天候が味方してくれて、昨夜の皆既月食を見ることができた人は多かったようだ。
昨夜は、ここにも立ち寄ってくれたが、東京から知人が来ての句会が開かれ、昔しの縁もあって参加した。このため月蝕は、句会の会場であった寿司屋の傍を流れる天竜川の土手の上から、赤銅色に変わっていく姿を目にした。
句会の後東京の客人二人が泊まるホテルまで同道し、そこからは家まで4キロほどの道を、灯りのない天竜川の堤防を歩いて帰ってきた。川の流れる音を聞きながら、途中一息入れて暗い水面を眺めていると、遠い昔のことが思い出された。
当時の小学生は、夏休みの間は天竜川の決まった場所で、決まった時間、PTAの当番が見守る中で水泳をすることになっていた。しかし、そういう規則を無視して隠れて泳ぐことを、水難事故は時々あったが、それほど悪いことだとは思っていなかった。
だから中学生になっても同じような感覚で、友人のKと学校の帰り示し合わせて、天竜川の水量の多い、流れの緩やかな場所を選んで泳いだことがあった。ところがこれを見付けた人がいて、学校へ通報されてしまった。その人は、確か伊那市の市議会議長かなにかで、あのころはそんな人でも自転車で通勤することが珍しくなかった。
翌日の放課後、1時間だったか2時間だったか、罰として校長室の前で正座させられた。傷む膝をこらえながら思ったものだ、なぜその人はその場で注意をせずに黙って通り過ぎていったのかと。そうしておいていて後から学校に知らせるという方法は、いかにも卑劣なやりかたではないか、もし本当に子供のことを考えたなら、まずその場で叱るなり、注意なりをすべきじゃなかったのかと、自分たちのしたことなど棚に上げて、その通報者に腹を立て、怨んだ。
あれから何十年が経ったのか・・・、あのころの自分とあまり変わることができないまま、長い時間を生きてしまった。いつの間にか月は雲に隠れ、川音がそういう自分を責めているのか、慰めているのか、いつまでも夜道のお伴になってくれた。
今日はこれから中房方面へ出掛け1泊し、明日昼ごろにはここへ登ってくる予定。牛は全頭元気で、心配なし。そろそろ里から迎えがこないかと待っている、とも思えない。
山小屋「農協ハウス」とキャンプ場の営業に関しましては9月5,6日のブログをご覧ください。そして、少し時代遅れの山小屋へ、お出かけください。