンターレを祝福したい。特にようやく、その実力に相応しい栄冠を得た中村憲剛選手を讃えたい。最後まで諦めず、逆転を信じてプレーした姿勢こそ王者に相応しいものだと思います。

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