先週末の土曜日の明け方、目を覚まして窓を開くと、一面雪で覆われているだけでなく、雨が降っていた。
雨は雪を溶かしてくれるはずなのだが、降り積もった雪の量があまりに多すぎて、溶けるには至らず、むしろ雪が重くなっていることは明白であった。
こりゃ、雪かきは大変な重労働であるはずだ。溜息ついて、再び床にもぐり込む。
東京は先週に引き続いての大雪である。しかも、今回の積雪は前回を上回るようだ。再び寝たものの、空腹で目が覚めて朝食を摂る。どうやら雨も止んだようなので、着替えて、雪かきに精出すことにした。
スコップ片手に繰り出すと、やはり先週の雪よりも量が多い。しかも雨を吸って重くなっている。しかし、まだ柔らかいので、スコップはやすやすと食い込むのが救いである。
一人奮闘していると、同じ階段の他の階から手伝いに来てくれたオジサンが一人。名前は知らないが、数年前に越してきた人なのだろう。そういえば、いつのまにか顔見知りのご近所さんは引越してしまい、見知らぬご近所さんが増えた。
さすがに二人だと作業は早い。とりあえず、当面必要な部分だけは雪かきを済ませた。家に戻り、風呂を沸かして身体を休める。今日が土曜日で良かった。普通なら、ここでのんびり週末を楽しめるのだが、私の場合そうはいかない。
午後に入って実家へ行き、やはり雪かきをせねばならぬ。昼食後、少し休んでから行ってみると、その光景に仰天した。実家の庭には、屋根つきの駐車場があるのだが、その屋根は雪の重みで歪むのが心配で、数日前に木のつっかえ棒を差しておいた。
三本あったつっかえ棒のうち、真ん中の一本が真ん中から折れているではないか。屋根も少し歪んでいるように思えた。さすが数十年ぶりの大雪である。幸い、午後からは陽も差し、気温も暖かなので屋根の雪は既に大粒の雨だれを落としながら溶けているようだ。
それはそうと、さっそく実家の前の道路の雪かきに入るが、実はお向いさんの家は空き家である。そのため、まるで雪かきがしていない。30センチちかい重い積雪の雪かきは重労働である。
しかも困ったことに、雪を捨てる場所がない。回りを見渡すと、皆壁に雪を押し付けるようにして小山を作って雪をためている。おかげで道幅4メートルたらずの道路は、その雪に幅を狭められ車が出せない始末である。
ちなみに、雪の小山はかまくらをつくれるほどの大きさであり、下手に車をぶつけても、車の方がダメージを負いそうである。まァ、幸いすぐに車を出す用事もないので構わないが、今回の大雪にはほとほと呆れた。
同時に気が付いた。雪かきをする人の数が減っていることと、その雪かきをする人も高齢化が進んでいることに。東京23区とはいえ、片隅の田舎の風情のあるこの町は、若い人が買うには不動産価格は高すぎる。どうしても経済的に余裕がある中高年でないと買えないのが実情だ。
昔から住んでいる人で、世代交代した家族はともかく、新しく引っ越してきた人は中高年ばかりであり、雪かきが辛い年齢であるのも事実。十数年前の大雪の時は、これほど雪かきに苦労することはなかったことを思うと、改めて少子高齢化社会の浮ウが身に沁みた週末でした。
外国人から、どう思われているのか。
日本人ほど外国人から、どう見られているかを気にする国民は珍しいように思う。その点、悠久の歴史を誇るトルコやアラブ、もちろんシナなどの国民は、外国(蛮族)からどう見られようと、気にするそぶりさえみせない。
超大国であった過去の栄華を誇るシナやトルコはともかく、名も知れぬ辺境の小国(コリアとかタイ)だって、外国人が自分たちをどう見ているかなんて、さして気にしているように思えない。
そうなると日本人こそが特殊というか、異常なのかもしれない。
日本人が外国からどう思われているかを気にするのは、おそらくは恥の意識が強いからだと思う。日本人ならば、子供の頃からよそ様からどう思われているかを気にする躾を受ける。
世間様から見て、恥ずかしくない恰好、態度、振る舞い、言動を強要される躾を受けてきた日本人だからこそ、外国の人からどう見えているかを気にするのだろう。
この性向を、自らに自信がないからだと思う向きもあるようだが、少し違うように思う。寒暖の差の激しい四季に恵まれ、台風、地震、津波、火山と天災被害も少なくない環境ゆえに、日本人は異様なほど外部に対する関心が強い。
その関心は常に外部に向けられ、類まれな観察力を養い、変化に柔軟に対応する賢さを求められてきた。圧涛Iな自然の脅威に対峙してきたがゆえに、どうしても受動的な姿勢にならざるを得ない。
