今、この記事を書いている段階では、スコットランドの独立を問うた住民投票の結果は出ていない。(19日午後、独立反対の結果が出ました)
どうなるかは不明だが、この行方を固唾を飲んで見守っている人は、世界中にかなりいると思われる。スペインのバスクやカタローニャ、カナダのケベックなどが有名だが、潜在的には独立を望む少数民族は相当数いるはずだ。
これは19世紀以来、世界の主流をなしてきた近代国家が、国民全体を満足させることが難しくなってきたことの表われだと私は理解している。近代国家においては、国家こそが第一の価値観であり、民族も宗教も国家に従うことを強要されてきた。
しかし、今近代国家の土台である価値観が揺らいでいる。社会主義や共産主義が人々を幸せにしないことは既に露呈した。忘れてもらっては困るが、社会主義も共産主義も近代的政治概念であり、本来は近代国家の発展の形だと思われていたことだ。
そして元々の土台である近代の根本的な価値観、すなわち人権であり、民主主義であり、自由貿易、市場社会といった人類の歴史では比較的新顔である。なればこそ、これまで表に出ることを抑圧されてきた宗教と民族が再び燃え上がる。
スコットランドの独立を問う住民投票は、その必然的な結果に過ぎない。
人ごとだと思ってはいけない。日本だって、まったく無関係ではない。なにしろ沖縄がある。沖縄諸島が日本政府の完全な統治下に入っての歴史は、せいぜいが100年足らずであり、それまでの沖縄は間違いなく独立国として存在していた。
しかもシナ帝国の朝貢国としての顔も持ち、朝貢貿易で栄えた国でもある。シナから移住してきた人たちも少なくないのは、その地名や呼び名などからも容易に推測できる。
そのうえシナ人が沖縄に移り住んでいる例が増えている。働き者のシナ人は、高齢化と人手不足に悩む日本各地で引手あまたであり、それは沖縄でも変わりはない。そのシナ人が沖縄でも不動産購入に励んでいる。
日本人との国際結婚も今や第一位であり、合法的に日本国籍を取得している。今はまだ少数派だが、半世紀後はどうなるか分からない。分からないまでも、今よりも多いであろうことは、容易に想像がつく。
ただでさえ反米、反日の異常さが目立つ沖縄の新聞などが裏で住民投票による独立などを画策したら、どうなるか分からない。おそらく過半数を占めることはないと思われる。しかし、その騒乱に乗じて自国人の保護を理由に、人民解放軍が進駐してくる可能性は決して低くない。
事実、チベットや中央アジアでは、この手法で多くの地をシナの自治区として手中に収めている。多少でも国際紛争の知識があれば、当然にこの程度のことは分かっているはずだ。
だが、日本のマスコミ様の反応は鈍い。朝日が親シナ路線であることは周知の事実だが、実は他のマスメディアにも親シナ派は多い。特に日経は隠れ親シナでは実績ある困ったメディアである。
私は沖縄の人たちは日本系だとは思っているが、シナとも密接であったのも事実だと考えている。沖縄を大切に思うのなら、その防衛にもう少し関心を持ってほしいものだと思います。
分かっていると思いますが、北京政府は日本の憲法9条なんざ歯牙にもかけませんからね。
意外と云ったら失礼かもしれないが、正直驚いている。
もともとあまりTVを見るほうではない。日ごろ見るのはニュースと天気予報が中心で、たまにプロスメ[ツを見る程度だ。もっとも見逃した映画や、おもしろそうなドキュメンタリーなどは見るようにしている。
プロスポーツといっても、最近は野球もサッカーも地上波では十分放送されていない。だからたまたま連休で空いた時間に、何気なくTVをつけたら野球が放送されていた。
部屋の片づけをしながら、ぼんやり見ていたのだが、意外といい試合をやっていた。驚いたのはDeNAである。中畑監督が率いるこの球団は万年Bクラスの応援しがいのないチームであった。
実をいえば、子供の頃は巨人ファンであったが、それは巨人しか知らなかったからに過ぎない。自分で野球をするようになり、それなりに野球を見る目が出来てくると、巨人の野球はつまらなく思えた。
特に不愉快だったのは、球団の高慢な姿勢であった。私が思うに、巨人ファンとは巨人が勝ち進む姿に自らをなぞらえることで鬱憤を晴らすようで、内容よりも勝つことだけが大切であるように思えた。
