赤い靴、履いてたァ~おんなの子~、異人さんに連れられていっちゃ~た♪
童謡として有名な歌詞の一部だが、私はどうも苦手だ。思い出してしまうのだ。
父母の離婚に伴い、母と私たち兄妹は一時期、祖父母の家に厄介になっていた。情緒不安体になった私は家でこそ大人しかったが、学校や放課後はトラブルを頻発させる問題児であった。
そこで母は私をカブスカウトに入隊させた。ボーイスカウトの幼少部であり、集団活動が基本のサークルでもある。私は規則や決まり事を破るのが大好きな、ひねくれ者であったが、このカブスカウトの一員になることは割と気に入った。
気に入った一因は、野外活動が多くあったからだ。東京の原住民ではあるが、私はわりと緑の多い街で育ったので、林や野原で自由に遊ぶのが大好きな子供であった。
引越し先の祖父母の家の周囲は、いわゆる寺町で緑は多いが、墓地か私有地なので見た目ほど遊べなかったのが不満であった。だからカブスカウトの活動で、郊外の野山に行けることが楽しかった。
母は二年ほどで自活できる目途が付いたようで、小学校で傷害事件などを起こした私を逃がす意味もあって、再び引っ越した。引越し先は今まで以上に緑のない街であったが、繁華街で遊ぶことを覚えた私は、もう気にすることはなかった。
というか、カブスカウトで覚えた高尾山や奥多摩の山へ、友人と連れだって遊びにいけるようになっていたので、緑が少なくても不満はなかった。もっとも当時は小遣いも少なく、そうそう頻繁に郊外の山へ行くことは出来なかった。
親からの小遣いの他、祭りの屋台の手伝いとかで小銭を貯めて、夏休みなどに安い私鉄に乗って高尾山に虫取りに行くのは、親には内緒の楽しみであった。もっとも以前にも書いたとおり、高尾山は人間に管理された自然で、虫取りには不向きな山であった。だから近辺の野山での虫取りの方が良く捕れた。
あの時は、もう野山に赤トンボが飛んでいたから8月の終わりの頃だと思う。高尾山登山口の手前の駅で降りて、国道を下り、橋を渡ったあたりで下の道に降りる。そこから川沿いに山に入っていくと、ブナや楢の木が多く、クワガタやカブトムシの捕れる森がある。カブスカウトの頃に覚えた虫取りの名所であった。
さすがに夏の終わりとなると、甲虫はなかなか見つからないが、今回の目当てはキリギリスなど秋に鳴く虫である。この時期はまだ鳴き方が下手なのだが、地元ではまず見つからない虫なので、是非とも捕まえたかった。
ところがその日、欲しい虫は見つからず、私は少し焦っていた。もう夕暮れは迫っているし、7時前には帰宅したい。焦りが足を速め、普段なら入り込まない草むらにも突入してみた。
草むらを抜けると、ぽっかりと空間があって、その先に古いお堂があることに気が付いた。ありゃ?と思い、よく見まわすと人気はないが、綺麗に掃除されているので、こりゃマズイと思い立ち去ることにした。
ふと気配を感じて振り返ると、足元に小さな祠があった。そして、その祠の前に、小さな赤い靴が揃えて置いてあった。なんだ、これ?
実はこの後のこと、私はほとんど覚えていない。
ただ、なんとなく思い出せるのは、あの小さな祠の中に、なにかがあったような、あやふやな記憶だけだ。たしか、私は腰をかがめて祠の中を覗き込んだような気がする。
駄目、もう思い出せない。その後、斜面を早足で下り、待ち合わせのバス停に駆け込んだことは、しっかりと覚えている。そこで先に待っていたTの奴が、嬉しそうにキリギリスと大きなカマキリを見せてくれたことだけは、はっきりと思いだせる。
その後、二人で電車で乗ったのだが、途中から私が発熱して、フラフラでTに支えられて帰宅したはずだ。私は薄着だったので、冷え込んだ山の夕暮れで風邪を引いたのだと思う。そのせいで、記憶が途切れがちなだけだ。
発熱すれば、記憶もあいまいになろってものだ。うん、そうに決まっている。
もう四十数年前のことだ。詳細を思い出せるはずもない。でもなァ・・・あんな小さな祠、人が入れる訳がない。でも何かが見つめ返してきたような・・・
うん、ネコだよね。薄暗くても、ネコの目なら光るしさ。私はそう結論づけています。
で、あの赤い靴はなにさ。し~らねっと。思い出したくないんだよね、なんか気分悪くなりそうでさ。