ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

ランニング再開

2012-04-20 14:14:00 | 健康・病気・薬・食事
長距離走が苦手だ。

これは子供の頃からで、短距離はそう嫌いではない。ダッシュ力ならそこそこあったと思う。もっとも子供の頃は苦手意識はなかった。

ただ単純に長い距離を走るのが嫌いだった。だから体育の授業では、長距離走をさぼってばかりいた。さぼるのは得意な子供だった。多分長距離を走ったのは、中学生の頃のマラソン大会が初めてだと思う。

これは逃げられなかった。世田谷は池尻にある世田谷公園を周回するのだが、要所要所に先生が見張りに立っていたので、逃げることもサボることも出来なかった。

仕方ないので、先生の目が届くところでは真面目に走り、そうでないところではタラタラと歩いて誤魔化した。当然ながら順位は下から数えたほうが早いが、これは勉強の成績も同じなので、別に困りはしなかった。

高校では真面目に勉強していたが、長距離走だけは好きになれず、これまた適当にお茶を濁した。もっとも、放課後一緒に遊ぶ仲間たちは、案外と運動部系もしくは元・運動部の奴が多く、東京郊外にある「こどもの国」の周回マラソンは、皆さぼらず参加していた。

私はみんな適当に走るのかなと期待したが、困ったことに誰一人タバコ休憩もせず、チンタラ歩きもせずに真面目に走るので、仕方なく私も真面目に走った。

多分、長距離走を真面目に走ったのは、この時が初めてだと思う。で、やってみたところ、一応中位の順位であったから才能がまったくない訳ではないらしい。でも、やっぱり嫌いだ。

不思議なことに、長距離を走るのは嫌いだが、歩くのは大好きだ。当時住んでいた三軒茶屋から渋谷まで歩き、そのまま新宿まで歩く。そして帰りは下北沢経由で、やっぱり歩いて戻った。だいたい20キロぐらいあったと思うが、それを小学生の頃に平然とやっていた。

ちなみに一人ではなく、友達とお喋りしながら、なんとはなしに歩いていた。小学生の頃は小遣いも乏しかったので、渋谷でも新宿でもまったく遊ばず、公園の水を飲んで済ませた。帰宅したのは夕方だったが、なにもしてないのに、えらく充実した一日だったと感じていた。

だから、後年山登りを始めたのだと思う。歩きながら景色の変化を楽しみ、たわいないお喋りを楽しむのが好きだった。でも、長距離を走るのは相変わらず嫌いだった。だって、苦しいのだもの。

ところが、大学の部活では、嫌というほど走らされた。本当に嫌だった。いくら先輩たちから怒鳴られようと、本気で走る気にはなれなかった。なんとか手を抜けないものかと思案しながら走っている、不届きなトレーニングであった。

結局、走ること自体、嫌で嫌でたまらないまま卒業した。山登りは続けるつもりだったが、もうランニングだけは勘弁だと思っていた。

しかし、難病にやられて走るどころか、日常生活さえ差し支えるほど衰弱した長期の療養生活が私を変えた。あんなに走るのが嫌いだったのに、いまや走ることを熱望するようになってしまった。

走れなくなって、はじめて走る喜びがあったことに気がついた。人はなくして初めて、その価値に気がつくらしい。

残念なことに難病は完全には治らず、運動もやらないほうがいいと分った。いや、分らざる得なかった。長期の療養生活を終えて、社会復帰を果たし、体力の回復にも自信がついた。そこでランニングを試してみた。

最初は週一回、やがて週二回と回数と距離を増やす。楽しかった。スピードこそゆったりとしたものだが、自分の好きなペースで走ることは本当に楽しかった。

だが、その喜びは長くは続かなかった。やはり再発してしまった。どうやら過労になりやすく、そのことが再発の引き金となっているらしい。

以来、ランニングは控えている。絶対に再発だけはしたくないからだ。でも、近年太りがちで、そのことが検査データーに出てきたので、主治医と相談の上、少しだけ走るようにしている。

いや、走るというより早歩きに近い。一回15分以内で、過労を残さない程度の軽めの運動に過ぎない。でも、これで十分幸せだ。たったこれだけの運動にもかかわらず、一ヶ月で1キロ減量に成功した。

ちょっとペースが速すぎると思っていたら、部屋で金具を踏んでしまい、踵をひどく痛めてしまった。おかげで、まったく走れなくなった。足の故障は直すのに時間がかかると初めて知った。

春になり、跳ねても踵に痛みが出ないことを確認したので、今月から再び軽めのランニングを再開している。春になって木々の緑が芽吹いて美しいのを楽しみながら、玉川上水のほとりをのんびり走っている。

