ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

納骨の儀

2013-12-13 12:54:00 | 日記

先月のことだが、昨年亡くなった母の納骨を済ませてきた。

母は生前に某大学病院に献体を申し出ていて、私たち兄妹も同意書を書かされていた。そのことは覚えていたのだが、献体をすると大学病院で研究対象とされたのち、一定期間保存された上で焼却されて、御骨となって遺族に返還される。

ただ私らが知らなかったのは、その返還されるまでの期間が2年から3年とされることだった。ちょっと驚いたが、致し方ないと諦めざるを得なかった。ところがだ、いかなる事情からか、8月に連絡があり御骨を返還するとのこと。

納骨は当分先だと思っていたので、少々慌ててしまった。今年は入院だなんだと出費が多く、お金の用意をしていなかったのだ。でも、まだ未請求だった簡保と貯金でなんとか無事済ませることが出来た。

実は母が亡くなった際、葬儀はしないようにとの遺言があったので、お寺にも連絡はしていなかった。そこで、恐る恐る手紙を書き、母の意向や事情を説明して遺骨を祖父母の墓に納めさせてくれるようにお願いをした。

手紙だけではなんなので、手土産をもって久々にお寺を訪ねてみた。幼い頃から何度となく訪れたお寺であるが、いつも墓参りは母任せで付いていくだけ。自ら一人でお寺に伺うのは初めてだ。

場所は北千住と草加の間あたりで、幼少時には田圃とお寺ばかりが目立つ東京とは思えないほどの長閑な田舎であった。が、現在は田圃は姿を消し、典型的な郊外の住宅都市となっている。

うろ覚えではあったが、狭く曲がりくねった道の先にお寺はあった。数年ぶりで住職さんにお会いし、事情を説明したうえで納骨の儀をお願いする。思ったよりもすんなりと了解を戴く。

聞くと最近は葬儀を簡略に済ませる家庭が多いそうで、墓参りも碌に来ない方も少なくないそうだ。家族関係が希薄になった世相を反映しているのだろう。

その後、妹たちと家族だけで納骨の儀を済ませ、とりあえず一安心。母も望んでいた祖父母の下での納骨で安堵しているだろうと思う。

ところで、私はどうしよう。以前はお墓は作らず、散骨で済ませたいと思っていた。今もその気持ちはあるが、母の下で眠るのも悪くないかもしれない。

後何年生きられるのか分からないけど、難病の治療に使った大量の薬で体ボロボロの私が長生き出来るとは思えない。頑張っても後20年ではないかと思っている。別に悲観している訳でもなく、精一杯生きてのものなので、そんなもんで十分だと思っている。

いくら長生きといっても、病院のベッドで点滴につながれて生かされているような長生きは避けたい。きっと母は辛かったと思う。あんな最期が似合う人ではなかったはず。

適うならポックリと逝きたいが、後始末を思うと準備期間は欲しい。どう生きるかは、どう死ぬかでもある。母の納骨を終えた今、今度は自分自身の人生の終わりを考えておく必要があると痛感しています。

まァ、いい加減な楽天家なので、なんとかなるや、とも思っているのですがね。

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かぐや姫の物語

2013-12-12 14:57:00 | 映画

動く紙芝居?

ちょっと不思議な映像だった。スタジオ・ジブリの過去の作品に似たような映像技術を使った作品(となりのヤマダくん・・・だっけ?)があったが、それを更に進めた感じであった。

日本の他のアニメとも違うし、もちろんピクサーやディズニーなどのアメリカ資本のアニメ映画とも違う映像技術。ヨーロッパの小作品で似たようなものがあったようにも思うが、これほどの規模(130分ちかい)ではなかった。

こりゃあ、金と時間がかかった大作なのだと思う。

だが、この映画を観ているうちに、この特殊な映像技術はさほど気にならなくなった。いや、気にするべきではない。そのような枝葉末梢に囚われることこそ間違いだと思う。

ただ、単純に物語を楽しめばいい、それで十分だと思う。実際、映画を観た後で同行した子供と、映像技術のことを話したら真面目な顔をして純粋に映画を楽しむべきだと非難された。

