ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

監督不行届 安野モヨコ

2011-10-17 12:13:00 | 

白状すると、私には、いわゆる「おたく」の気がある。

もしアニメの「宇宙戦艦ヤマト」に三作目が作られなかったら、私はアニメおたくになっていた可能性は否定できない。ところが2作目で完結したはずなのに、三作目を作りやがった。あまりに商業主義に走ったおかげで、アニメに対して不信感をもち、アニメおたくにはならなかっただけ。

元々、収集癖がある子供だった。いや、子供ならば誰しも昆虫を集めたり、切手を集めたりするものだ。ただ、家が貧しかったので、野山にあるものしか収集できず、また集めても狭い家に置く場所がなかった。

唯一、本というか、読書だけは親公認であったので、文字通り活字中毒の域に達してしまった。おかげで、家は本だらけだ。

今だから分るが、もし家が裕福で、広い部屋があったのなら、多分立派な「おたく」になっていた気がする。元々、興味があることにのみ、異常に集中する性癖があるので、まず「おたく」化は間違いないところだ。

だから、大人になっても子供用玩具などに執着する「おたく」の気持ちが結構理解できる。とはいえ、表題の漫画のなかで活躍している庵野氏には敵わない。上には上がいるものだ。

アニメに興味がない私でも、庵野氏の名前ぐらいは知っていた。しかし、まあ、これほどの「おたく」とは知らなんだ。庵野氏が監督を務めた作品は、ほとんど観てないので適切な評など出来ない。でも、ここまで徹底した「おたく」ならば、相当なものを創るであろうことは容易に想像できる。

バカにするわけではないが、「バカとハサミはつかいよう」であり、「適材適所」なのだろう。そんな立派な「おたく」の方が、美人漫画家として名高い安野モヨコを嫁にしていたとはビックリ。この漫画を読むまで知りませんでした。

読めば思わず吹き出してしまう庵野監督の「おたく」ぶりも笑えますが、それに感化されている作者もなかなかです。転んでもただでは起きないタイプとみた。

自分自身を戯画して漫画を描く漫画家はけっこう多いが、この作品は上手い。けっこう冷静、冷徹に自身を観察しているからこそ、この作品は楽しい。それを受け入れる旦那の懐の深さも好印象ですね。

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夕焼け

2011-10-14 13:25:00 | 日記
西の空を染め上げる夕焼けの光景には、心を静める効果がある。

その日、朝から夕方まで東京近県の某市にある中小企業で、税務署の調査立会いをやっていた。朝10時から、昼休みを挟んで夕方4時まで、気の抜けない仕事は身体も心も疲弊させる。

すぐにでも一風呂浴びたい気持ちだが、事務所に戻ってやらねばならぬ仕事が山積みだ。手順を考えながら、苛立ちを禁じえない。やるべきことが多すぎるし、そのための時間が足りない焦燥感が我が身を焼く。

いつもなら、特急電車の指定席でウトウトとしながら帰京するのだが、その日は考えることが多すぎて、寝ることも出来ずに悶々としていた。

陽射しが眩しかったので、カーテンを閉めてあったが、東京に近づく頃には薄暗くなってきた。ふと気がついて、カーテンを開けると、地平線沿いが見事な夕焼けで染まっていた。

しばし、茜色の光景に目を奪われる。気がつくと、さっきまでざわめいていた私の心は落ち着きを取り戻していた。

多分、人間って生き物は太陽の昇っている時間こそが本来の活動時間なのだろう。最近、つくづくそう思う。50が間近に迫ってきたせいもあるが、どうも夜更かしが苦手になりつつある。

夜11時には床に就かないと、どうも翌朝の寝覚めが良くない。日中も疲れがある気がして、活力に蔭りを感じざるえない。

そろそろ超朝型の生活に切り替えるべきなのかもしれない。陽が昇る前の薄暗い時間に起き出して、陽が沈む頃には一日の活動の大半を終えて、夜を静かに過ごす。そんなスケジュールに変えるべき時機が来ている気がする。

