私が日頃読む本の過半は翻訳本だ。
外国語を日本語に翻訳すると、どうしても無理というか不自然な文章になることがたまにある。これを上手く意訳できる翻訳家は優秀とされる。でも意訳が過ぎて原文と異なる雰囲気になることもある。
末ナひどかったと云えば、なんといってもサンリオ文庫なのだが、近年はシドニー・シェルダン以来の意訳ブームである。また村上春樹がやっているような意訳もあるので、一概に否定はしない。
でも本来の直球勝負的な翻訳だって、私はそう嫌いではない。この日本語として若干不自然な直訳系翻訳本のほうが、案外原作に正直な気がする。私が翻訳本を好む理由の一つは、日本とは異なる世界の物語を知りたいといったものがある。
だから多少ぎこちなくても、従来の翻訳のほうが好きだ。でも読み易さからいったら、超訳なんて云われている意訳も悪くないと思っている。
そんな私だからこそ、上手な日本語の小説を読むと、翻訳との違いというか、文章の質の違いに感銘を受けざるを得ない。
最近、感心したのは松本清張だ。社会派の推理小説の大家であり、国鉄の乗り換えを利用した犯罪など、正統派のトリックを用いたミステリーに定評がある。
久々に読んだのだが、一番感銘を受けたのは、その平易な文章の読み易さ、分かり易さであった。最近のラノベ作家の駄文と比べるのが失礼なくらいの練達の日本語である。
本屋巡りも出来ず、図書館もお休みなので、押し入れの段ボール箱から探し出した一冊なのだが、再読したのは中学生の頃以来。当時は夫の失踪に悩む妻の気持ちなんて、ほとんど理解していなかった。
だから今回の再読で、改めてこの作品の仕込みの確かさに感心した次第。ミステリーとしては「点と線」の方が上だと思うけど、小説としてはこちらのほうが好きですね。