ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

グアバジュース

2009-05-08 10:04:00 | 健康・病気・薬・食事
南国のフルーツが好きだ。

くさやにも負けぬ悪臭で名高いドリアンの甘さは格別だし、マンゴースチンも果実の女王の名に相応しい美味。巨大なジャックフルーツや、マンゴー、パイナップル、バナナ、みんな大好き。

なかでも大好物なのがグアバだ。ただし、果実は食べたことがない。もっぱらジュースだけなのだが、これが美味しい。少し酸味のある桃のような甘さがたまらなく好きだ。

初めて飲んだのは、80年代前半だと思う。DYDOという清涼飲料水メーカーで発売された缶ジュースが本邦初のグアバジュースだと思う。これが美味しかった。一発で病み付きになった。

ところが、DYDOは清涼飲料水メーカーとしては後発であり、その自動販売機もどこにでもある状況ではなかった。おまけにグアバジュースはあまり宣伝もされず、DYDOの自販機全てに配置される商品ではなかった。

私はグアバジュースの置いてある自販機をこまめにチェックして、わざわざ自転車コギコギ買いに走ったものだ。しかし、これだけ美味しいにも関らず、人気はなかったらしく、置いてある自販機は減る一方。ついには絶滅してしまった。

市場経済の冷酷な原理に憤ってみても仕方なく、たまに行く海外旅行で私は鵜の目鷹の目でグアバジュースを捜し求めた。ワイキキのホテルでグアバジュース飲み放題のジュースバーを見つけた時は、思わず歓声を上げてしまったほどだ。

その後、外人クラブで飲んでいるときに、そこのオネエチャンたちから日本でも売られていることを聞いて、さっそくに買いに出かけた。たしかに上野や大久保のアジア人向けの雑貨店に行けば、タイ産のグアバジュースが売られていたが、これは果汁100%ではなく、味も薄めで物足りなかった。

ところがだ、灯台下暗し。昨年、銀座のドンキホーテで果汁100%のグアバジュースを見つけてしまった。やはりタイからの輸入ものだが、1リットル入りで360円程度。飲んでみると、十分満足のいく味である。以来、我が家の冷蔵庫のみならず、事務所の冷蔵庫にも常備するようなった。

これから暑い季節を迎えるが、今年は冷えたグアバジュースを楽しめることとなり、私としてはたいへん嬉しい。唯一不安は、商品の回転の速いドンキホーテがグアバジュースの販売をやめてしまうことだ。まったくもって、悩みは尽きないものだよ。
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みつばちマーヤの冒険 ボンゼルス/熊田千佳慕

2009-05-07 10:42:00 | 
スズメバチは日本の固有種であるが、世界最大の蜂であり、おそらく世界最強の蜂でもある。

アフリカのキラービーもその毒の強さ、攻撃性などでは劣らないし、世界で最も人を襲い被害を出しているが、如何せんスズメバチほどの大きさは無い。

スズメバチはその強力な顎でミツバチを食いちぎり、わずかの時間で数百匹のミツバチを殺してしまう。その強力な毒針を使う必要さえない。たった数匹のスズメバチが、2万匹を超えるセイヨウミツバチの巣に襲い掛り、僅か十数分で全滅に追いやった映像を観たときは、そのあまりの凄惨さに声を失した。

養蜂業者にとって、このスズメバチの襲撃は頭の痛い問題で、ちょっと目を離した隙に襲われ、巣箱は全滅させられる。台風や地震と同じ自然災害と思って、諦めているらしい。

ところが、同じ日本の固有種である日本ミツバチは、このスズメバチに対する攻撃方法を持っていて、簡単にやられはしない。

まず、偵察のスズメバチを巣に誘い込む。この偵察の情報がスズメバチの巣に持ち帰られたら、いかに日本ミツバチといえども勝ち目は無い。だから、この段階で偵察のスズメバチを必ず殺す。

巣のなかに誘いこみ、一斉にスズメバチにしがみ付く。まるでミツバチのボールに見えるほど、沢山のミツバチがスズメバチにまとわり付く。そして、身体を震わせて熱を発する。

日本ミツバチは、摂氏46度まで耐えられるが、あの巨体のスズメバチは44度が限界なのだ。丸いボール状になるほど密集した場合、中心部の温度は45度ちかくにまで上がる。つまりスズメバチは蒸し焼き状態となる。

気がつくと地面には、巨大なスズメバチの死骸が転がっている。もちろん、日本ミツバチも相当数が巻き添えになるが、巣そのものは無事である。この押しくら饅頭作戦で、日本ミツバチはスズメバチを撃退してきた。