それは文化面でも同様で、ユーラシア大陸東端の超巨大帝国シナの動向に常に気を配り、最新の技術、知識を導入する一方、シナ文化に飲み込まれないように取捨選別して日本に合わせて加工までしてきた。
その一方、シナ以外にも多くの文明があることを知っていて、その情報を入手するや否や、自分たちに使い易いよう工夫までしてしまう器用さも持ち合わせていた。ポルトガルから偶然入手した火縄銃を、わずか数十年で模倣し、工夫し、遂には世界屈指の銃保有国になり、西欧から恐れられるほどである。
どれほど国外から文化、知識、風習、宗教を輸入しようと、あくまで日本人であり続け、多くの文化を日本流にアレンジして自らのものにする才知に長けた奇妙な国として世界に知られるに至った。
おそらく流入してくる情報の処理能力では世界屈指の能力を持つ国、それが日本だと思う。その反面、自ら情報を発信することには慣れていないのも日本の特質である。長所と短所は背中合わせなので、仕方ないことではある。
私見だが、日本人が外国から、どう思われているのか。それを気にしているうちは、日本は常に変化し、進歩し、時は後退し、それでも前に進むことを止めないと思う。逆に、外国からどう思われているかを気にしなくなった時、日本は停滞し、沈殿し、衰退するのだろうとも思っている。
転石苔生さず、これこそが日本の強みではないかな。
いやはや、世に驚きの種は尽きることはないらしい。
何度か書いているが、私はいわゆるガンダムと呼ばれるTVアニメをまったく観ていない。私の同世代には、このアニメにはまった連中は少なくないのだが、当時私は極度のアニメ嫌いに陥っており、それゆえに観なかっただけだ。
観ていないのだが、その続編やらスピンアウトした作品やらが、未だに人気を博していることは、それとはなしに知っていた。なかでも、ガンダムをプラモデル化した商品が、けっこうな人気であることは、玩具売り場を見れば一目瞭然である。
40代、50代の熱心なガンダム・ファンがいることは知っていたが、私が驚いたのは今どきの子供たちにもガンダムは、けっこう人気であることだ。先日、その謎が解けた。どうもTVアニメで、ガンダムのプラモデル(通称ガンプラ)を活かした新しい番組があり、それが小学生らを中心にガンダム人気の元となっているようだ。
思い出してみると、私がプラモデルに夢中であったのも、丁度小学校高学年から中学2年くらいまでだ。もっとも私が好きだったのは、所謂ミリタリーもので戦車や戦闘機、戦艦など第二次世界大戦も兵器を中心に集めていた。
だから、子供たちがガンプラに夢中になるのも少しは理解できる。そんな訳で知人の子供(小学5年生)から秋葉原で少し古いタイプのガンプラを探したいので手伝ってと頼まれた時も、仕方ないなと思い承諾した。
私は秋葉原はあまり好きではないのだが、あそこは子供だけでは行ってはイケないとされているらしく、どうしも大人の同伴が必要らしい。これは致し方ない。なにせ目抜き通りの看板の多くは、ロリコンアニメおたく向けの、微妙にスケベな広告看板で溢れているのだから。
で、行ってみたら驚いた。最初に行った大手の家電安売り店は広く、沢山の商品があるだけで、それほど驚きはなかった。だが、ここで目的のガンプラを見つけられなかった子供は、クラスメイトから聞きつけた次の専門店に私を連れて行った。
いやはや、驚いたぞ。プラモデルだらけのその店の3階は、ガンプラだらけであり、私は唖然茫然である。こんなに沢山の種類があるとは知らなんだ。それどころか、私の子供の時分には雲の上の道具であったエアーコンプレッサーが1万円台で売られているではないか。
ちなみにエアーコンプレッサーとは、吹付塗装に使う動力付きの器具で、これでプラモデルを塗装すると鏡面のように美しく出来上がる神の道具である。筆塗では決して出来ぬあの美しい塗装面が、今や当たり前のように出来る時代なのだ。こりゃ、おったまげた。
それ以外にも、塗装や改造用のキットが沢山揃えてあり、すぐには用途が分からない道具も少なくない。私がプラモ製作から遠ざかって40年近く、あまりの変化に目がクラクラしてきた。
正直、ガンプラには興味はないが、第二次大戦中のミリタリーモデルには大いに興味を惹かれた。まァ、本の山に埋もれる今の部屋に、今さらプラモを飾るスペースなどないが、仕事を引退したら再び戦車や戦闘機を作るのもいいかもしれない。