走りながら思うのは、なんで十代の頃はあれほど走るのが嫌いだったのだろうかということだ。多分、やらされるのが嫌だったのだと思う。苦しいのが嫌いだったのも確かだ。

でも、無理やりにでも走らされなかったら、今の自分はないとも思う。若いうちは、嫌でもやっておいたほうがいいことって、確かにあると思う。
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原発再稼働先延ばしに思うこと

2012-04-19 12:40:00 | 社会・政治・一般
この夏の電力不足対策として、原発の再稼動が予定されている。

間違いなく反対派が喚きだして、結局「更なる議論が必要だ」との見解が出されて先延ばしになる。馬鹿じゃなかろうか。もはや議論は必要ない。必要なのは、具体的な行動だ。

現在の技術レベルでは、原発の安全性は完璧とはいえないのは事実だと思う。だが、いかなる努力を払おうと、完璧ならざる人間に、100%の安全を確保することなんて出来やしない。

だからこそ、今在る智恵と経験を振り絞って、可能な限りの可能性を追求して安全を確保する。そのための具体的な努力と実現が必要なのであり、もはや議論している段階ではない。

ここで問題となるのは、如何なる安全策を凝らそうと、絶対断固原発反対だと確信しているお方々だ。分っているのは、この妄信的反対論者との議論なんぞ時間の無駄。彼等は狂信者に近いので、反対以外の結論は認めない。

一方、問題なのはこの先逼迫する電力需要だ。これはちょっとやそっとの節電努力で賄えるものではない。自然エネルギーによる電力なんて、将来はまだしも現在では実用的とは言いかねる程度の代物だ。

おまけにCO2を排出する火力発電は限界近くまで酷使されて稼動しており、本来なら停止してのメンテナンスが必要なのだ。だが、原発抜きで需要を賄わねばならないため、火力発電所を止める余裕は無い。

だからこそ、原発の再稼動が必要とされる。だが、未だ安全対策が実施されているのは一部に留まっており、計画だけが先行している。これでは不信感をもたれるのは当然だ。

議論に時間を費やす無駄は省き、早く予算を手当てして安全対策を早期に実施すべきだ。東日本と西日本との電力融通のための変電施設の建設だって必要だが、その予算さえ組まれていないぞ。

再稼動が必要なのは確かだが、やるべきことをやっていないじゃないか。ただ、馬鹿みたいに話し合いを繰り返したって安全性は上がらない。狂信的でない原発反対論者だって、これでは納得できない。消極的原発推進論者の私でも、これでは不信感を禁じえない。

更に付け加えるなら、安全性の確保は企業の目的(利益追求)とは相反する性格を有する。敢えて言えば、原発が国策として行われてきた以上、国が大規模な補助を出す必要があると思うが、財布を握る財務省が前例がないと渋る。

それをなんとかするのが政治の役割だと思うが、財務省のャ`と化した野田内閣はやる気が無い。だから愚にも役に立たない話し合いばかりを優先する。

今、必要とされるのは結論先延ばしのための話し合いではなく、少しでも安全性を高めるための具体的行動だ。いくら話し合いをしても、安全性は高まらないぞ。
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一括借り上げアパート経営に思うこと

2012-04-18 12:06:00 | 経済・金融・税制
近年、急速に空き家が増えている。

東京都内で10軒に一軒が空家だと云われている。実際、確定申告や相続の相談などを受けていても、空家が増えていることを実感している。

空き家の有効利用といえば、やはり賃貸なのだが管理が煩雑だ。また古い家屋だと借り手が見つかりにくいのも確かだ。

そこへ建設会社の営業マンがやってきて勧めてきたのが「一括借り上げ家賃保証賃貸アパート」建築だ。建設会社が募集から家賃入金代行、退去時の立会いまでやってくれて、しかも家賃30年保証だという。

古い家を取り壊して貸駐車場も考えたが、これだと相続の際に更地評価となるため節税にならない。だが賃貸用アパートならば、貸家建付地として土地の評価額を引き下げることができて有利だ。

しかも面唐ネアパートの管理も建設会社のほうでやってくれるという。素晴らしいではないか。さっそくローンを銀行に申し込んでみるか・・・

私の下にも上記のような相談があることがある。既に契約を終えて、アパートの建築も終わって賃貸が始まってからの相談が多いので、あまり口を挟まないが内心忸怩たるものがある。

正直言って、私はあまり推奨したくない不動産運用なのだ。

相続対策として未利用の不動産活用としての賃貸住宅の建築には反対しない。もちろん立地条件や資金面などを勘案してあることが前提だが、相続対策のみならず収入を増加させる効果も有益だと思う。