陽が沈み、星が瞬きだした空を見上げながら、そんなことを考えていた。なにわともあれ、今は目前の仕事を完遂することだけに集中しよう。

どんな高い山だって、一歩ずつ登れば必ず頂上にたどり着く。どんな困難な仕事だって、少しずつ進めれば、必ず出来るものだ。ただし、道(手順)を間違えなければ、だ。

さあ、頭を仕事モードに戻して、もう一踏張りするか。
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テネシーの霊歌 J・H・フォード

2011-10-13 17:28:00 | 

人種差別は当たり前であった。

少なくても、西欧が生み出した民主主義、人権、平等の概念が確立するまでは、人種が違えば差別があるのは普通のことであった。

現代の価値観からすれば、とんでもない暴論だと思うかもしれないが、歴史をいくら紐解いても人種差別が大きく問題になったのは、近代以降であることは明白だと思う。

人種という概念を、どこに規定するかで多少は変わるが、肌の色、目の色、髪の色、体格、体臭、そしてなによりも言葉が違う相手に対して、ある種の違和感を感じるのは本能に近い。

人種差別を知らない無垢の子供でさえ、異人種に対する違和感は持っている。いくら人類、皆平等だと教えても、本能の疼きまでは抑えられない。

だからといって、人種差別が正しい、善い事だとは私でも思わない。あれは、差別されてみると嫌でも分る。差別された経験は、心の底にまで滲みこむ腐臭に似ている。あれほど不愉快なことは、そうざらにないと断言できる。

私は米軍基地の隣町で幼少期を過ごしたので、幼い時に白人の奴等から蔑視された経験があるので、人種差別は不愉快なものだと、誰にも教わらずに知っていた。心に刻み込まれたといってもいい。

そんな私でも差別した経験はある。

三軒茶屋に住んでいた当時だが、近所に「水の流れる公園」があった。人口の流水の上に、空中歩道が設けられた面白い公園で、子供たちの絶好の遊び場になっていた。

丁度、今時分の頃で朝夕は涼しいが、日中陽射しがあれば、まだ水遊びが楽しい。その公園で、クラスの友達3人ほどで、駄菓子を食べながら、だべっていた時だ。

なにやら公園の広場のほうが騒がしい。十数人の子供たちが群れなして、なにやら叫んでいる。火事と喧嘩はお江戸の華。さっそくに混ざりに行く。

傍にいた子供に訊くと、外人の子供が攻めてきたらしい。争いの理由は知らないが、外人野朗に好き勝手されてたまるか。こりゃ一大事と駆けつけたが、近づいてみると明らかに小学校低学年程度の金髪の子供たち。

なんだ、ちびっこか、と気抜けした。しかし、その子供たちは奇妙な奇声を上げて、彼等を囲む日本人のガキどもを威嚇している。見た所、6年生の私たちが一番年長であるようなので、ここは人肌脱いで、奴等白人のガキを追い出してやるかと近づいた。

すると、私たち目掛けて走ってくる。目の前で急停止するといきなり流暢な日本語で「ナンデ、僕たちに、石を投げる!」と必死な形相で叫んだ。

その日本語を聞いた途端、さっきまでの外人野朗は消えうせ、必死で怒っている小さな子供に変貌した。私たちは顔を見合わせて後、追い出すのは止めにして、彼等の話をきいた。

どうも、面白い公園があると聞いて、地図をたよりにやってきたら、そこで遊んでいた日本人の子供たちから、いきなり石を投げられたとのこと。よくみると、たしかに彼の額には、かすかに血が滲んだ傷跡がある。

こりゃ、マッポ(警官)が来たら、悪いのはこちらとされるなと考えて、周囲を囲んでいる日本人の子供たちに「石を投げたのは誰だい?」と訊ねてみる。

すると、同じ野球チームの低学年組の子が3人ほど私たちの背後に現れた。友達が理由を訊くと、見知らぬ外人の子が現れたので、怖くなって追い出そうとしたらしい。

とりあえず、間に立ってその場を収めた。低学年組の子たちも、彼等が日本語を話せるとは思っていなかったようで、居心地悪そうに頭を下げていた。

よかった、よかったと言いたいところだが、私は気がついていた。その金髪の男の子たちの目に、拭いきれぬ不信感が漂っていたことに。そして、一応謝っている3人の表情にも、なんで自分たちだけが・・・といった不満がこもっていることに。