実のところ、男の子なので映画を観る前は、ちょっと躊躇っていた。本当はルパン対コナンのアニメ映画を観たかったからだが、時間が合わずに不満たらたらでこちらの「かぐや姫の物語」を観たはず。

でも、映画が始まると夢中になって観ていた。あまり感想らしい感想は口にしなかったが、十二分に満足したようだ。そして私が紙芝居のような特殊な映像技術について話し出すと、そんなことは重要ではないと非難してきた。それだけ面白かったのだろう。

多分、この楽しみ方でいいのだと思う。

細かいことを言うと、シナリオの部分でいささか消化不良の点もある。でも、全体としては虫謨ィ語の映画化として満足のいくものだと思う。無理に劇場で観るほどのものではないかもしれないが、観ても不満はないと思うので、機会がありましたら是非どうぞ。

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斉藤道三 桑田忠親

2013-12-11 15:00:00 | 

今でこそTVを観ることは少ないが、子供の頃は当然にTVっ子である。

幾つか記憶に残っているドラマもある。その一つにNHKの大河ドラマ「国盗り物語」があった。家族で観ていた時は結構面白いと思っていた。ところが中学時代に司馬遼太郎の「国盗り物語」を読むと、あまり面白いとは感じなかった。より正確に云えば、前半(斉藤道三)はあまり面白くなく、むしろ後半(織田信長)が面白い。

小説は作品としてはバランスもよく、別段不快に思ったわけでもない。でも、どうしても主役は織田信長である感が否めない。前半の斉藤道三がTVほど面白くなかったというのが、私の当時の率直な感想であった。

その原因の一つにあるのは、司馬氏の斉藤道三の捉え方ある。TVでは平幹二郎が演じていたが、えらく人間味のある面白い人物であった。しかし、司馬氏の原作では、それほど面白味のある人物には思えなかったのだ。強いて言えば、信長の引き立て役に過ぎないとさえ感じられた。

そのせいか、その後も斉藤道三には関心が持てず、もっぱら織田信長ばかり注目していた。

しかし、今にして思うとこれは真面目である以上に堅物であった司馬遼太郎には、商売と色ごとに長じた斉藤道三を描ききれなかったことが原因ではないかと考えるようになった。

そこで今回は歴史学者の書いた斉藤道三像を知りたいと思い、手に取ったのが表題の書。淡々と記述される斉藤道三の生涯は、やはり一筋縄ではいかない曲者である。しかも、色欲、金銭欲、名誉欲の強い実に虚飾に満ち溢れた人物像が浮かび上がる。

こりゃ、司馬氏お嫌いだろう。

だが貧乏侍の子に産まれ、寺に放り込まれても、決して野心を忘れない。その寺を飛び出して、金、地位、女を手に入れる欲の強い男として、実に魅力的な人物だと思う。多分、傍で観ていたら面白いはず。

ただし、巻き込まれたら困惑を禁じ得ない危ない人物でもある。この時代を代表する梟雄としては、松永弾正と双璧ではないかと思う。また北条早雲と並び下剋上を代表する武将でもある。

この人の不幸は、あの織田信長の引き立て役とならざるを得ない立場にあったことだろう。最後は息子との合戦で倒れた悲劇の人でもあったが、案外と本人は納得して死んでいったのではないかと思う。

当初は息子・義龍をただの乱暴者の大男だと見下していたようだが、いざ戦場で相対してみて見事な布陣での戦いぶりに自分の判断を悔いたと書き記されている。息子に打倒されるのも、ある意味梟雄に相応しい人生に思えてならない。

ただ、その義龍が案外と短命で、数年後に病死してしまったことが、斉藤道三の評価を殊更地味にしてしまった気がする。更に付け加えるなら、孫の龍興が父にも祖父にも似ないボンクラだっただけに、悲劇性よりも滑稽ささえ感じられてしまう。まァ、娘婿の信長があれだけ派手な人生でなければ、もう少し評価も上がった気もする。

調べたら司馬以外にも数名、斉藤道三を取り上げた小説があるようなので、今度はそちらを読んでみようと思います。さて、どんな道三像が描かれているのでしょうね。

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後見人の失踪が意味するもの

2013-12-10 12:06:00 | 社会・政治・一般

分かっていたからこそ慌てない。

現在、北朝鮮の政権内部における権力闘争が一つの答えを出したように思う。二代目の金正日の妹の配偶者であり、三代目の金正恩の後見人ともいわれた張成沢が政権から姿を消した。

