ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

壊れ時

2011-10-07 18:25:00 | 日記
窓から吹き込む夜風が気持ちイイ。

暑かった夏も終わり、ようやく心地よい秋風が駆け抜ける季節となった。座卓の上にノート型PCを広げて、さくさくと気持ちよくブログの原稿を書いていたときだ。

思ったより夜風は冷たかったみたいで、思わずクシャミが出た。

口を押さえようと右手を口元に持ってきた時に、紅茶のカップを転がしてしまった。しかも、紅茶の液体は、思い切りPCのキーボードに降り注いでいた。

しまった!

とき既に遅く、ノートPCは紅茶をかぶっている。あわてて、ひっくり返し、新聞紙の上に置いて水分を吸い取らせるが、もう結果は分っている。

数時間後、予想通り幾つかのキーボードが作動しない。またも修理に出さねばならぬ。そう、実は今年二回目なのだ。修繕費が財布に空っ風を吹かせること請け合いだ。

自分で言うのもなんだが、私は物持ちがいい。十年どころか30年以上同じものを使っていることも珍しくない。ところがだ、今年に限っては買い替えざる得ない事態に陥ることが多い。

まず手始めは、3月11日の東日本大震災だ。この地震の揺れで長年使ってきた本棚が3つ壊れた。本を積み込みすぎたのが間接的な要因だろうが、深夜に帰宅した私を待っていたのは家中に飛び散った本と、ぶっこわれた本棚だった。

次がノートPCに花瓶の水がかかっていて、壊れていたことも痛かった。でも、まあ、地震による被害は天災なので致し方ないと諦めていた。

ところがだ夏になってからだが、車を運転するようになって初めて接触事故を起した。自分のミスが原因だが、精神的なショックもさることながら自信喪失にもなった。

そして、傷口に塩を塗りこむが如く、その数週間後には車のクーラーが壊れた。この夏までで、修繕費は累計70万を超えている。呆れて物が言えない。

その後のことだが、台所で食器を洗っていたら、20年以上使っていたお碗が割れた。なんの前触れもなく、手の中であっけなく割れた。怪我こそなかったが、愛用していたお椀だけにショックだった。

そんな矢先に、今回のノートPCの故障である。80万台はそう遠くない。

改めて思うが、こんなに短期間のうちに、連続してものが壊れた経験はない。それだけに精神的な衝撃が大きい。今年は災難の年らしい。

まァ、東日本大震災や台風で家族を亡くしたり、家や家財を一切なくした方々に比較すれば失礼なぐらいの軽度の損害なのだろう。それは分る。分るけど、やっぱりショックだ。

実のところ、修理こそしてないが、その必要がありそうな家財は他にもある。オーディオも怪しいし、風呂釜も少し心配だ。30年以上使っている炊飯器も、最近少し機嫌が悪い気がする。

いったい、ぜんたい、どうなっているんだ!

ちなみに厄年ではない。でも、本気でお祓いに行きたくなってきた。なんか負ける気がするので、この手の風習には冷淡だったのだが、今は藁にもすがりたい気分である。

問題は忙しくて、そんな暇がとれそうもないことだ。こういう状態をジリ貧というのだろう。

私はこんな時、極力悩まないようにしている。悩んでも答えなんか無いことぐらい分っている。悩む暇があるなら、今やるべきことをやる。そのうち、なんとかなる。

忙しくしていれば、悩む暇もなくなるしね。
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イマジカ クライブ・バーカー

2011-10-06 13:00:00 | 

なにがあったんだ、パーカー先生。

イギリスの新進気鋭のホラー作家であるクライブ・パーカーーといえば、血と内臓が撒き散らされるスプラッタ・ホラーの大家である。「ミッドナイト・ミートトレイン」を初めとして、読者をのけぞらすようなホラーを次々と発表してきた。

そのバーカー、渾身の大作が表題の作品。はじめて読んだ時は、戸惑いと違和感を禁じえなかった。これはいったい、なんなのだ?

