人間は素手でクマは殺せない。
これは、どうしようもない。成長したクマは立ち上がれば、二メートルを超える。体重は200キロを超え、全身筋肉の塊である。牙を備えた噛む力も凄いが、なにより鋭い爪をもった上腕が脅威だ。
その腕の一振りで、鹿を行動不能に陥らせる。爪が当たれば、肉は弾け、骨まで引き裂かれる。北米のグリズリーが有名だが、ホッキョクグマ(ポーラーベア)も体長は3メートルを超える個体は珍しくない。北海道の羆も、それに若干劣るくらいだが、それでもその巨体は桁外れだ。
日本では、キノコ狩りやハイキングの最中にクマに遭遇して、それを老人が撃退したニュースが流されることがある。老人がクマを退治したなどと勘違いしてはいけない。
元々、山はクマの世界、縄張りである。そこに入って来た不届者(人間)を排除しようと威嚇したら、意外にも反撃してきた人間に驚いたクマが逃走しただけ。クマにとって人間はエサではないし、警戒心が強いのが本来のクマである。
人間にはクマの分厚い毛皮を破る、鋭い爪も牙もない。素手の人間は、クマを驚かすことは出来ても、倒すことなど出来はしない。
ところで1980年代、熊殺しの異名をとった空手家がいた。それがアメリカ極真空手の黒人選手であるウィリー・ウィリアムスである。あの猪木とプロレスのリングで戦った空手家でもある。
最初に書いておくけど、真面目な武道家であるウィリーは、クマを殺したことはない。映画で撮影されたのは、サーカス育ちのクマとのじゃれ合いである。いくら人馴れしたクマとはいえ、そのクマと正面から遊んだウィリーは凄いと思うけど、やはり人間が素手でクマを唐キことは出来ない。
これはプロレスの世界で云うところのギミックである。企画者は、おそらく梶原一騎であろう。罪なことをしてくれると思うが、梶原には彼なりの想いがあったのだろう。
現実問題、格闘技で食べていくことは難しい。ボクシングの世界チャンピオンの金満ぶりは、むしろ例外中の例外である。大半のボクサーは専業では食べていけない。自分でジムを経営するか、トレーナーとして就職するかがせいぜいで、多くの場合、他に本業を持っている。
格闘技で食べていけるのは、本当にごく一部の者だけである。比較的成功しているのが、大相撲とプロレスである。そこに着目したのが梶原一騎であった。梶原自身も空手を嗜むだけに、空手家の生活設計の一プランとしての興行をかねてから考えていたらしい。
だが、新しい興行を打つには目玉賞品が必要となる。それが「極真空手のウィリー・ウィリアムス」であった。対するはプロレス世界一を提唱するアントニオ猪木である。当時は異種格闘技戦が新日本プロレスの目玉興行であったから、当然に梶原の提案に乗った。
あの頃、猪木及び新日本プロレスは、モハメッド・アリとの異種格闘技戦で、莫大な借金を背負っていたので、どうしても世間一般から注目が欲しかった。そうなると、単なる極真空手家という肩書では物足りない。
そこで梶原一騎が打ち出したのが「クマ殺し」という看板であった。クマさんにはいい迷惑である。人馴れしたサーカス育ちのクマさんは、遊んでもらえると思って、ウィリーとじゃれ合っただけ。
ウィリー自身は、世界屈指の空手家だと言ってよいが、牙も爪もない人間である。クマさんに通じる訳がない。むしろクマさんの前に立った勇気を褒め称えたい。凄い度胸だと思いますよ。
この試合というか、興業を盛り上げるため、梶原一騎は少年漫画誌などを通じて世間に広くアピールしたのだが、モハメッド・アリほどのインパクトはなかったのが本当のところだと思う。
更に云うならば、本気で空手に打ち込んでいる空手家からすると、プロレスとの興行はかなり不本意であったはず。そのせいで、あの試合は、かなりしょっぱいものとなってしまった。
私の偏見かもしれないけど、打撃系の格闘技は、格闘演技を嫌うというか相性が悪いと思うのです。胡散臭さ満載のアントニオ猪木の演技力をもってしても、空手一筋の武道家ウィリーとのプロレスは無理があった。
その後のことですが、異種格闘技興業は勢いを失してしまい、替わってジャイアント馬場が提唱する「楽しいプロレス」が復権しました。そして異種格闘技路線は、新日本プロレスの若手に大きな影響を及ぼしました。そして、その後の泥沼の分裂劇を引き起こす遠因となってしまったのでしょう。
先月のことですが、ウィリーの訃報が伝えられました。愛する空手のため、敢えてクマとの撮影に挑んだ勇気ある空手家の死に、謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。