自分が気が短いことを自覚したのは、かなり幼い頃だ。
基本的には大人しく、温和な性格だと思う。それは今も変わらないのだが、その一方で短気であることも変わりない。
ただ、若い頃と違って短気を抑制することは出来るようになった・・・と思う。まぁ、実際のところは9割程度で、残り一割としたのは暴発することがあるからだ。
短気は損気。分かっちゃいるけど、短気を抑えるのは難しい。元々の性分であるだけに、自動的に怒りが湧きあがり、それが拙いと思う前に手が出ている。
イイ大人のすることじゃない。そんなこたぁ、分かっているんだ。分かっていても、身体が動いちゃうから困る。
だからこそ、表題の作品を読んだ時、その終盤の緊迫した場面で失望した。
おい、なに我慢してやがる。そこは切れて良い。怒らなきゃいけないぞと十代前半の私は憤った。私ならば絶対にブチ切れていると確信していた。
山本周五郎は私の好きな作家ではあるが、この作品だけは最後の場面ゆえに好きになれなかった。
あれから40年、久々の再読である。驚いたことに私は最後の場面に納得していた。よくぞ堪えたと拍手喝采のエンディングであった。
私も変っていた。人は変わるものだ。そのことをつくづく痛感した再読でしたよ。