正直言えば、私とて、俺等の公園に外人が勝手にやってきやがってとの思いはあった。実際、実力で追い出すつもりだった。理由?肌の色、髪の色なんでもいいが、とにかく俺たちとは違う奴等であるだけで、追い出す十分な理由だ。

もし、彼等が英語で抗議してきたのなら、私たちは迷うことなく、その子たちを追い出したはずだ。ところが、流暢な日本語で抗議されたので、気勢を削がれ、困惑して話を聞くことになった。

このあたりに、人種差別の難しさがある。言葉が通じたが故に、単純に排斥できなくなってしまったのだ。そして、言葉が通じ、ある程度の相互理解が進んだとしても、心の奥底にある差別意識までを解消することはできない。

異人種との共存は難しい。外国暮らしの経験のない私だが、それでもかなりの確信をもって、そう断言できる。海に囲まれた日本列島の住人は、異国人との付き合いに慣れていない。ましてや、異人種が同じ街、同じ職場、同じ学校に通う現実に慣れているはずがない。

さりとて、少子高齢化の進行と不足する労働市場への外国人の活用。そして、国際結婚により合法的に移民してくる外国人は、これからも増えるばかり。

人々の平等を憲法に掲げながら、本心では白人以外の人種を蔑んでいたアメリカが、かつて直面し、今も苦しんでいる黒人差別問題。表題の作品は、その一端を見事に、残酷に、そして冷徹に抉り出す。

私は断言しますが、誰の心にも異人種差別の根っ子は埋まっているはず。その事実に如何に対応するかが、21世紀を生きる日本人にも問われていると思います。

読後感の重い作品ですが、機会がありましたら是非どうぞ。

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孔子暗黒伝 諸星大二郎

2011-10-12 14:22:00 | 

季節の変わり目には、異様に早起きになることがある。

とりわけ春と秋に、妙な時間に目が覚めてしまう。明け方というには、まだ少し早すぎる。さりとて深夜ではない証拠に、窓から覗ける夜空は暗くはあっても、濃い闇は既にない。

薄明と言われることが多いが、うっすらと闇が消えて、ほんのりと明るい空がまだ見えないのに、それが来ることが分る時間帯。夜でもなければ昼でもない。朝というには早すぎるが、夜というには暗さが足りない。

夜でもなければ、昼でもない微妙な時間帯。古来より怪しい時間帯だとされる一方で、清々しい時間だともされる。

一神教が普遍的な欧米では、物事を悪と善、正義と邪悪といったように二分化して考える。だから悪魔はあくまで邪悪であり、神は絶対無二の正義の存在だと割り切ってしまう。

しかし、多神教があたりまえのアジアにおいては、そのような二分化した考え方はしない。だからこそ、悪とは言い切れない魔物。あまりに我が侭な神様も珍しくない。

なにが正しいのか、あるいは間違いだと断言できるのか。そんな曖昧さを包容した価値観が、善悪入り乱れた多様な神々と魔物たちを産み出した。

表題の作品なんか、欧米やイスラム社会では絶対に出てこないと断言できる。タイトルだけ読んで、シナの孔子様がフォースの暗黒面に墜ちたと勘違いするかもしれないが、そんな単純な物語ではない。

黒と断じるにはあまりに明るく、白と言い切るには黒い澱みが深すぎる。この作者には「妖怪ハンター」や「西遊妖猿伝」など変わった作品が多い。

漫画ではあるが、その画風はあまりに独自すぎて継承者がいない。類似の作品さえ稀だ。一応、伝奇漫画の部類に入ると思うが、その不気味さと怪しさはあまりに独特すぎて、一度読んだら忘れられない。

もし手に取る機会があったら、是非とも読んでいただきたい。私は物事を二つに無理やり分類してしまうより、曖昧な部分を残したアジア的価値観のほうが好きです。悪や善といった価値観では図れない不思議な物語を是非、どうぞ。

なお、画像では「暗黒神話」となっていますが、中身は「孔子暗黒伝」です。連載時と単行本刊行時に出版社の意向でタイトルが変更されていたのです。その後、もとに戻っているはずですがね。

