きょうから6月、わが列島の一部の地域には5月が終わらないうちに、すでに梅雨入りが報じられて驚かされた。速度の上がらない大型台風の接近もあり、今月の3日に予定していた当牧場での平澤真希氏のピアノコンサートも、思案の末、7月29日に延期することが決まった。
そういう人々の心配や不安を嗤うかのように、きょうもよく晴れて、小鳥の声が絶えない気持ちの良い朝だ。カッコウ、ホトトギス、シジュウカラ、まだ他の野鳥の声も聞こえてくるが、歌声の主の名前は分からない。
先日、テイ沢の倒木処理の続きをしていて、本体である倒木を伐り終えた瞬間、運び出すのに都合が良かろうと敢えて切り落とさずにしておいた枝に胸を痛打された。その枝は腕の太さくらいはあっただろう。
わが胸は肉体的にも、精神的にも幾度かこういう不運、不幸を経験していて、かなり弱っている。今でも精神的な胸の疼きは一人の山の暮らしの中では時々襲ってくるが、良寛和尚が詠ずるように、その痛みが孤独を紛らわしてもくれている。だから甘受している。
もう一方の肉体的痛みは、無理して支柱を抜こうとして痛めたこともあれば、もっと遠いころには登攀中に負った傷もある。スキーで転倒して、その痛みを抱えて温泉に浸かり、さらに悪化させたこともある。
テイ沢で痛めた胸は、その日のうちに癒えたと思っていた。ところが、多分バズーカを使って支柱打ちをしたせいだろう、2,3日してまた痛みがぶり返してきた。特に布団の中で寝返りを打ったときや、咳をすると激しく痛んだ。
最近、嚥下する力が衰えてきたのか、食べた後にせき込むことが多くなって、好物の皮つきの南京豆を食べた後などこの咳込みが襲ってくることがあり、その時は肋骨にテイ沢で味わったと同じ痛みが再現され生きた心地がしなかった。
で、南京豆も、そして激しい運動を伴う支柱打ちも控えることにして幾日かが過ぎた。
幸い、昨日くらいから痛みが和らぎ、草刈り機を振り回すこともできるようになった。前述のように精神的な痛みはあっても、幸いなことに肉体的な痛みはあまり縁なく暮らしてきた。身体にメスを入れたのは10代のころに畜脳の手術ぐらいしか記憶がないから、肉体的苦痛に対する鍛錬は、友人の中にはかなりの高段者もいるが、恐らく初段にもなっていないだろう。
日頃に鍛錬を重ねて少しづつ段を上げていくのがいいのか、それとも一挙に呻きを上げて学ぶのがいいのか、朝から詮もないことをまた呟いてしまった。
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本日はこの辺で。