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放射冷却というらしいが、よく晴れた朝は特に寒くて布団から脱け出すのに苦労する。暖房器具をあらかじめ一定の時間に始動するようにしておけばいいと言われそうだが、その方法が分からない。炊飯器も同じようにわざわざコンセントを差し込んでからスイッチを入れ、空腹を我慢して米が炊き上がるのを待っている。
便利になればなるほど何であれ扱い方が複雑になり、取り残されていく。そういう物がいつの間にか身の回りに増えた。
昨日もそんなことがあった。自分の車のラジオの操作方法が分からないため、FM放送を聞くのをこれまでずっと諦めていた。もう10年以上になるだろう。ところがその時は何かの拍子で突然に雑音が入ってきて、すっかり機械にからかわれているような気になってきた。どうせ使えないのだから壊してもいいと、腹立ちまぎれに適当にボタンを押してみた。
すると、いとも簡単に目当ての8500Hzの周波数に合わせることができ、わがことながら驚いた。もう一度やれと言われてもできるかどうか分からないが、こういう時は厄介な牛をようやく捕縛できたような気になり、しばらくは浮かれる。
やればできることは、こんなことばかりでなく、もっとあると思う。にもかかわらずなぜやらないのか、となるが、どうも自分が我慢して済むならそれでもいいと決めているのだと自己診断している。要するに面倒がりで根気がないのだ。ただしその責は自分で負うから、放っといてくれ、と。
「習い性になる」、今さらその習いを変える自信もなく、先述した車のラジオのように、時代遅れが極めて稀にでも現代に追い付ければよしとするしかないようだ。
冬日和の穏やかな午後。越年、そして年が明ければ2組ほどの予約が入っている。さて、今冬は暖冬だろうか。
本日はこの辺で。