まず、ホラーではない。SFの匂いも濃厚だが科学性の欠片もない。大人向けのファンタジーと言われれば、一応肯きたくはなるが、確信は持てない。さりとて官能小説では断固無い。

強いて言えば、驚くべき実験小説なのかもしれない。

ホラー小説の醍醐味は、恐怖を揺さぶられることにある。如何に人間の恐怖に訴えるか、それこそがホラー作家の挑むべき荒野であった。

キング、マキャモン、クーンツ等多くの作家が、この荒野に挑み、荒地を切り開いてきた。ただ、最近妙な傾向があって、ホラーがファンタジーに融合しつつある。しかもSFまでもが混ざりつつある。

その先鞭をきったのはキングだと思うが、まさかバーカーまでもが後を追うとは思わなかった。一言で評すれば、新たな世界観の創造なのだと思う。

私には新たな創世記の記述としか思えなかった。欧米の作家には、とりわけSFとホラーにおいては、キリスト教的世界観からの離脱を目指したものが少なくない。

すなわち、キリスト教の価値観、倫理観が通用しない世界こそ、彼等欧米人にとっては最大の恐怖なのかもしれない。そうでもなければ、このような新たな世界の創造にバーカーが渾身の筆力を傾けるはずがない。

キリスト教的価値観とはいささか離れた世界に住む、一日本人としては、このような作品には困惑を覚えずにはいられない。

表題の作品は、バーカー自身はもちろん、編集者や出版社も最大の傑作だと思っているのだろうが、八百万の神々の住まう国の原住民には、共感することは難しいといわざる得ません。

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適温

2011-10-05 12:02:00 | 日記

ここ数年のことだが、クーラーの設定温度は28度にとの宣伝を良く目にする。

率直に言って、室温28度というのは室内だけで仕事する事務系の人たちには適温なのかもしれないが、外回りが多い営業系の仕事をする人たちには迷惑極まりない温度でもある。

ただ、今年は電力不足もあいまって、室温を28度に設定した事業所、家庭は少なくないと思う。この28度の温度を大歓迎している奴等がいる。

それがゴキブリたちだ。

この28度という温度は、彼等ゴキブリ一族にとっては種族繁栄には絶好の適温であるらしい。暑すぎても、寒すぎても良くないらしく、空調機のおかげで28度に保たれた室温は、繁殖には最適の環境だそうだ。

そのせいだろう。私の事務所はビルの5階であり、単なる事務所なので本来、ゴキブリとは無縁のはず。ところが、今年に限っては、事務所のなかでゴキブリを見かけること数度。

おかげでゴキブリ駆除剤を大量に駆使して、排除に手間隙かけねばならなかった。まったくいい迷惑である。ちなみに飲食店は、駆除剤程度では追いつかず、専門の害虫駆除業者に依頼してゴキブリ対策に追われたそうだ。

おかげで、ゴキブリ駆除業者は猫の手もひったくりたいほど多忙を極め、決算ではかなりの黒字を計上しているようだ。まさにゴキブリ様様であるらしい。

ところで、この話を事務所でスタッフにしたところ、クーラーの設定温度は直ちに25度に引き下げられた。彼女たち曰く「たとえ停電になっても、ゴキブリとの共存は嫌です」との旨。

そんな訳で、この暑い夏、私の事務所は25度で過ごさせてもらった。節電意識がないわけではないが、嫌ゴキブリ感情の高まりには抗しきれなかった。

ああ、やっぱり節電は難しい。

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プロレスってさ 藤原喜明

2011-10-04 14:57:00 | スポーツ

裏方の反逆、それが藤原喜明だ。

アントニオ猪木が海外へ遠征するときは、必ず藤原を伴った。未知の強豪とぶつかる時は、まず藤原に相手をさせて様子を伺った。また、腕試しに新日本プロレスの道場に乗り込んでくる奴等を相手するのが藤原の役目だとも言われた。

あまりに強すぎてプロレス業界から干されてしまったカール・ゴッチの許に修行に出て、ついにはゴッチから我が子同様に可愛がられ、またそのレスリング技術を伝承された実力者として知られていた。

しかし、藤原はあくまで新日本プロレスの中堅レスラーに留まり、決してメインイベントに出ることはなかった。理由は簡単にして明白。顔が地味だったからだ。明らかに華やかさに欠けていた。

妙に思う方もいるかと思うが、プロレスは格闘演劇。やはり見映えは重要な要素となる。藤原が強いことは、プロレスの試合を会場で生で観ている人なら、大概が納得できるはず。だが、メインイベンターとなるのには、どうしても外見的な華やかさが足りなかった。