当然、勝つことだけに徹底したのが川上時代の巨人で、強いが内容が記憶に残る試合は少なかった。つまり試合内容そのものは、案外とつまらないものが多かった。これは後に他球団で指揮をとっていた広岡監督、森監督などの巨人出身の監督にもみられる傾向である。
そのなかでも例外は長嶋茂雄で、この人のプレーだけは見る面白さがあった。だから現役引退後、監督として登場した時はかなり期待していた。しかし、第一次長島政権は低迷し、遂に球団から追いやられた。このことに憤慨した巨人ファンは少なくないと思う。
この監督時代に育った選手が中畑である。当時から巨人らしからぬ選手であったが、長島の薫陶を受けただけに、オーバーアクションの目立つ並みの選手であった。並みの選手といったのは、周囲のライバルが突出していたからで、打率も守備も平均以上なのだが、それ以上が沢山いたので本来目立つ選手ではなかった。
それでも目立っていたのは「絶好調~~!」で知られるように、自らを鼓舞してのパフォーマンスがTV受けしたからでもある。そのせいで、私なんざ実力以上に評価されていると、かえって低い評価をしていたぐらいだ。
正直、監督向けの選手ではないと思っていた。事実、アテネでの五輪野球の監督代行としての評価は、決して芳しいものではなかった。なんで、この人に監督代行をやらせるのかと憤慨したぐらいである。
その中畑が万年Bクラスの元・大洋ホエールズであり横浜ベイスターズでもあったDeNAの監督に就任した時の私の印象は、一言で云えば客寄せパンダ。他になにが出来るのかと侮蔑していた。
ところがだ、その中畑DeNAの野球が元気いい。成績は相変わらずの下位だが、最下位ではなく、むしろ大物食いも珍しくない健闘ぶりだ。出場する選手は昨年とだいぶ変わり、見かけぬ若手のはつらつとしたプレーが気持ちいい。
中畑に監督の才能があったのか!?
正直、優勝を狙えるチームではないと思うが、最下位に安住するチームではないように思う。まだシーズン途中であり、評価を下すには早すぎるが、それでも私を十分驚かせるチームに変えた中畑監督の実績は、素直に評価したいと思います。
犬が男気を語り、熱く友情を語り、拳ならぬ牙で正義を貫く。
断じてギャグ漫画ではない。
秋田犬というよりもマタギ犬である父リキの仇でもある巨大なクマ赤目を倒すため、銀は日本各地を巡り男気がある犬たちを集め、奥羽山中に君臨するクマに戦いを挑む。
私の記憶では、マタギの父と息子の飼い犬である銀は、当初マタギ犬として活躍していたはずなのだが、いつのまにやら主客転倒て、人間様はわき役に転落し、犬たちが主役の熱血格闘漫画になってしまった怪作でもある。
まァ、作者の高橋よしひろは、あの本宮ひろしの下でアシスタントをしていただけに、この漫画がワンコ一匹ガキ大将になってしまったのかと勘繰ったぐらいである。
おそらく読んだことがない人にとっては、カルト漫画ではないかと思うだろうが、この漫画は大変な人気があり、続編が掲載雑誌を変えて数多く連載されている。それどころか世界的にも人気がある。どうも犬好きという奴は、日本だけでなくいたるところにいるらしく、犬が主役の漫画は他に類例がないため、異例な人気を得ているのではないかと思う。
ちなみに続編というか、スピンアウトした作品のなかには、犬が兜をかぶり馬に乗るものもある。忍者のように闇を駆ける犬までいる。もう、どうにでもなれの気分である。
犬が好きで、喧嘩が好きで、男気が好きなら是非どうぞ、といった作品である。やっぱりカルト漫画だよなァ・・・
既成の価値観が崩れつつある。
その一つが、現在世界を騒がすイスラム国の存在である。
現在の世界は、19世紀以降急速に国力を伸ばした欧米により構築された。それは旧来の支配者であったイスラムとシナという二大文明圏の衰退を意味していた。
欧米が理性と論理による科学を文明推進の基盤として、新たな理想社会を目指してきたのだが、それは必ずしも人々を幸せにしないことが分かってきてしまった。産業の高度化は新たな貧民を生み出した。新たな産業は大量の廃棄物を出し、ゴミ問題だけでなく生物の体を蝕む公害まで引き起こした。
理屈により平等な社会を目指した社会主義と共産革命は無様な失敗に終わり、自由貿易を目指した資本主義と市場経済は貧富の差の拡大により、世界に富と不満をまき散らした。