子供にとっては、まさに宝の山であり、一時間以上もこの店でフラフラ、うろうろ。私はプラモよりも製作器具に見とれて時間の経つのを忘れるほどである。
秋葉原は、やっぱりディープで濃い街でしたよ。はまるとキリがなさそうなので、少し来るのを控えよう。危ない、危ない。この忙しい時期にプラモなんぞにはまったら、仕事にならんぞね。
ヒーローだって、いつかはオジサンになる。
年をとれば、否応なしに思い知らされるのが年齢による衰え。かつてはスーパーヒーローとして大活躍したものの、最近は失敗ばかり。ついにスポンサーから見放されての二部落ち。ついにはヒーロー失格の烙印を押されての放逐。
今じゃ流しのタクシー運転手。娘からは突き放され、かつての仲間たちとは顔を合わせずらい。
TVを見れば、かつての相棒は新しいヒーローを連れての大活躍。冷たい風が身に沁みる夜更けである。
同行した子供たちは、クスクス笑いながら映画を楽しんでいるようだが、あたしゃ素直に楽しめない気分。他人事じゃないよなァと、一人呟く哀しい中年である。
まァ、きっと最後はハッピーエンドさと分かっていたし、事実その通りのエンディングなので一安心。
でも一人帰宅した後で、図らずもしみじみと珍しく一人酒。といってもアルコールを抜いたホット・ワインなのだがね。
なんだって、こんなセンチな気分に陥ったかと云えば、原因は雪かきである。若い頃から足腰が頑丈なのが自慢だった私は、雪が降れば先頭きって雪かきに奮闘していた。隣近所は高齢者が多かったので、いつも感謝されていたものだ。
しかし、昨年の大雪の際は長野県から帰京できず、雪かきに参加できなかった。だから今回の大雪では、張り切って雪かきをしたのだが、そこで分かったのは足腰の筋肉が大幅に衰えていることだった。
おそらく昨年の心筋梗塞による入院が大きく影響している。あれ以来運動を控えていたのは確かだ。でも、まさかこれほど衰えているとは思わなかった。私に代わって最近引っ越してきた若い人が大活躍であった。助かるし、嬉しいのは事実だけど、この寂しさ、どうしてくれようか。
そんな訳で落ちぶれたヒーローであるタイガーにえらく感情移入してしまった次第。いい年こいて、アニメのヒーローに思い入るなんて馬鹿らしいとも思うが、それでも最後にタイガーが活躍した時は嬉しかった。
きっと私だってトレーニングを再開して体力を戻せば、もう少し雪かきも活躍できるはずなんだけどね。
ラングレーの空調の効いた快適なオフィス、常に糊付けがしっかりしたワイシャツにアイロンが効いたスーツ、剃り残しなしの髭剃りに、磨き抜かれた革靴に慣れたエリート官僚にとって不潔な環境ほど耐えがたいものはない。
赴任したばかりの中米のアメリカ大使の地位は、本来快適なオフィスが保証された現役最後の仕事となるはずであった。だが突如起こった革命と、その混乱に乗じて大使館内に入り込んできた革命軍と云う名の薄汚い狂信者どもにより、惨めな人質の屈辱を味わう羽目に陥った。
でもそれは始まりに過ぎなかった。対共産主義の分析官として長年敵対してきた相手である、キューバの秘密情報機関の尋問官の姿を目にした時から、本当の屈辱が始まった。パンツ一枚の裸体にされ、白人が嫌がる現地の粗食のみを食わされ、バケツに糞尿垂れ流し、藁敷きの布団を寝床にされる屈辱。
肉体を痛めつけるのではなく、心を痛め付けるプロの拷問担当者にとって、このアメリカの外交官こそ長年絞り上げたいと願っていた獲物であった。心の壁を崩し、プライドを崩壊させ、惨めに怯えさせ、最後には屈服させる。そのためなら何でもやってやる。
かくして二人のプロが、拷問者とその獲物として対決することになる。
物語の大半は、この二人のプロの心理戦であり、終盤に至って雪崩が崩壊するが如き電撃戦となる。まさに冒険小説の王道である。この作品が優れているのは、対決する二人のプロフェッショナルの心理が上手く描かれていることが大きい。
キューバの情報機関の尋問官による拷問的心理尋問と、それにプロとして答える捕虜のアメリカ大使の対決は、暴力的というよりも芸術的でさえある。やがて訪れる破局の後でさえ、この二人の心理対決は深い印象を残す。
この二人のプロの対決と、救出に向かうアメリカ軍の出撃直前こそが、この小説の山場となる。その意味でエンディングは帳尻合わせに過ぎず、予定された結末でもある。それでも不満が残らないのは、山場の盛り上りが見事に描かれているからだろう。
冒険小説が好きだったら、是非とも手に取るべき一冊ですよ。