せめてオリンピック出場とか、柔道日本一とかの肩書きがあれば良かったのだが、藤原は町の喧嘩自慢がプロレス入りしたような無頼漢であっため、肩書きなどないに等しいものであった。

ただ、その実力は本物であった。プロレスの試合で、藤原を痛めつけ、堂々勝ち名乗りを上げた有名外人レスラーが、控え室や道場では藤原にご機嫌伺いをたてていたことは、プロレスファンなら有名な裏話であった。

大金を払って招聘した外人レスラーを使って観客を集める以上、彼等を引き立てる役割は重要だ。この引き立て役は弱くては駄目だ。弱いと外人レスラーを増長させて、結果的に下手な試合を演じさせることになる。

其の点、藤原は受身が上手く、関節技の名手であり、しかもガチンコの喧嘩ファイトにも強かった。初めて来日させた外人レスラーは、試合に上がる前に道場で藤原にコテンパンに痛められ、その実力差を思い知らした上でリングに上げた。

こうなると下手な試合をすれば後が怖いと外人レスラーが肝に銘じてリングに上がる。観客を喜ばす試合を演じるには、藤原のような実力在る中堅レスラーが必要不可欠であった。

しかし、如何に実力があろうと、外見が地味な藤原は中堅のレスラーで終わるはずであった。そのはずだった。だが、一人の若手レスラーの反逆が、彼の心にさざなみを引き起こした。

それが長州力だった。アントニオ猪木とその一番弟子の藤波辰巳に対して公然と牙を剥いた長州は、一躍時代の波に乗って人気を博した。藤波の下風に置かれて、三番手の男であることに我慢できなかった長州の姿に「俺だって」と心燃やしたのが藤原であった。

プロレスファンは、これまで地味な中堅に甘んじた彼の反逆に驚き、そしてテロリスト藤原の名称を与えて彼を応援した。本物の格闘技志向を持つ前田や佐山(タイガーマスク)、高田、山崎らと集い、ここにUWFの母体が生まれた。

その後、UWFの設立と倒産。藤原組の発足などいろいろあったが、事業として成功したとは言い難い。だが、この地味な役回りを演じていた男の、意地の反逆は多くのプロレスファンに大きな感動を与えたことも事実だ。

実は藤原氏、絵画の才能に恵まれている他、演技力を買われての映画出演(もちろんヤクザ役)もしている多才なお方。趣味の盆栽はプロ級であり、歌も達者だと聞いている。

私としては、地味ながら実力ある中堅役の藤原喜明がお気に入りであったが、それでも男として敢えて立ち上がった彼の気持ちは分らないでもない。

誰だって一度はひのき舞台に上がって喝采を浴びたい時がある。それを見事にやってのけた男、それが藤原だった。忘れがたき名レスラーであった。

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マルタの鷹 ダシール・ハメット

2011-10-03 13:52:00 | 

男は我慢。

昨今、滅多に耳にしない言葉ではあるが、私にとっては至上の金言である。とはいえ草食系男子なるものが持て囃される昨今、いささか時代遅れな観は否めない。

省みてみれば、ミステリーの世界でハードボイルド小説が流行ったのは60年代が中心でバブルの時代には死語に近かった。いや、死語どころか、パロディの対象でさえあった。

だからこそ敢えて奨めたいのが50年代から60年代にかけて、一世を風靡したハードボイルド小説を。今どきの若い子ならば「え~、信じられない~。キャハハッ」と笑いこけそうな頑固な男たちの物語こそ、今の時代に必要ではないか。

権力に媚びず、金に跪かず、魅惑的な女性の裸身にすら平然と背を背ける男たち。その代表とも言えるのが、ハメットの描くところのサム・スペードだ。

己のうちに打ち立てた確固たる信念にのみ従い、心のうちの葛藤を決して表に出すことはない。いささか気障な優しい言葉を囁くが、行動は断固たる非情さをもって行う。

頑固?意地っ張り?やせ我慢?

いくらでもバカに出来そうだが、それでも私は憧れてしまう。決して賢い生き方ではないのだろうが、その骨太な生き方に敬意を持たずにいられようか。

優しさが持て囃され、スマートで賢い生き方が褒め称えられる今だからこそ、敢えてハードボイルドな生き方に憧れてしまいます。

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