夜遊びをしなくなって久しい。
十代半ばから社会人になるまで、私はけっこう夜遊びをしていた。遊び場は渋谷であった。小学生の頃から出入りしており、中学、高校、そして大学と通った遊び場であったので、馴染みがあったからである。
もっとも酒は強くない上に、さほど好きではない。また賭博もパチンコ以外はやらなかった。ナンパは性に合わないというか向いてない。でも合コンならOK。だから遊び場は居酒屋であり、ゲームセンターであり、公園であったから、いたって健全なものだ。
当時、センター街や公園通りにはチーマーと称された連中がたむろしており、普通にお洒落して渋谷で遊んでいる健全な若者たちを裏通りに引っ張って、なにやら悪さをしていたことは知っていた。彼らとは距離をとることが、安全健全な夜遊びのコツであった。
子供の頃から繁華街に出入りしていた私は、安全に遊ぶには君子危うきに近寄らずが一番であると思っていた。そのためには、悪い奴らを見つけ、見分け、すかさず逃げ出すことが必要だと分かっていた。
もちろん男の子であるから、自分の腕っぷしで危機を切り抜けたいとの思いがない訳ではない。でも私は十代半ばで、自分の喧嘩の弱さというか限界を自覚していた。
自覚せざるを得なかった。喩えていえば、カール・ルイスの隣のレーンで100メートル走をやらされたようなものだ。どれほど努力しても、あの域にまでは達することが出来ないと確信してしまった。
もっと云えば、獲物の小鹿を仕留めて意気揚々としていたジャッカルが、バッファローを仕留めたライオンの雄姿を観て、自分の立ち位置を思い知らされたようなものだった。そのくらい衝撃的であった。
あれは十代半ば、既に堅気として生きていくと決めて、真面目っ子になろうと努力していた頃だ。堅気になるのは、口で言うほど簡単ではない。仲の良かった遊び仲間からの悪い誘いはいくらでもあります。
あの時も渋谷に呼び出されて、ゲームセンターで待ち合わせた。断われば自分が的にされることは分かっていたので、断れなかった。渋谷の街で遊ぶ以上、あいつらを敵に回す訳にはいかなかった。また、連中とつるむことで、美味しい思いをしてきたのも事実であった。
はっきり言うが、後ろめたい悦楽って奴はなかなか忘れられない。罪悪感と贖罪の思いは、時として快楽を味わう際のスパイスとなる。真面目になろうとしていた気持ちに嘘はないが、だからといってなかなか楽しいことは止められない。
公園通りから一本、裏に入った細い路地の奥にあるゲームセンターに入ろうとして、なにか異様な雰囲気に気が付き、警戒して通り過ぎた。勘は当たった。横にある駐車場で、なにやら喧嘩をしているようであった。
通り過ぎるふりをして、すぐに対面の雑居ビルに入り、非常階段をそっと上がり、上から駐車場を看るとやはり喧嘩であった。やられていたのは、私の遊び仲間であった。いや、喧嘩になっていなかった。5人もいるのに、相手一人にあしらわれていた。
ちょっと信じ難かった。あいつらは空手やボクシングなどをやっており、喧嘩ならば相当に強いと思っていた。ところが、相手が悪かった。まず長身であった。遠目にも1メートル90以上あるのが分かった。そして動きが軽快で、5人を相手にしても、捕まらずにさばいていたのが分かった。
強いなんてものじゃなかった。5人を相手に、ビンタしかやらないのだ。それも軽々と攻撃をかわしながら、笑顔で相手の頬を張る。それも軽くであることが分かる。数分後、5人は全員、膝をついて相手に許しを請うていた。みんな絶望的な顔つきで謝っていた。
あいつらの、あんな顔つき見たことがなかった。そりゃそうだろう。いくら攻撃しても当たらず、相手のビンタ、それも軽く頬をはたくだけの攻撃を躱すことも出来ずに、一方的に弄られるのだから。ありゃ、心が折れる。
ところで困った。出るタイミングを間違えれば、私が遊び仲間から逆恨みの対象になりかねない状況である。少し考えたが、結局正面から行くことにした。
駐車場に駆け込み、まだ俺が残っているぞと叫んで、その長身の青年に跳びかかった。そこまでは覚えている。で、記憶がそこで失せた。
気が付いたら、私はゲームセンターの中のベンチに寝かされていた。どうも私の後頭部に手刀を打ちこんで、私を失神させたらしい。後頭部を手でまさぐっても、コブひとつない。いったい、どれほどの技量なのだろうか。絶望的なほどの力量の差を思い知らされた。
良く見ると、5人とも顔が腫れていた。目が覚めた私に「お前に敵う相手じゃないぞ、無茶しやがって」とみんな苦笑している。どうやら、なんとか私は切り抜けられたようだ。
それにしても、私が経験した喧嘩のなかで、あれほど見事にのされたのはあの時だけだ。世の中には、恐ろしく強い奴がいることは良く分かった。後で分かったのだが、私らがあのゲームセンターで悪さをしていることがバレ、店の経営者が誰かにあの若僧たちを懲らしめるように頼んだらしい。
けっこう観ている連中がいたらしく、すぐに噂になって渋谷の街は、私らにとって非常に居心地が悪くなった。おかげで私らは事実上解散で、これを機に私は悪さから手を引くことが出来た。
5人のうち、2人はそれぞれ空手とボクシングの道場に真面目に通い出したらしく顔をみせなくなった。残り3人は他の街に逃げたらしく、一度誘われたが今度は断われた。あの時、逃げずに玉砕しておいて良かったと思う。
あの長身痩躯の若者がいったい何者なのかは謎のままであった。が、あれほどプライドが傷ついた喧嘩も初めてであった。断言するけど、私は本気で飛びかかったですよ。低い姿勢で、足を狙って飛びかかり、下から下腹部に頭突きをかますつもりでした。
でも、まるで相手にされていなかった。いつ、どうやって攻撃してきたのかさえ分からなかった。余裕で手加減されたのも良く分かった。下手にぶちのめされるよりも、無傷で優しく倒されたが故に、心が挫けた。
やっぱ、俺、弱いわ。
かくして、弱い僕は自信をなくして夜の街から足を洗いました。そんなシナリオで、私は不健全な夜遊びから足抜けすることに成功できたのです。その後は、下北沢や新宿で少し遊ぶ程度で、至って健全な夜遊びしかしなくなった。
その後、大学に入ってからはバイトで渋谷に通うようになったが、バイトと食事くらいで、以前のような危ない遊びはやらなかった。もう未成年ではないし、許されないことだと分かっていたからでもある。
でも、今でも思うことがある。あの駐車場での出来事がなかったら、私は夜遊びから抜けられただろうか、と。よく不良からの更生とかいうが、あれはそうそう簡単なものではない。
悪いと分かっていても、あの人間関係から抜け出すのは相当に難しい。多分、私は幸運だったのだと思います。