何事もない平穏な人生。
若い頃は、そんな暮らしは退屈だろうと思い込んでいた。ところが年齢を重ねると、その平穏な暮らしが貴重なものだと痛感するようになった。
我が家の隣の空室に、若い夫婦が引っ越してきたのは3年ほど前だと思う。気が付いたら引っ越して来ていた。もちろん引越しの挨拶なんてなかった。まァ当時、私は多忙を極め、家を早朝に出て、帰宅は深夜が普通だったので、挨拶があっても不在だったのかもしれません。
若い夫婦だけかと思ったら、何時の間にか2人の子供が増えていた。このあたり、私が日中、不在にしているので、単に私が気が付かなかっただけの可能性もある。まァ廊下であっても、軽く挨拶するだけで、世間話さえしたこともない。
だが、最近は体調が悪かったので、週末は仕事を控え、家に居ることが多かったので気が付いた。子供の声がしないことに。
以前、少し早めに帰宅すると、隣の部屋から子供の泣き声と、それを叱る母親の声が聴こえることがあった。鉄筋コンクリート造りの建物なので、それほど響くことはなく、外廊下にいなければ聴こえない程度ではあった。まァ、よくある話である。
ところが最近、気が付いた。子供の声も、奥さんの声も耳にしていないことに。夜半はともかく、夕方ならば大概、子供たちの声と、母親の声ぐらいは耳にしていた。しかし、最近はその気配さえない。
もしかして、誰もいないのかと思ったほどだ。でも、先週末、宅配便を届ける業者と、隣室の若い男性の声が聴こえてきたので、空室ではないことだけは分かった。ちょっと安心した。
実は隣室は十数年前、孤独死があった曰くつきの部屋なのだ。そのせいか、数年間空室のままであった。でも、引っ越してきた若い夫婦は知らないはずだ。知っているのは、公社の人間と、私を含め昔から住んでいる3軒くらいだ。
若い夫婦は、自治会にも顔を出していないので、古株の私らとは挨拶以外に接点がない。だから知らないと思う。
これは想像でしかないが、多分奥さん、3人目を妊娠して実家にでも居るのではないかと思う。私同様、早朝出社で深夜帰宅の旦那さんでは、二人の幼子の面唐ナれるわけがない。だから、子供を連れての実家帰りではないかと思っている。
まァ、これは良い方への想像だ。もちろん世間ではよくある、夫婦げんかの結果としての別居だってある。以前、孤独死された方は、離婚の末の独居であったから、私としては嫌な想像も考えなくはない。
でも出来たら、妊娠里帰りであって欲しいとも思っている。日ごろ全く関わりのない隣人ではあるが、この閑静な住宅街では、子供の声ってけっこう大事。うるさいと思う人もいるらしいが、子供の声がしない住宅地って寂しいものです。
私がここに住み始めた頃は、子供の声は喧しいレベルであり、子供の姿を見かけない日はなかったものです。当時は自治会も活気があったし、雰囲気も明るかった。今じゃ老人会はあっても、子供会は自然消滅している始末です。
人口減少と高齢化社会の到来により社会の停滞を防ぐ最良の手段は、若い層の増加であることを痛感した週末でしたよ。