こうして、日本列島ではスズメバチとミツバチとの死闘がひと目に触れぬ形で繰り広げられる。海外から輸入されたセイヨウミツバチには、このような戦い方はないので、ただ一方的な虐殺だが、日本ミツバチは刺し違える形でスズメバチを撃退する。

ミツバチを主人公にした作品では、TVアニメの「みなしごハッチ」が有名だが、リアリティというか、真実味という点では表題の作品のほうが若干上だと、私は思います。もっとも私は表題の作品は、知人宅においてあった子供向けの童話で読んだので、アニメ化された作品は観ていません。

童話って、けっこう侮れないと思いましたね。特にこの作品は熊田さんの緻密な挿絵が素晴らしい。実際お子さんの不思議そうな視線を無視して、私は夢中になって読んでいましたから。絵本もたまにはいいものです。
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日本の外交 入江昭

2009-05-03 08:57:00 | 
私の仕事相手である町の中小企業は、ほとんどがワンマン経営である。

ある程度、規模が大きくなると幹部社員が育ち、ワンマンから集団合議制へ経営の主体が移行することもある。ただし、滅多にない。

中小企業の強みは、決断の速さと機動力にこそある。だからこそワンマン経営が求められる。ワンマン経営を批判する人は多いが、ワンマン経営こそ信賞必罰のきわみにある経営手法であるのも事実。

なにしろ経営者自らの決断で、会社の業績は大きく変る。その判断を過てば、たちまち市場から弾き飛ばされる。成功すれば甘い果実は独り占めだが、失敗した場合の責めは一人で背負わねばならない。この過酷さが、世界に冠たる日本の中小企業を育んだ。

実績に裏づけされたワンマン経営者は、当然の結果として自分の正しさに固執するようになる。そうなると、このワンマン経営者たちが集まって、何かを決めようとすると必然的に紛糾する。

彼らは絶対的な指導者の存在を許さない。指導力のあるリーダーは認めず、かわりに利害調整型の人物を形式上のリーダーに祭り上げる。いかに自分の意向を汲み上げる人物をリーダーの座に押し上げてやるかが、主導権を握るポイントとなる。

一方、祭り上げられたリーダーは、全体のバランスをみて舵取りをすることを求められる。しかし、本来あるべき指導者としての強制力には乏しく、各方面への根回しと利害調整に追われることになる。

結果として、統一体としての明確な方針や意思が不明確な政治となる。これが明治維新以来の日本の近代化を担う政府の本質であった。政治とは本来、経済、軍事、行政、文化など多様な勢力の中心にある存在である。しかし、明治から昭和にかけての日本は、経済の近代化以上に、軍事的高度成長が際立ついびつな構造であった。必然的に軍部の意見が政治に反映しやすくなる。

もっとも明治維新の元勲という強力な指導者たちがいた間は、政治的目標が明確であった為、混乱し迷走するようなことはほとんどなかった。軍部の指導者でもあった元勲たちは、当然のように軍部を抑えることができたからだ。

ただ憲法制定の際、本来実権の無い天皇に権限を形式的に与えてしまったことが、後々の軍部独走を招いた。実権のないことを自覚していた天皇は、素直に形式的な主権者の地位を演じて、政治実務は内閣に任せた。

しかし、元勲の多くが退き、内閣が政治の主体となると、主権が天皇にあることを利用して、軍部が政府を壟断した。これは誇張はあっても事実だと思う。しかしながら、軍部が独走したことにも、相応の理由があることも確かだ。

その理由の一つに、幣原外務大臣に代表される理想主義的な外交姿勢にある。国際協調という麗しき理想に目がくらんだ政治家は幣原だけではない。アメリカにも欧州にも、この理想主義的政治姿勢は一定の支持を集め、実際に現実の政策として実現した。

しかし、その美しい理想も大恐慌の暴風の前に吹き飛び、理想では覆い隠せぬ人種差別感情や、貪欲な経済原理の前には無力であった。危機にあっては、利害調整型のリーダーはむしろ有害ですらある。だからこそ、現実的で実績有る軍部や財界の専横を招き寄せることとなった。

本気で戦争の反省をしたいのなら、謝罪よりもまず、現実の政治でなにがおこったのか正しく認識する必要がある。その意味で、歴史をアメリカで学び、アメリカの学者として実績を残した入江氏の著作は良きテキストになりうる。

歴史は勝者のエゴで書かれてしまうが、それは必然であり不快であっても受容せねばならぬことでもある。ただし、多面的な見方はあってもいいと思う。日本の外交に視点を置いて、20世紀の日本がいかに揺れ動いたかを述べ記している。