石油という富しか持たなかったアラブ諸国は、しょせん欧米に化石燃料を売るしか出来ず、一向に民主主義も市場経済も発展しない。シナやインドは下請け工場として発展し、経済発展により増えた中産階級が消費を活発にすれば、いずれは民主主義と市場経済に屈するはずだった。しかし、アラブもシナもインドも、思いのほか欧米の価値観に染まらない。
しかし、欧米主導の文明は思わぬところから綻びを見せてしまった。旧弊たる故国を飛び出し、西欧の地で生まれ育ち教育を受けたにも関わらず、欧米主導の世界に夢を見ることができなくなったイスラムの若者たちが牙を剥いてきた。
アメリカを震撼させた9,11のテロの実行犯たちは、いずれも欧米で生まれ育ち、欧米式の高等教育を受けている。本来、欧米の価値観に染まり、民主主義と市場経済の信奉者となるはずだった。それなのに、そうはならなかった。
アルカイーダだって、本来欧米の消費社会の恩恵を受けて豊かな暮らしを満喫できたサウジの富裕階級出身者により作られ、あろうことか欧米に牙を剥いてきた。危険な兆候は他にもある。
イスラム社会のなかでも近代化の手本ともいうべきトルコでさえ、もはやイスラム懐古の流れは否定できない。インドやシナから欧米の大学に進学し、本来市場経済の最先端で活躍すべき人材が、今や反欧米的価値観になびいている。
そして、遂に登場したのが、既成のイスラム国家に満足できない若者たちが立ち上げたイスラム国である。まだ国家というには未熟な存在だが、極めて危険な存在であることに変わりはない。
腰抜けオバマが、ようやく爆撃によるイスラム国攻撃を決めたのは、これ以上拡散してはならぬとの恐怖があるからだ。サウジやエジプトが黙認したのは、この新たなイスラム勢力の存在が、国内の不安要素になる可能性を恐れているからだ。
欧米主導の近代文明に追随してきたイスラム諸国が今、揺れている。現在のイスラム国はたいした存在ではない。しかし、放置しておけば、これまでの価値観を崩し、既成の国家、経済そして文明に亀裂を生じさせかねない危険性を持っている。
イスラム社会から縁遠い日本ではあるが、いつまでも傍観者の立場でいられるのか、私は疑問に思っています。日本のメディアは、この手の問題に鈍感なので、海外の情報に少し気を配ろうと考えている次第です。
仰ぎ見るよりも、傍に佇んでいるほうがいい。
日本人の宗教観は独特なものに思える。欧米中心のキリスト教とも、中東のイスラム教とも違う、日本独特の多神教であると感じている人は多いだろう。
現代の文明が一神教であるキリスト教が中心的地位にある欧米中心であり、その前がこれまた一神教であるイスラム教とイスラム帝国が覇権国であったので、日本のような多神教の文明圏は、殊更違和感を感じざるを得ない。
だが、人類の歴史のなかでは、むしろ一神教は新しい宗教である。多様な自然に素直に順応する文化圏においては、多神教のほうが馴染みやすい。
乾燥化し、砂漠化が進行しつつあったオリエントの地で強烈な一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)が生まれたのは、過酷な地で勢力を伸ばすには、権力の一極集中が望ましく、それに応じた宗教だともいえる。
これは産業革命と帝国主義により権力が国家に集約された近代においても、相応しい形態であるがゆえに先進国は概ね一神教を信じるのも無理はない。むしろ日本のほうが特異なのだと思う。
だが、東南アジアや南米、アフリカの奥地などに行けば、まだまだ多神教の世界は残っている。そこでは神が身近な存在として人々に寄り添って生きている。
一神教では、神は自らに似せて人を作ったとされているが、実際は逆だろう。人が自らに権威をつけるために、人に似せた神を想像した。神は人の願望の縮図であり、祈りの象徴である。
ゆえに一神教において神は威厳があり、遠くに仰ぎ見る存在とならざるを得ない。
そんな一神教の代表的存在である神の子イエスと、仏教の開祖ブッダが休息のために日本に現れて、普通の隣人としてアパート暮らしをしている姿を描いたのが表題の漫画だ。
なぜか東京は西部にある商業都市・立川が舞台となっている。風呂なし、ペット禁止の安アパートに暮らす聖人ふたり。ギャグ漫画としての設定が秀逸です。少し物足りなさが感じるのは、ギャグ漫画には珍しくもない度を越した常識破壊が、聖人ゆえに出来ないからでしょう。
まァ、のんびり、ゆったり楽しむには良き漫画ですね。