既に粛清されたとの報もあるし、引退を強要されただけとの報もある。既に死亡説まで出る始末だが、いずれにせよ確証はない。分かっているのは、北朝鮮の公式発表などの場面から、姿を消して一か月以上経っていることだけだ。

もっともこのニュースに関心を払うのは、日本と韓国、そしてアメリカくらいだろう。私が注目したのは、北京政府の対応であった。やはりというか、驚くほど平静を保ったコメントを出していた。

多分、知っていたと思う。

歴代のシナの王朝同様、現在の共産シナも朝鮮半島は元々自己の勢力下にあると考える。ただし異様に民族感情の激しい地だけに直接統治よりも間接統治が相応しいと考えている。

実際、清王朝は李氏朝鮮を属国としたが、直接統治は避けて上手に支配した。余談だが現在の朝鮮半島では李氏朝鮮を独立国家のように教えているが、外交の権限を持たず、独自の軍隊すら保有できない独立国なんてありえない。肥大した自尊心で悪名高い民なので、その歴史的事実を認められないのだろう。

ただ清は日本との戦争に負けて朝鮮半島を手放した。以来一世紀以上経つが、未だに朝鮮半島への野心は途絶えていない。ただアメリカの実質保護下にあった南部はともかく、旧・ソ連の下で独立してしまった北部は、なんとしても取り戻したいと考えている。

ソ連の傀儡を脱した金日成はもちろん、息子の金正日もシナを十二分に警戒していたので、なかなか隙が出来なかった。だが三代目に権力が継承されたことで、シナに再びチャンスが与えられた。

最初はカジノとホテル。やがて鉱山開発と少しずつ経済協力に名を借りて朝鮮半島北部に利権を広げてきた。北京政府の目的は直接支配ではなく、間接支配だと私は睨んでいる。

そのために現在の金正恩を傀儡政権にすることが望ましい。だからこそ、金正恩の後見人である張成沢の排除を狙ったのであろう。長年ピョンヤンにおいて政権の中心に居た張の存在は、北京政府にとって障害であったと考えられるからだ。

だからこそ、今回の張成沢の失踪を平然と受け止めたのではないか。少なくとも日本や韓国ほどは、慌てていなかったのは確かだ。

南北コリアの統一は、朝鮮半島の人々には長年の夢だ。しかし、北朝鮮が北京政府の傀儡政権となったら、その夢は遠ざかるばかりであろう。また、日本にとっても新たな危機を孕む。朝鮮半島北部にシナの人民解放軍の基地が出来たら、日本の国防にも当然に大きな影響を及ぼすのは必然だからだ。

私は韓流ドラマやK-POPには興味はないが、日本の周辺国家の政治動向には一応の関心を払うように努めている。それなのに日本の新聞TVときたら、まともな報道さえしていない。やもすれば、ワイドショーでよくやる親族がらみの争い程度の報道なのだから頭が痛い。

本気で平和を望むなら、経済や券\だけでなく、軍事や政変にも注意を払うべきだと思うのですが、日本のマスコミ様におかれましては関心がないご様子。困ったものです。

追記 この記事は先週書いたものですが、今週に入り正式に政権からの追放を北朝鮮政府が認めたようです。シナに対する警戒感が強い古い世代を次々と排除する現政権。ますます警戒すべきだと思います。

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上がれば下がる

2013-12-09 08:04:00 | 経済・金融・税制

そろそろ頭の中で警告音が鳴り始めている。

なにがって、株式市場である。既に先週末には東証平均で一万5千円を超えている。同様にアメリカ市場も上がっている。

私には妙に思えて仕方ない。まず日本だが、アベノミクスやら金融緩和やらで、上場企業の好決算が続いている。だから東証平均が上がるのは当然だとしたり顔で論評するエコノミスト様がいる。

本当なのか。たしかに株式の大幅な評価減を計上する上場企業は減った。だが売上はもちろん、利益もそれほど好成績だとは思わない。むしそ危機感を持って臨んでいる経営者のほうが多いように思う。

