ヌマンタの書斎

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西郷と大久保 海音寺潮五郎

2017-12-07 12:02:00 | 

日本史に登場する人物のなかでも、不思議なほどに人気があるのが西郷隆盛である。

明治維新の立役者ではあるが、敗軍の将として人生を終えた悲劇の人物である。明治新政府に藷ヒいた反乱者であるにも関わらず、戦前戦後を問わずして人気がある不思議な人物だ。

日本の伝統的な考え方からすれば、政権の座を追いやられ、地方に飛ばされ、再起の戦いに敗れた将は、怨霊と化して日本に仇なすことが普通である。平将門や菅原道真などは、その典型であろう。西郷さんだって、怨霊となってもおかしくない条件はあったと思う。

しかし、誰も西郷さんが日本に仇なす怨霊と化すなんて考えもしなかった。それどころか、愛され、敬意を払われる人気者となっている。

竹馬の友であり、明治6年の政変で袂を別った大久保が致命的に不人気なのとは対照的に、西郷は今も英雄であり続ける。冷静に考えれば、明治維新政府の真の建設者は大久保だと思いますけど、大久保は決して英雄にはなれない。

正直、私には何故にこれほど西郷が人気があるのか分からない。分からないといいつつ、この人が目の前にいたのならば、付いて従うことを躊躇わないだろうとも思っている。

何故ならば、西郷は日本人の理想の体現者であるからだ。富貴を求めず、貧なるを恥じず、栄誉も欲しない。薩摩藩の武士でありながら、その忠誠心は薩摩でもなく、江戸幕府でもなく、おそらく天皇ですらない。ただ、日本のみを案じ、私心を捨てて、天に対する忠義のみを欲する。

古来、幾多の思想、哲学が生まれたが、如何に優れた理論であっても、人はその思想などには殉じたりはしない。

人が殉じるのは、その思想を体現した人物に対してだ。理屈じゃない、道理でもない。西郷には、人を惹きつけて止まない何かがあった。間違いなくあった。

だからこそ、明治天皇は西郷の死を聞いた時、「私は西郷の死を命じてはいない」と呟いた。明白な反逆者であるにも関わらず、その余りの人気ぶりに明治政府を慄かせた。

その意味も知らずに良く多用されるカリスマという言葉があるが、西郷はカリスマでは決してない。その人生は挫折と復活の繰り返しであり、決して神格化されることはなかった。

神格化こそされなかったが、誰よりも庶民に愛された豪傑であった。私は西郷以外に、このような人物を知らない。その西郷を評するに、わざわざ大久保をもってきた海音寺潮五郎の識見には感服です。

コメント (11)
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