謝ればいいだろうという安直な反省や、負け戦を美化するような不健全さとも無縁な、冷静な歴史的視点は、敗戦を反省する上で、良きヒントを与えてくれると思います。ページ数は少ないものの、読み応えはあり、思ったよりも読むのに時間がかかったのが印象的でした。考え込みながらする読書も、けっこういいものです。

追記 せっかくの連休なので6日までお休みします。再開は7日(木曜)です。では、おやすみなさい。
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早朝の改札にて

2009-05-01 12:38:00 | 旅行
まだ明けきらぬ早朝のF駅は、がらんとしていて蛍光灯がうすら寒く感じた。

本当は昨夜のうちに着いているはずだった。いろいろあってその晩には間に合わず、結局大阪から東京行きの夜行列車で早朝に途中下車することになり、寝ぼけ眼で駅の改札を抜けた。

同期のT嬢の実家に立ち寄るつもりだが、如何せん着くのが早すぎた。駅前の喫茶店で時間を潰すかと思い、いざ外へ出ると薄暗い駅前ロータリーは人影まばらで、開いている店はどこもなかった。目の前に広がるはずの富士山でさえ、暗闇が濃くて、よく見えやしない。

致し方なく、駅に戻り改札前に設けられたベンチに座り込み、文庫本でも読み出す。天井の高い改札口は、蛍光灯の光が白々しく、時折線路を走り抜ける貨物列車の振動だけが響き渡る。

ふと気がつくと、10個ちかくあるベンチの片隅に人影がみえる。ちらりと見やると、どうも若い女性らしい。静まりかえった改札口の沈黙が、なんとなく気まずく私は文庫本を読むことに集中していた。

「お菓子、食べませんか?」

背後からいきなり声をかけられた。振り返ると、件の若い女性が飴の袋をもって立っていた。礼を言って、飴をいただくと、それをきっかけに話し出した。

「さっき、東京行きの夜行から降りてきた方ですよね。どうして戻ってきたのですか?」と尋ねられた。私は帰京する途中で友人宅に立ち寄るつもりだが、早く着きすぎて、店も開いてなくて仕方なく戻ってきたことを告げた。

答ながら、妙に思った。私が改札を抜けてきたとき、どうやら既にこのベンチにいたらしい。若い女性が一人で駅にいる時間ではない。さりとて待ち合わせの様子もない。なにより服装がちぐはぐだ。十代後半のようだが、外出する格好にしては、あまりにラフだ。

おずおずと尋ねてきた。「東京の方ですよね。アパート借りる時って、保証人は必ず必要ですか?」

どうやら上京を考えているらしい。しかも、突発的に出てきたようだ。私は日本国内なら、どこでも部屋を借りる時は保証人が必要だろうねと、一応答えておく。(昭和の頃で、保証会社はまだない)

お節介な上に、意地悪な私は淡々と続けた。ただし、彼女の顔がみえない方向にそっぽを向いて話だした。「でも、まあ、若い女性なら手はないでもない。いささか気持ち悪い時間を我慢する必要があるが、なに、心を凍らせて我慢していればいい。いきなり吉原はきついから、渋谷か五反田あたりの風俗店に相談すればアパートぐらいなんとかしてくれるよ」

感情をこめずに、平坦に話続けた。「なに、あのあたりの風俗店なら本番はないから妊娠の心配はない。たしかに気分の悪い仕事だけど、金にはなる。金さえ十分あれば自由に暮らせるのが東京のいいところだよ」

鼻をすする音が聞こえた気がした。「もっと、詳しく説明しようか?」と聞くが、答はかえってこない。

もう話を続ける必要はなさそうだ。私はジュースの自働販売機に行き、ホットの缶コーヒーを買って、彼女に手渡した。うつむいたまま小さな声で「どうも」といったまま、ベンチの上で固まっていた。

しばらくして彼女、すくっと立ち上がると「帰ります!」と声を発した。私は黙って手をぶらぶらさせて、彼女が走り去る後ろ姿を見送った。

別に家出しようと、風俗店に身を落とそうと私の知ったことではないが、私がきっかけになるのは御免だ。東京に限らないが、都会は余所者には冷たいところだ。その冷たさに耐え、他人の欲望を食い散らかして一稼ぎするには覚悟が足らない。

気がつくと駅の外は既に明るい。Tの大好きな富士山が朝日に輝いている。あとこ一時間したら、電話で迎えにこさせるか。それまでに文庫本一冊読みきれそうだ。Tに会って渡すものを渡したら、今日のうちに東京へ帰ろう。あそこが、私の故郷なのだから。どんなに冷たくて、汚い街でも、あそこしか私の帰るところはないしね。
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