私自身が直接、関わっている企業の決算で昨年よりも好成績なところは稀なのが実情だ。守秘義務があるので具体的な数値は出せないが、マスコミ様が言うほどには売り上げは伸びていない。

もちろん不動産売買は昨年よりは活発だし、一部の高額商品が売れているのは私も実感として分かる。しかし、一般的な商品の売れ行きは、それほど良くないのが実情であろう。

私の見たところ、昨年まで株の含み損を抱えていた連中が、今年の株高から売りに転じ、その売却金額が高額商品の消費に回っているように思う。つまり日常的な生活関連の消費は、昨年とほとんど変わりはない。

これは好景気とは言い難いと思う。いくら金融緩和を行おうと、企業は新たな設備投資に及び腰だし、従業員の給与だって目に見えて増額されている訳ではない。統計数値から増えているはずだと思う人はいるだろうが、あの統計数値は手取り額ベースではない。

総額は増えていても、そこから天引きされる所得税、住民税、そして9月から増税した社会保険を加味すれば、実施的な手取り収入はそれほど増えていない。これがアベノミクスの現時点での実態であろう。

では、何故に株価は上がっているのか。

本来、株価というものはその株式を発行している会社の業績に連動しているはずだ。すなわち高い利益を上げていれば高配当が期待できる。また先進的な事業展開が期待できれば将来の値上がりを予想して株価は上がる。その逆ならば株価は下がる。これが原則だと思う。

しかし、現在の株式市場はこのような原則で動いていない。まったく別の原理で金融市場は動いている。その原理の主役は巨大な国際投資ファンドである。この世界をまたにかけて活動する投資ファンドは、従来の株式市場原理とは異なる動きをする。

天文学的な資金を持つ投資ファンドは、投資家にリターンし、自ら(投資マネージャー)も高い報酬を得る為、常に市場を駆け回る。彼らにとっての恐浮ヘ、動きの少ない金融市場だ。一般の投資家にとっては、動きの少ない金融市場は安定した投資先であり、特段問題はない。

しかし、常に膨大な資金を動かして、その利ザヤで利益を確保する投資ファンドにとっては、安定した市場は利幅の薄い、すなわち儲からない市場に他ならない。だから激しい変化が起こる金融市場こそが稼げると認識している。

厄介なことに、彼ら国際的投資ファンドはその巨額な資金を集中的に動かすことで、市場に波風を立てることが出来る。彼らが安値で推移していると判断した金融市場に、膨大な資金を投入して加熱した市場を作り出す。

そして頃合いをみて資金を引き揚げて利益を確保する。その金融市場の本来の正常な株価なんぞ、彼ら投資ファンドには単なる指標に過ぎず、むしろその正常値を大きく揺り動かすことで利益を得ようとする。

つまり従来の正統的な株式市場における値動きの原理が通用しないのが、国際的投資ファンドなのだ。彼らは4年前のリーマン・ショックから資金をブラジルやロシアそしてシナなどの途上国に移し、そこで大きな値上がりの騒乱をお越し、大きな利益を確保すると、さっさと資金を引き揚げた。

そして市場価格が低迷していたアメリカ、日本の金融市場に再び資金を大量に投じた。日本のアベノミクスなんざ、この投資ファンドの資金流入なくしてあり得ない。なぜなら実態経済はたいして回復していないからだ。それはアメリカも同様であり、雇用統計や住宅着工件数もそれほど伸びていない。

にもかかわらず日本も、そしてアメリカも株式市場は非常に高値を推移している。これこそが、私の脳内警告音の震源である。そろそろ投資ファンドが利益を確保して、売り逃げする時期が来ているのではないか。

その日が来れば、再び株式市場は大きく落ち込み、消費マインドは冷え込むどころか氷結し、一気に不況のどん底に落ち込むはずだ。

私の予測、外れて欲しいと思う。今年が景気低迷の最後の年で来年からオリンピックまで上昇基調に乗って欲しい。そう、切実に願うが、予測が当たる可能性が低くないことも分かっている。

年の瀬に、こんな嫌な予測したくはなかったのだが、最近の状況を鑑みると悲観的にならざるを得ない。あァ、困ったなァ。

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