ただ、一括借り上げ方式は、あまり勧めたくない。当然だが、アパートを管理してもらう以上、管理料などの諸経費が天引きされた後の賃貸料が入金される。契約上の管理料は4%から8%ぐらいが多く、それほど高額ではない。

だが、これにはからくりがある。

アパートを管理する会社にとって最大のリスクは、空き室が出てしまうことだ。一括借り上げ契約では、家賃保証タイプが主流であるため、空き室があろうとなかろうと、一定の家賃をオーナーに払わねばならない。

それゆえに、アパートを満室にしておく必要がある。だからその地域の相場よりも安めの家賃を設定することが少なくない。例えば相場が1DKで8万円の地域だと、アパート一括借上げをやっている会社は7万円程度で家賃を設定しておく。

こうしておけば、まず常に満室に近い状態を維持できる。オーナーもアパート管理会社も双方が満足できると思われるかもしれないが、よくよく考えてみれば相場よりも安く賃料を設定している以上、手取り収入は落ちている

仮に相場並みの家賃で試算してみると、結果的にオーナーが天引きされて支払っているアパート管理会社への管理料は20%近い高額なものとなっている。

だから会社勤めなどの本業があって大家さんの仕事が出来ない人以外には、私は絶対に一括借り上げ、家賃保証タイプのアパート経営は勧めない。管理は可能な限り自分で行い、募集や立会いなどは街の不動産屋に委託するほうが手取りの収入は確実に多い。

特にアパートの維持管理に必要な営繕費などは、一括借り上げタイプだと会社の言いなりとなってしまい、あまり安くないのが実情だ。自分で管理すれば、簡単な営繕は自分でやっても出来る。最近はホームセンターなどで、便利な道具も売っているし、簡単な指導もしてくれるので格段に安くなる。

自分で出来ない営繕だって数社に見積もりをとって選んだほうが安い。また大家として入居者と直に接しているほうが、トラブルのときの対応も早い。不安なら不動産屋に立ち会ってもらえばいいだけだ。

これを面唐ノ思う人は、そもそもアパート経営なんてすべきではないとさえ思う。

だから私が一括借り上げ家賃保証タイプのアパート経営を認めるのは、遠方の不動産活用とか自分で管理できない場合に限る。本来、アパート経営ならば、投資額の6~8%ぐらいの利回りを見込むべきなのだ。だが、借り上げ保証タイプだと、表面上は6%あっても上記のように相場よりも家賃自体を安く設定するため、利回りはさらに低くなっているのが実情だ。

しかも、もう一つデメリットがる。それは周辺の家賃相場自体を下げてしまうことだ。一棟安い家賃を設定しているアパートがあると、周辺のアパートもそれに追随してしまうことが見受けられる。結果、安値競争となってしまし、大家さんたちには大打撃となる。

潤うのはアパートを建設した会社と銀行ばかり。少子高齢化が進み、ますます空き家が増えると予測されることを思えば、いくら楽でも一括借り上げ家賃保証タイプのアパート経営は、あまりお薦めできません。
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ミャンマーは有望か?

2012-04-17 16:28:00 | 経済・金融・税制

当たって欲しくない予測なのだが、当たりそうで怖い。

長い間、軍が独裁政治を断行していたミャンマー(旧ビルマ)において、選挙が行われて民主化への第一歩が踏み出された。もちろん、あの目の上のタンコブであった、アウン・サン・スーチイ女史も解放されている。

これは権力の維持に政府が自信を持ったからであると同時に、唯一の支援者であった共産シナのこれ以上の国内関与を抑えて、西側先進国との関わりを持ちたいと願うミャンマー政府の強い意志の表れでもある。

この動きを受けてアメリカが制裁解除を徐々に進めてきている。そしてアメリカ企業はもちろん、欧州の企業もミャンマー進出の動きを早めている。

しかし、日本は相変わらず反応が遅い。既に首都ヤンゴンでは外国企業の進出を受けて活気を増している。TVなどの報道スタッフなどが訪れて市民の声を聞くと、皆一様に明るい。日本も早く来てくれればいいのにと話す現地の人々の声を伝えてくる。

実際、人件費はアジア屈指の安さであり、社会の安定性も高く、今後大きく発展が期待される。そのせいで、日本のマスメディアでもミャンマーを新たな投資先として奨める記事を幾つか眼にしている。

如何なものかと思う。

まず、国内情勢だが未だ一部では内戦状態が続いている。カレン族とは停戦に至ったようだが、和解には程遠いらしい。またカチン族とは火種が燻っているため、小規模な戦闘が続いていると聞く。

