私が子供の頃、週末の夜8時といえばTVの前に座って「八時だよ、全員集合!」を視るのがなによりの楽しみであった。
うろ覚えだが、荒井注が抜けて、その後に入ってきたのが志村ケンだったと思う。正直に言えば、それほど好きではなかった。ドリフターズのお笑いは、厳密なシナリオに基づいたものが基本だが、志村ケン以降アドリブが増えたように思う。
それを悪いとか、面白くないと思った訳ではない。しかし、同じ時間に放送されるようになった「オレたちひょうきん族」の方が、圧倒的ににアドリブによる面白さは上だった。これは当時の漫才ブームに乗って作られた番組なので致し方ない。
それでもドリフターズのメンバーのなかでは、アドリブ的なコントが得意であったのは確かだと思う。ただ、そのわりにトークは苦手みたいで、ラジオのDJのような仕事は断わっていたらしい。
あまりTVを見ない私は、どちらかといえばラジオを楽しんでいたので、必然的にラジオ番組もやっていたビートたけしや他のお笑い芸人の方へと関心が強くなっていた。だから社会人になって以降、志村けんは、知っているけれど、その活躍はみてない倹lに過ぎなかった。
だからこそ驚いたのが、日本在住の外国人から人気が高かったことだ。30過ぎてから社会復帰したのた私は、当初繁華街の飲食店を中心として税務申告を担当していた。
バブル景気以降、街の繁華街には外国人女性が数多く働くようになり、私も彼女らの申告を扱う件数が増えた。必然的に、お店に行くことも増えた訳だが、その時驚かされたのが日本のお笑い芸人たちの人気者ぶりであった。
日本で働いているといっても、概ね日本語の初歩的な会話しか出来ない娘がほとんどであった。だがけっこうTVは見ているようで、特にお笑い系で人気が高かったのが、ビートたけしと、志村けんであった。
明石さんまやタモリが人気イマイチだったのは、話芸に付いていけなかっただからだと思う。でも、ブラックデビルはさんまよりも知名度が高かったのには笑った。
志村けんに関しては、ダントツで馬鹿殿芸人気であったように感じた。日本語には不自由な外国人でも、その志村の笑いは楽しめたようであった。特にアジア圏ではかなりの人気ものであったと聞いている。
その志村けんが、新型肺炎により亡くなったとの報にはさすがに驚いた。ドリフターズでは最年少の印象が強かったからだが、なんとなく年齢的に弱ってきている印象があったので、新型肺炎に止めを刺されたかのような気持ちになった。
子供から大人までとは良く言われる言葉だが、日本語がよく分からない外国人にも人気であった志村けん。残念な、そして少し早過ぎる訃報であったと思います。合掌。