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アメリカの春

2011-10-11 07:36:00 | 社会・政治・一般
20世紀を代表する文明の利器の一つに車がある。

ガソリンを燃やして、その爆発力を駆動力に転換するエンジンを持ち、タイヤを駆動して移動する車を産みだしたのは、ドイツのダイムラーだ。

しかし、その車を大量生産することでコストを大幅に引き下げて、庶民にも買える車を発売したフォードこそが、今日に至る自動車社会を作り上げた。

よく言われるのが、ベルトコンベアを使っての大量生産方式だ。これで確かに生産コストは大幅に引き下げられた。その一方、その労働は単純にして反復するだけの非人間的なものだと批判の対象にもされた。

チャールズ・チャップリンが映画で揶揄したように、たしかに人間性を損なうかのような機械的な生産には、あまり好感は持てないと思う。

にもかかわらず、このフォードのやり方が受け入れられたのは、給与の大幅な上昇が伴ったからだ。単純労働はたしかに辛い。しかし、収入の増加があったがゆえに多くの労働者は、この単純労働を受け入れた。

受け入れたどころか、自動車工場で働くことに誇りさえ感じていた。簡単に言えば、コストダウンにより生じた利益を従業員に還元した。この大幅に増えた収入により、工場労働者たちは車を買った。車の大衆化は、ベルトコンベアによる過酷な単純労働だけでなく、その労働者たちの大幅な収入増加により成し遂げられた。

この工場労働者たちの所得の大幅な上昇こそが、20世紀のアメリカの繁栄を支えた。今では信じがたいことだが、大企業限定とはいえ、この工場労働者たちは、当時は立派な中産階級であった。

しかし、20世紀後半になると西ドイツと日本という新興工業国がアメリカの製造業のライバルとして台頭してきた。と、同時にアメリカ国内では弁護士たちが新たな金づるとして、製造業者を訴える活動を始めだした。

安くて優秀な輸入製品と、製造業者責任を押し付ける弁護士たちの横暴により、アメリカの製造業は衰退を余儀なくされた。やがてソフト産業の勃興が起こり、ホワイトカラーのサラリーマンたちが主役となり、工場勤務のブルーカラーは相次ぐ賃金ダウンにより所得を大幅に減らした。

現在、アメリカの製造業で元気があるのは軍事産業と製薬業界、農薬や火薬を生産する化学業界などに限られ、かつての製造業王国の面影は薄れた。代わってアメリカを代表するのが、ウォール街にはびこる金融業者たちだ。

自らは汗を流さず、他人の労働の成果をかすめて貪る強欲な金融業こそが、アメリカの産業の中核となった。彼等はマスコミを駆使して自らの存在を美化し続けてきた。

だが、いくら慈善運動で笑顔をふりまき、環境問題や人権運動で善人面しようと、儲けの大半を握り締める強欲さを隠し通すことは出来なかった。

わずか数パーセントの超富裕層が、アメリカの所得の大半を掠め取る現実に対する庶民の反感を消すことは出来なかった。格差の凄まじさは、近世の絶対君主と貧民の格差と大差がないほどだ。

それが今回の「ウォール街を占拠しよう」事件の土壌だ。「アラブの春」をもじってか「アメリカの春」と評するむきもある。

だが、アメリカの超リッチ層の面の皮の厚さは、アラブの独裁者の比ではない。おそらく、今回の運動は、いつのまにか紙面から消され、話題に上がることは徐々になくなっていくはずだ。それだけの資金力を彼等超リッチ層はもっている。

だからといって、この極端な貧富の差がなくなるわけが無い。一度火がついた不満は、容易には消えはしない。この先、当分目が離せないと思う。

そして、所得の差が拡大しつつある日本も、他人事ではいられないのではないか。未来に夢をもてない社会となりつつある現代の日本に不満はないのか?

大陸への進出に夢をみた戦前の日本に似てきてないか? まあ、少子高齢化社会の草食系の若者たちに、今更海外に雄飛するだけの気力、体力があるとは思えない。

すると、やることはかつての左派学生のように内ゲバなのか。排外主義というか、攘夷運動が復活するのか。なんにせよ、政治の責任は大きいと思う。

もっとも民主党政権に、国民の不満を解消させる未来への展望が打ち出せるとは思いませんがね。
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