もともと複数の部族連合であったビルマ王家の統治システムをイギリスが破壊してしまい、現在は最大部族のミャンマー族がその軍事力で抑えているに過ぎない。

昼なお暗きジャングルと、険しき山地、雨次第で川筋を変える幾多の河川に分断されたミャンマーは、未だ統一された状況とは程遠いことは明白だ。

そして共産シナが長年支援の名の下に、ミャンマー各地に利権の砦を築いている事実を無視すべきではない。既にミャンマー経済の大半は、シナ人(華僑)の手に握られている可能性は高い。

だからこそ、ミャンマー族はシナ人に脅威を覚え、対抗策として欧米の外資を呼び込むことを目的にしている。シナ人が素直に市場を引き渡すはずもなく、むしろ経済発展の足を引っ張る可能性のほうが高いように思う。

ヴェトナムはシナ人との戦争を覚悟の上で、シナ人を追放してまでして影響力を排除した。その上での国内発展を目指したために、経済発展にかなり難儀している。

一方ラオスやカンボジアはシナ人抜きでの経済運営は不可能と諦めて、華僑に経済を握られたうえでの発展を目指した。その結果、国内は安定したが利益の多くを華僑に絞られて、貧しさから抜け切れない。

果たしてミャンマー政府に、どこまでシナと対峙する覚悟があるのか?

東南アジアは、今後も世界経済を大きく牽引していく可能性を秘めている。だが、忘れてはいけないのは、アジアにおいては未だ冷戦は終わっていないという事実だ。

安易にミャンマーに日本企業が進出すれば、後で手痛いしっぺ返しをくらう可能性は否定できない。戦前よりミャンマーは、日本に対して好意的な国として知られている。だから、発展を願う気持ちはあるが、率直に言ってリスクは極めて高いと思う。

はずれて欲しい予測だが、やたらミャンマーを新たな投資先として推奨する報道が増えていることに危惧を感じざる得ません。

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米国はどこで道を誤ったか ジョン・C・ボーグル

2012-04-16 16:07:00 | 

以前から不思議で仕方なかったのが、アメリカの大企業の経営者の報酬が異常に高額であることだった。

何故、あれほどの高額報酬なのか、私にはさっぱり理解できなかった。それどころか、日本の経営者の報酬が低すぎるのだとの識者の意見さえ出る始末である。本当に適正な報酬なのか、私にはさっぱり判断できなかった。

その疑問に対して、多数のアメリカ企業の株主の立場から告発したのが表題の書だ。

まず驚かされたのは、アメリカの経営者(CEO)は業績に連動して報酬が決まるわけではない実態だった。そんなことがあるのかと疑問に思ったが、どうやら本当らしい。

まず利益をひねり出す。一番手っ取り早いのは従業員の解雇だ。生産拠点を人件費の安い国に移して、利益を出す。また自分の報酬については、外部の報酬査定コンサルタントを雇って、高額査定を出させる。

利益が少なければ、企業年金基金の予定利率を釣り上げて利益を捻出する。こうして見かけ上の好決算を演出したうえで、自分の意のままになる取締役会で承認させてしまう。

その結果、アメリカの繁栄を支えた中産階級は没落し、生産拠点の海外移転により街はスラム化した。みせかけの好決算は一時的に株価を吊り上げるが、いずれはばれて下落する。

CEOらに非常識な高額報酬が支払われた結果、株主への配当は大きく減る一方だ。また繰り返されるM&Aにより企業は肥大するが、結果的に企業価値は下落し、株主への配当は減るばかり。

CEOを選ぶのは株主の委任を受けた取締役会であるはず。いったい、株主の意見はどうなったのだ?!

その実態を告発したのが表題の書であり、読んでみて驚くことばかり。アメリカ企業の実態を詳細に述べたものだけに、正直とっつきにくい部分が多いが、苦労して読むだけの価値はあった。

株式会社の真のオーナーは株主であることが虚構と化し、経営者が独裁者として企業の利益を奪い去る現状を嘆く著者は、倫理の大切さを主張する。

金儲けが悪いのではないく、倫理亡き金儲けが悪いのだとの主張は、アメリカの伝統的倫理観に基づくものだけに、いささか同意しにくいが、言わんとするとことは良く分る。

わずか1割に満たぬ超富裕層が、アメリカの富みの過半を独占する異様な社会は、やはり歪んだものなのだろう。それを自由な競争の結果だと抗弁するのは無理がある。

率直にいって著者の株主の正当な権利回帰こそが、アメリカ企業を健全化させるとの主張には違和感を感じる。だが、アメリカの多くのマスメディアが切り込まずにいた、無能化した株主の実態を告発した書は読むに値する良書だと思います。興味がありましたら是非どうぞ。

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