暑かった夏も終わり、ようやく心地よい秋風が駆け抜ける季節となった。座卓の上にノート型PCを広げて、さくさくと気持ちよくブログの原稿を書いていたときだ。
思ったより夜風は冷たかったみたいで、思わずクシャミが出た。
口を押さえようと右手を口元に持ってきた時に、紅茶のカップを転がしてしまった。しかも、紅茶の液体は、思い切りPCのキーボードに降り注いでいた。
しまった!
とき既に遅く、ノートPCは紅茶をかぶっている。あわてて、ひっくり返し、新聞紙の上に置いて水分を吸い取らせるが、もう結果は分っている。
数時間後、予想通り幾つかのキーボードが作動しない。またも修理に出さねばならぬ。そう、実は今年二回目なのだ。修繕費が財布に空っ風を吹かせること請け合いだ。
自分で言うのもなんだが、私は物持ちがいい。十年どころか30年以上同じものを使っていることも珍しくない。ところがだ、今年に限っては買い替えざる得ない事態に陥ることが多い。
まず手始めは、3月11日の東日本大震災だ。この地震の揺れで長年使ってきた本棚が3つ壊れた。本を積み込みすぎたのが間接的な要因だろうが、深夜に帰宅した私を待っていたのは家中に飛び散った本と、ぶっこわれた本棚だった。
次がノートPCに花瓶の水がかかっていて、壊れていたことも痛かった。でも、まあ、地震による被害は天災なので致し方ないと諦めていた。
ところがだ夏になってからだが、車を運転するようになって初めて接触事故を起した。自分のミスが原因だが、精神的なショックもさることながら自信喪失にもなった。
そして、傷口に塩を塗りこむが如く、その数週間後には車のクーラーが壊れた。この夏までで、修繕費は累計70万を超えている。呆れて物が言えない。
その後のことだが、台所で食器を洗っていたら、20年以上使っていたお碗が割れた。なんの前触れもなく、手の中であっけなく割れた。怪我こそなかったが、愛用していたお椀だけにショックだった。
そんな矢先に、今回のノートPCの故障である。80万台はそう遠くない。
改めて思うが、こんなに短期間のうちに、連続してものが壊れた経験はない。それだけに精神的な衝撃が大きい。今年は災難の年らしい。
まァ、東日本大震災や台風で家族を亡くしたり、家や家財を一切なくした方々に比較すれば失礼なぐらいの軽度の損害なのだろう。それは分る。分るけど、やっぱりショックだ。
実のところ、修理こそしてないが、その必要がありそうな家財は他にもある。オーディオも怪しいし、風呂釜も少し心配だ。30年以上使っている炊飯器も、最近少し機嫌が悪い気がする。
いったい、ぜんたい、どうなっているんだ!
ちなみに厄年ではない。でも、本気でお祓いに行きたくなってきた。なんか負ける気がするので、この手の風習には冷淡だったのだが、今は藁にもすがりたい気分である。
問題は忙しくて、そんな暇がとれそうもないことだ。こういう状態をジリ貧というのだろう。
私はこんな時、極力悩まないようにしている。悩んでも答えなんか無いことぐらい分っている。悩む暇があるなら、今やるべきことをやる。そのうち、なんとかなる。
忙しくしていれば、悩む暇もなくなるしね。